箸入らず

「……なあ、本当にいいのか?毎日こんなに手間暇かけてたら大変だろ?このクオリティなら週に二回も作ってくれたら、もう俺はそれで満足だ。むしろ一回でも釣りが来る」


 下ごしらえから徹底しているのが分かる卓越した料理の数々。物凄く毎日食べたいが、これを毎日無条件で作って貰うのは忍びないにもほどがある。

 怠惰な圭太郎でさえ余りにも恐れ多くて、週六日の労働を申し出てしまうぐらいには、ソフィアの手料理が美味すぎたのだ。

 あの圭太郎が我を忘れ、ソフィアを強く強く抱き締めてしまうぐらいには、美味すぎたのだ。

 

「いいんです!毎日作ります!圭太郎が美味しそうに食べてくれる姿を見てると私が幸せになれますから!だから作るんです!」


 圭太郎の申し出をソフィアは頑として受け入れない。

 だと言えども、圭太郎もタダで引く訳にはいかない。

 ならば交換条件だ。ソフィアがして欲しい事を自分はするしかないのだ。

 

「ならせめて何か俺に出来る事は無いか?何でもする」

「……何でも……っ……何でもは、何でもですか……?」

「ああ、何でも言ってくれ」


 ソフィアが上目遣いでそう聞いていたので、圭太郎は意思のこもった瞳で見つめ返しながら、大きく頷いた。

 

「じゃ、じゃあ……私が圭太郎にご飯を食べさせても良いですか?」

「え、そんなんで良いのか?」

「はい、良いです!」


 腕の一本ぐらいは覚悟していた圭太郎は、ソフィアから伝えられた要望に肩透かしを食らった。

 本当にそんな簡単な事で良いのかと、圭太郎は首を捻る。ソフィアは箸を取りながら、こくこくと頷いていた。

 

「圭太郎あーん、です」

「あー……あむ、ん……」


 ソフィアが箸でつまんだじゃがいもが、圭太郎の口の中へとゆっくり入れられる。

 ほくほくとしていて温かな心落ち着く味が、さっきよりもグンと一層増したように感じた。何故だか自分で食べた時よりも、更に数段美味しくなっている。愛がスパイスになるとは本当の事らしい。

 

「……なんか、自分で食うよりも美味いな」

 

 圭太郎はもぐもぐと味の染みたじゃがいもを良く噛んで味わった後に、自分で食べた時と食べさせられた時を比較した感想をソフィアに素直に伝えた。

 

「本当ですか?ならこれからは毎日私がこうやって食べさせてあげます!」

「いつか箸の使い方を忘れそうで怖いんだが」


 ソフィアに食べさせられたら料理がもっと美味しくなるし、一見良い事尽くめにも思えるが、流石に毎日こうやって食べさせられるのは、今年で十七になる男子高校生としては如何様か。

 しかし、これは交換条件であって断れはしないので、圭太郎は受け入れるしかない。それに、とても心地よかったのも事実だ。

 

「勿論お弁当も作りますから、学校でも食べさせてあげますよ!」

「…………いや、それは流石に。学校には食堂もあるし、そこまで世話をかける訳には」


 たらりと圭太郎の頬に汗が伝う。

 瞬時に脳裏で作り出された映像は教室の中心で堂々とソフィアに手作り弁当を食べさせて貰っている図で、脳内で作ったそのイメージですら、他の生徒達の注目を集めてしまっていた。ソフィアの美貌と転校生という話題性からして、現実ではきっとそれ以上だろう。

 圭太郎の全身に悪寒が走った。それだけは避けねばならぬ。

 

「……私のお弁当嫌ですか?」


 ソフィアが悲しそうな声で、捨てられた子犬のような目で見てきたので、圭太郎は二つ返事で受け入れそうになった、が、どうにかその答えは飲み込んだ。


「まさか。嫌じゃないって」

 

 そう、嫌な訳がない。ソフィアの弁当は食べたい。死ぬほど食べたい。それぐらいに魅力的だ。

 それでも、ここは心を鬼にして断るしかないのだ。食べさせて貰う貰わないに関係なく、断る選択肢しかもとよりない。

 

「けど、学校では極力俺以外と過ごして欲しい。家でも学校でも常に一緒にいたら、昔と変わらないだろ?ソフィアの手料理には劣るが食堂のご飯だって美味しいし、それに何より食事ってのは良いコミュニケーションの場になるからな。転入したてのお前が友達作りをする場としては、食堂こそが最適な空間なんだよ」


 叡峰学園は生徒の食堂使用率が極めて高い。弁当派はごくごく少数だ。食堂が無料なので、当然の帰結である。

 となれば円滑に早々に効率的に人間関係を構築するのならば、食堂で他の生徒達と一緒に食事をとった方が良い。つまりは、転入したてのソフィアが弁当を自分と二人きりで食べるなど、圭太郎からしたらもってのほかなのだ。


(ソフィアは絶対に人気者になる。こんな事をしている場面を誰かに見られたら、嫉妬を買うのは避けられない。あんな目で見られるのはもう二度と御免だ。今まで通り俺が平穏無事な暮らしを送るためには、ソフィアとの交流の一切を学校という場においては完全に断ち切っておくのは大前提。それに……俺なんかといたら、ソフィアの株が落ちる)


 圭太郎はソフィアの日本での高校生活は、小学校の頃とは違って充実的なものにさせてやりたいと考えている。

 なので、教室の隅でひっそりと生きるのを選んだ自分と過ごすのは、正真正銘の悪手でしかない。ソフィアの青春の足を引っ張りたくはない。

 

「…………分かりました。そうですね。圭太郎の言う通りです。学校では出来るだけ我慢します」

「何だ、てっきりもっとゴネられるかと思ってた」


 多少の問答は織り込み済みだったが、想定よりもあっさりと受け入れてくれたソフィアに、圭太郎はひとまず安心する。

 

「そんな事はしないです。私だって友達を作れるようになりましたから、圭太郎は何も心配しなくていいですよ。本当に本当に心配なんて無いですよ?私と心配はもう無縁なんです」

「そっか……成長したな、ソフィアは」


 やけに心配が無いという事を強調してくるソフィアを圭太郎は不思議に思いながらも、その成長ぶりを頼もしく感じた。同時に自分がちっぽけにも思えた。

 

「はい、たくさんたくさん頑張りました……圭太郎、約束思い出せそうですか?」

「いや、何故かそれだけが全然思い出せない」

「……むぅ、やっぱり長期戦になりそうですね」


 虫食いのようにソフィアとの約束だけが、やはりピンポイントで思い出せない。

 額を押さえて考え込む圭太郎を見つめながら、ソフィアは残念そうにむくれる。

 

「なあ、そんなに大事な事を俺はお前と約束してたのか?」

「大事ですよ。世界一大事です。それ以外は何も大事じゃないぐらい大事な約束です」

「そこまでか。んー……それは早く思い出したいな。内容が気になりすぎる」


 そんな重大な約束をどうして忘れているのかと、圭太郎は自分の天邪鬼あまのじゃくな脳味噌を恨みたくなった。

 内容が気になってもどかしい。早く思い出したい。

 

「そうですよ。早く思い出してくださいね……はい、あーん」

「あむ、……ん、りょーかいです」


 またソフィアに料理を食べさせて貰い、圭太郎は自分が一人で食事すら出来ない人間になってしまう可能性に怯えつつも、約束を思い出す事を改めて心に固く誓った。

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