手料理を振る舞われる

「ふんふふ〜ん♪ふんふんふ〜ん♪」


 キッチンの方から上機嫌な鼻歌が聞こえてくる。

 リビングのソファに座りながらテレビを見ていた圭太郎は、白いエプロン姿で料理に勤しんでいるソフィアの背中を、ちらっと覗き見た。

 途端に、

 

(なんか新婚生活みたいだな……って、何を考えてんだ馬鹿)


 降って湧いてくる雑念達。

 その良くない考えを脳内からシャットアウトするために、圭太郎は右に左に乱暴に頭を振るった。キツツキみたいに壁に額を打ち付けたくもなったが、流石にそれは辞めておいた。

 

(……まさかソフィアの手料理を食べる日が来るとは、微塵も思わなかった。全部美味そうだ……)


 既に食卓の上には何品もの料理が並んでいて、そのどれもが圭太郎の食欲をくすぐってくる。お腹はもうペコペコだ。

 手伝いもせずに料理を作って貰っているという贅沢さ。そこに罪悪感を抱きつつも、圭太郎はソフィアの料理が完成するのを心から待ち侘びていた。

  

「圭太郎、もう少しで出来ますよ」

「よしきた。米は盛らせて頂きます」

「はい、お願いします」


 その言葉を合図に圭太郎はソファから立ち上がると、炊飯器の方へと向かい、茶碗二つに米を盛っていく。

 そして、食卓に並べた。配膳は隣同士だ。当然対面は空いているのだが、何故かこうなっている。ソフィアがそうしたいと言ったのだから、圭太郎にも特に断る理由は無かった。


「お待たせしました。最後の一品は定番の肉じゃがですよ」


 コトッという音を立てながら、ソフィアが最後の一皿を置く。その皿にのっている出来立ての肉じゃがからは、とても良い香りが漂っていた。

 空いた胃が活発に行動し始めるのを、圭太郎は感じた。


「すげー美味そう。和食の定番揃い踏みで壮観だ。そうそう、こういうので良いんだよ」


 肉じゃがの他には味噌汁、小松菜と人参の和え物、アジの塩焼き。定番中の定番ばかりだからこそ、これが良いと、圭太郎は思わず口に出してしまう。

 

「たくさんの愛をこめて作りましたから、いっぱい食べてください」


 ソフィアが頬を微かに赤らめながら、圭太郎の右隣に腰を下ろす。肩が触れ合いそうになる至近距離。圭太郎が左利きで無かったならば、食事にかなりの支障をきたしていた事だろう。


「なるほど、それは絶対に美味いな。いただきます」

 

 それを聞いた圭太郎を信心深く両手を合わせて、自然の恵みと聖母ソフィアに熱心な感謝を捧げた。

 

「な、何だか緊張しますね」


 そわそわとしているソフィアを尻目に、圭太郎は味噌汁の入ったお椀を手に取ると、まずはその香りを楽しむ。

 料理に全く詳しくない圭太郎をして、一嗅ぎしただけで、味噌と出汁のバランスなどが絶妙である事を瞬時に理解出来てしまう、それほどまでに群を抜いた完成度。

 鼻腔をくすぐる香りに、ぐう……と腹の虫が鳴った。


「……まず匂いが良いな。味噌と出汁と具材の比率が完璧だという事が、この時点で分かる。では……」

 

 お椀に口をつける。

 途端に口中に広がる味噌と出汁の風味は柔らかくまろやかで、はぁ……と無意識に圭太郎は深く息を吐いてしまった。

 舌にいつまでも残るような濃さはなくて、他の料理の邪魔はしない。だがしかし、味が薄いのかと言われたらそれもまた違う、計算され尽くした配分。

 そこに真心までのっているのだ。完璧な逸品だ。


「…………美味い。ただただ、美味い。他に何か言うのが野暮なぐらい美味い」

「えへへ、お口に合ったようで何よりです」

 

 この味噌汁はもはや実家だ。今後の圭太郎の人生の中に無ければならない味に、一瞬でなってしまった。

 ソフィアに対して感謝の言葉を伝えたいのに、この味を言葉で表現出来る気がしない。しようとするのすらも、野暮に感じる。

 

「敢えて何かを言うとすれば、これは安心する味だ。毎日食べたいというか……そういう味だ」


 どうにか言葉として絞り出したのは、味そのものというよりも感情的な表現方法。

 

「そ、それはつまりつまり俺のために毎日味噌汁を作って欲しい……という事ですか?」

「ああ、てか俺に限らず誰だって作って欲しくなると思うぞ。これを毎日飲めるのなら、その人生は幸せだと思う」

「…………はぅ、………」


 ほぼ直接的に求婚の台詞を言っている事を圭太郎は、自覚していない。ただただ、ソフィアの腕前に感服していた。

 次に圭太郎が箸を伸ばしたのは、小松菜と人参の和え物。

 

「うお……野菜ってこんなに美味くなるのか。小松菜、お前ってただの葉っぱじゃなかったのな……」


 鮮やかな色味、香ばしい胡麻油の香り、噛んだ瞬間に大地の恵みが口中に染み渡る。

 野菜とはかくも美味しいものだったのか。圭太郎は驚きを隠せなかった。

 お次に圭太郎の口に入るのはアジの塩焼き。

 

「うま……焼き加減も塩加減も完璧だ。完璧すぎてもはや怖い」


 皮はパリッとしているのに、身には箸がするっと鮮やかに通った。口の中ではふんわりと、身のほぐれ方から違う。

 これはその道何十年のプロにしか出来ない焼き方なのではないか、圭太郎はそう思った。

 最後の肉じゃがは、

 

「………………泣きそうだ」


 涙が出そうな味だった。

 家庭的な料理の定番と言えば煮物で、肉じゃがはその中でもトップに位置していると圭太郎は考えている。

 全身がポカポカと幸せに包み込まれた。至福だった。


「な、何か味付けを間違えちゃってましたか!?」

「違う。心にジーンときて、泣きそうなんだ」


 わたわたと慌てているソフィアに対して、圭太郎はゆっくりと首を振って、ハッキリと口に出して、そう伝えた。


「ソフィア、流石にお前凄すぎるって……っ」

「ふぁっ、……け、圭太郎がお気に召してくれたようで何よりです……」


 感動とか色々なものが心の奥から込み上げてきて、圭太郎は箸を置くと同時に我慢出来ず、ソフィアを強く抱き締めてしまう。

 

「最高だ……美味すぎる……っ」


 すっぽりと自らの腕の中におさめたソフィアの耳元で、圭太郎は感嘆の声を漏らした。心の底から感激しているのが良く分かる声色だった。

 

「どうしよう、俺はもうお前以外の料理じゃ満足出来なくなりそうだ」


 こんなのは実質、ただのプロポーズである。

 当の本人はやっぱりその事に気付いていないのだが、ソフィアは圭太郎の背中に手を回して、


「……なっていいんですよ。私以外では満足できなくなって欲しいんです……」


 と、甘ったるく、囁き返した。

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