寝坊しすぎた
しばらくして、圭太郎が目を覚ます。
「…………んん……ん?」
とても心地よく眠れたお陰で寝起きも爽快だったからこそ、真っ先に違和感を覚えた。
「何だ?柔らか……クッション?抱き枕か……?」
顔中に押し当たるフカフカとした弾力。羽毛布団とは比較にもならない快適さがあるので、さぞ希少な材料で作られているに違いない。
残念ながら圭太郎には、こんな高級そうな寝具に覚えが無かった。
だけど、完璧に覚えが無いかと言われたら違う。もっともそれは寝具では無くて、人になるのだが。
「……ん……けい、たろ……」
上方から吐息混じりに聞こえてくる、耳に溶け込むソフトな寝言によって、圭太郎が抱いた疑惑は確信へと変貌を遂げた。
「って……何でソフィアが俺のベッドに……っ?!」
シュバッと柔らかなクッションから顔を離せば、やはりソフィアが隣で健やかに眠っていた。
昨日の今日でまたソフィアの胸に顔を埋めていたとは、圭太郎は自分が恥ずかしくなった。とんだスケベ野郎だなお前はと、自分をなじりたくもなった。
「ま、まさかっ……??」
思春期の健全な少年少女が
(落ち着け、取り乱すな。クールになれ、綾坂圭太郎。まずは現状の把握が最優先だ……俺よ、頼むぞ……っ)
圭太郎は手始めに布団をぐいっと持ち上げた。そして、中の事情を恐る恐る確認していく。
(えーと……ソフィアが俺のベッドで寝ているな。幸い服はお互いにちゃんと着ている。シーツに多少の乱れはあるが、シミは見当たらない。ああ、大丈夫だ。何も無かった)
とりあえずは安心した。間違いは起きていなかった。云年ぶりのホームステイで再会を遂げた女子と、その日の晩に一線を越えたとあらば、両親から勘当されても仕方の無い暴挙そのもの。
そのバッドエンドは回避出来たので、圭太郎はホッと胸を撫で下ろした。
ならば次は目で見た情報を総括して、今に至るまでの流れを導き出していく事にしよう。俯いて五秒ほど考え込み、圭太郎は早々に真実へと辿り着く。
(なるほど、大体把握したぞ。まずはソフィアが俺の部屋にいる理由だが、それはこの格好を見れば一目瞭然だ。朝食を作り終えた後に、わざわざ俺を起こしに部屋まで来てくれたに違いない。で、ベッドで眠っている理由だが……これは十中八九俺が引き摺り込んだと思われる。おおかたアラームを止める時にでも、伸ばした手がソフィアに触れたんだろう。起きたらスマホを抱いていた、なんて事は山ほどある。それのソフィアバージョンって訳だ)
圭太郎は全てを理解した。既に動揺は一つも無い、一つも無いのだが、
「…………十一時六分、か。ソフィアがせっかく作ってくれた朝飯が、すっかり冷めちゃってるなこれは……」
落胆はあった。
ソフィアに申し訳ない事をした。アラームは八時に設定しておいたので、もうそこから三時間以上も経過している。ソフィアが真心こめて用意してくれた朝食が、今も寂しさに震えているのは想像に難くない。
春休み中、常に昼過ぎに起きている人間が、急に八時に起きようとするのが無謀なのは分かっていたが、それでもそこは意地でも起きるべきだろうと、圭太郎は自分に呆れた。
今年で五年目、それだけの長い時間を費やして懸命に作り上げた駄目な自分は、すっかりと本物の自分に成り代わっているようだ。あの頃の自分ならば、早起きも余裕だったのに。
「……けいたろ……えへ……」
圭太郎が自己嫌悪に浸っている最中、安眠中のソフィアがそんなのお構いなしで、犬のようにすりすりと全身を擦り寄せてくる。勿論ゆるゆるの寝顔である。
最愛の圭太郎の匂いと体温、その他諸々を絶賛堪能中なのだから、それはそうなるだろう。
「はぁ、起こすのが申し訳なくなる寝顔だことで……。でも、ここは心を鬼にしないと」
安眠の妨害は重罪、時には死罪に値する。圭太郎は心底そう思っているが、流石にこのままではいられない。
これは話が別だ。刻一刻とソフィアの手料理が鮮度を落としているのだ。それはいけない。
「ソフィア、起きろ。ミイラ取りがミイラになっちゃってるぞ」
ソフィアの肩を掴んで、ゆっくりと揺さぶる。優しくも無く乱暴でも無く、絶妙な力加減で起こしにかかる。
「…………ふぇ、あれ……?」
「あ、起きたか?」
ぱちっとソフィアの目が開いた。焦点の合っていない青い瞳と、圭太郎の視線がバッチリとかち合う。起きてくれたようだ。寝ぼけ眼を擦りながら、のそのそとソフィアが起き上がる。
「ごめん、すっかり俺寝ぼけてたみたいだな。わざわざ起こしに来てくれたのに、迷惑かけて悪かったよ」
