ソフィアの部屋

「今日からここがソフィアの部屋だ」


 埃一つ無いキラキラと輝いた新築同然の部屋の中へと、圭太郎とソフィアは足を踏み入れる。

 バッチリと掃除の行き届いている室内には高そうなベッドやソファが置いてあって、圭太郎の部屋よりも断然快適な仕上がりとなっていた。


「ま、好きに使ってくれ」

 

 スーツケースをその辺に置いて、圭太郎は一息つきながら振り向く。

 

「ここが私の部屋……」


 ソフィアがきょろきょろと興味深そうに、あちこちに視線を彷徨わせているのが見えた。

 これから最低二年は寝床となる場所なのだから、お気に召してくれると助かるのだが。

 

「何か必要な物とかありそうか?」

 

 ベッドやソファ、机などの日常生活において必要不可欠な家具は、バッチリとこの部屋には揃っている。

 しかし、ソフィアにとって必要な物が全て揃っているのかは、また別の話だ。


「……ありそうです。ショッピングに行きたい時は圭太郎も、私と一緒に来てくれますか?」


 ソフィアが少し遠慮がちにそう尋ねてきたので、圭太郎は余計な心配をするなと言わんばかりに頷いた。

 

「元々そのつもりだ。来て早々一人で出かけさせる訳にもいかないだろ」

「圭太郎はやっぱりとってもとっても優しいです……」


 自分でも甘いものだとは思う。これがソフィア以外であれば、確実に圭太郎は断っていただろう。

 三つ子の魂百までとはよく言ったもので、圭太郎はそのことわざの意味を実体験していた。

 

「別に優しくなんてない」

「……むぅ、圭太郎はずっとずっと自分を下げすぎです……」


 また自分を卑下する圭太郎をソフィアが不服そうに頬を膨らませながら睨むが、やはりそれは可愛いだけだった。ただひたすらに可愛いだけだった。

 

「これに関しては明確に下げてない。優しいってのは誰にでも優しい人に使うべき言葉であって、俺は別に誰にも彼にも優しい聖人てな訳じゃないからな」


 圭太郎は当然のようにそう言い切る。自分が世間一般で言われる優しい人間などという部類に入るとは、欠片も思っていないのだ。

 そして、その自己評価は完全に正しいに違いない。

 

「……それはつまり私だから……圭太郎は優しいって事ですか?」

「んー…………だな。よくよく考えたら俺が他に優しくするべき人間が全く思い当たらない。ソフィアだけだ」


 ソフィアからの問いに圭太郎はしばし考え込んだ後に、あっけらかんとそう言った。

 そもそも、圭太郎は友人が少ない。優しく接するべき人間ともなれば、そこから更に限られてくる。今接点のある人間の中でソフィア以外の誰かは、まるで思い浮かばなかった。

 

「えへ、そうですか……えへへ、そうなんですか……えへへへ、そうなんですね……っ」


 圭太郎に自分だけなんて言われたソフィアが平静でいられる筈もなく、作画が変わったのかと思ってしまうぐらいその表情には締まりが無くなってきている。

 率直に言うと、顔がゆるゆるになっていた。

 

「ソフィア、大丈夫か?何か顔がおかしくなってるぞ」

「……は!だ、大丈夫です!……浮かれては駄目ですよ私……圭太郎は無自覚さんなんですから……っ!」


 バッと弾かれたようにソフィアが顔を上げ、表情筋に慌てて力を入れながら首を振る。バシバシとそのまま何度も顔を叩いて、ソフィアはひとりでに緩んでしまう頬を必死に叱っていた。

 

「ならいいんだけどさ。じゃ、改めて飯をどうするかも決めとくか。今の時代ネットで検索すればレシピはわんさか出てくるし、俺も最低限はこなせると思う。曜日で当番決めるか?」


 部屋に向かっている最中にしていた話題を、圭太郎は再度持ち出す。部屋決めと同じくらい、共同生活において料理の担当決めとは重要な事だ。

 料理をした事がまるで無いので不安ではあるが、俺だけやらない訳にもいかないよなぁ、と圭太郎は心の中で溜息を吐きながら、そんな提案をする。

 願わくば週七日のうちの三日の方を担当したいと、圭太郎は考えている。四日は嫌だ。

 

「ノー!私が作ります!全部私に任せてください!」


 ソフィアが拳を握り締めて、願ってもいない事を申し出てきたので、圭太郎の鼓動はついつい高鳴ってしまった。

 しかし、

 

「ありがたい話だが、流石に遠慮させてくれ。任せっぱなしにするのは駄目だろ。それにお前の負担だけが大きくなるし」


 と、圭太郎は涙を呑みながらその申し出を断る。

 本心では当然全てを任せたいと思っているが、そうしたら甘え尽くしになりそうで怖い。

 圭太郎にも良心はあるのだ。それに片側にばかり重みが偏れば、往々にして最後には全てが崩壊するものである。負担は等分にしなければならない。

 

「作るったら作るんです!何のために私が料理を勉強したと思っているんですか!そんなの圭太郎に手料理を振る舞うためですよ!それ以外ないです!なのでなので!遠慮せずに私に任せてください!」


 瞳にメラメラと炎を灯したソフィアが有無も言わさぬ勢いで、圭太郎の意見を封殺しにかかった。

 そんなにも上達した料理の腕前とやらを俺に自慢したいのかと、圭太郎は不思議に思う。

 

「……分かった。ありがとな。けど面倒になったらすぐに言えよ」

「はい!お任せあれです!ドドンと来いです!」


 結局、圭太郎は押し切られてしまった。最初から揺らいでいたのだから、それも仕方のない話だった。ただでさえ押しに弱い圭太郎の心のほころびを突いたソフィアの勝利である。

 まあ、楽をしたい圭太郎にとってもこれは実質勝利だった。

 つまりは双方の勝利である。誰も損をしてはいない。

 

「……まずは胃袋を掴むべし……ですよね」


 ソフィアが何やら怪しいメモを取り出して、ブツブツと何かを言っているが、圭太郎は全く気が付かなかった。

 何故かと言えば、


(……助かった。ソフィアには感謝しかないな。早起きして朝食作りなんて芸当を俺に出来る気がしない。母さんは偉大だな……いや待て、一人息子に何も言わずに旅立った人だぞ。それを忘れるな)


 と、圭太郎はソフィアに深々と感謝していたからだ。

 流れで母親にも感謝したが、すぐに全ての張本人だった事を思い出すと、圭太郎は自分にそう言い聞かせて、考えを改めた。

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