「いえ、大丈夫です。何も迷惑じゃないですよ。むしろ……」
圭太郎が頭を下げてすかさず謝罪を行っていくと、寝起きの筈のソフィアもすかさず首を振って否定した。
その後にぼそりと小さく呟かれた一言を、圭太郎の耳がしっかりとキャッチする。
「むしろ……?」
むしろ、何なのだろうか?圭太郎の類稀な頭脳をして、その真相が全然分からない。圭太郎は抜けているのだ。ずば抜けてもいるし、どこか抜けてもいる。
完璧超人だったあの頃とは違って、搭載している
「な、何でもないです……っ」
ソフィアが慌てて顔の前で手を振った。
そして思い出したように、ついでに誤魔化すように、
「……あ、そうだ圭太郎。朝ご飯出来てますよっ」
と、手を叩きながら、新たな話題をソフィアは持ち出す。それは圭太郎が今一番気にしている事だった。
「ああ、分かってる。せっかく作ってくれたのに、俺のせいでソフィアの朝飯を冷ましちまった。本当に申し訳ない」
深々と、教科書に載せられるぐらいの見事な姿勢で、圭太郎が頭を下げる。土下座一歩手前である。
誠心誠意で真摯な謝罪を行う圭太郎の手をソフィアが奪って握ると、圭太郎の頭を半ば強引に上げさせた。
「何のこれしきです。何も気にする必要なんて無いですよ。また温め直せばいいだけなんですから。ほらほら行きましょう圭太郎。今朝のも自信作ばかりなんです」
ソフィアが朗らかな表情でそんな事を言いながら、ぐいぐいと圭太郎の手を引っ張ってベッドから下りていくと、つられて圭太郎も立ち上がる。
「……っとと、……それは楽しみだな」
そのままソフィアに手を引かれ、圭太郎は部屋の外に引っ張り出されていった。
「……うお、何て良い匂いなんだ……」
廊下を進んで、階段を下りている最中、食欲を誘う匂いが圭太郎の鼻腔を擽った。時間が経ってもこんなに良い匂いがするとなると、出来立てはどれだけのものなのか。一晩寝かせるカレーで無い限り、料理は出来立てが一番美味いと相場で決まっているのだ。悔しさを覚えてしまう。
明日は絶対に早起きしてやるぞ、なんて心に誓いつつ、圭太郎はリビングに足を踏み入れた。
リビングに入ると、圭太郎は半強制的に食卓につかされた。ソフィアが早々に朝食達を温め直し、圭太郎の前にテキパキと並べていく。
今日の朝のメニュー。じゃがいもと玉ねぎの味噌汁、だし巻き卵、ほうれん草とベーコンの炒め物。
どれもこれもとても美味しそうだ。
「圭太郎、たくさんたくさん食べて下さいね」
全ての料理を並べ終えると、ソフィアも席についた。
当然その席は圭太郎の隣で、肩が触れ合いそうになるぐらいには距離感が近い。
「ありがとな、ソフィア。……いただきます」
両手を合わせている圭太郎に先んじて、ソフィアが箸を取る。一口サイズに切り分けられているだし巻き卵、その中の一つを手早くつまんで、
「圭太郎、あーんですよ」
と、圭太郎の口元に、当たり前のように差し出していく。
「あの……ソフィアさん?本当に毎日こうやって食べさせる気なんでしょうか……?」
圭太郎はてっきり冗談だと考えていたが、ソフィアは本気の本気だったらしい。冗談抜きで毎日こんな風に、自分に食べさせる気満々であるらしい。
「……嫌ですか?」
「嫌じゃない、けど、さ」
ソフィアの表情が寂しげなものに切り替わると、圭太郎は歯切れの悪い口振りで、だけど明確にそれを否定した。
「なら問題なんて無いですよね。あーんですよ、圭太郎」
「……あむ、んぐ……」
ソフィアがパッとまた笑顔に戻ると、圭太郎はなし崩し的に、口の中にひょいっと箸を入れられた。
ソフィアの手作り料理は……やはり凄く美味しかった。
風味豊かで旨みたっぷり、それでいてふんわりとした食感。高級店で出されても違和感の無い仕上がりだ、究極のだし巻き卵だ。美味すぎる。
「どうですか?美味しいですか?」
「…………めっちゃ美味い……」
「えへへ、お口に合って良かったです」
まったりとした、春の陽だまりのような雰囲気広がるリビングにて、圭太郎はソフィアに甲斐甲斐しく料理を食べさせられていく。ある種のリズムゲームみたいに、口の中に箸を入れられる。
美味しい。どれもこれも凄く美味しい。とてもとても美味しいのだが、
(……いいのか、これで……?)
圭太郎は、そう思わずにはいられなかった。
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