聞いてないぞ

「そうだ、通う学校ってもう決まってるのか?」


 ふと思い出したように、圭太郎は首を捻りながらソフィアにそう尋ねる。無期限のホームステイともなれば、前とは大分勝手が違ってくるだろう。むしろそんな異質なものをホームステイと呼ぶのが正しいのかも分からないが。


「はい。勿論、圭太郎と同じ学校です」


 ソフィアはさらりとそう答えた。それはもう当然のように。

 

「マジか。うちってそこそこの進学校なのに、ソフィアお前やるなぁ」

「えへへ、私頑張りました。もっともっと褒めてくれてもいいんですよ?」

「日本語も流暢になってるし、本当に頑張ってきたんだな。偉い偉い」


 圭太郎はずいっと差し出されたソフィアの頭を緩やかに撫で回して、これまでの努力をおもんぱかりながらソフィアを労う。

 小学生の頃は常にこんな風にソフィアに接していたんだろうなと誰もが察せるぐらいには、板についた振る舞いだった。

 圭太郎に撫でられているソフィアはと言えば、にへにへと幸せそうなものである。ソフィアが犬だったらブンブンと引きちぎれそうなぐらいに、尻尾を振っていた事だろう。


「ふっ、馬鹿を言え。そこそこの進学校などではない。我が叡峰えいほう学園は全国でも屈指の進学実績を誇る超進学校だ。ゆくゆくは日本一……いや、世界一の学校になるだろう」

「えっ、ソフィアさん叡峰に来るんだ?凄いね。うちの転入試験って死ぬほど難しいって聞くのに」

「そうですね。とてもとても難しかったですけれど、何とか合格出来ました。運が良かったです」


 博史が自慢げに眼鏡をスチャッと掛け直し、椿は感心したように息を漏らす。

 ソフィアは謙遜しているが、運が良いだけで突破出来るほど、圭太郎達の通う学校は易しくない。


(え、あの子達って叡峰の生徒さんなの?)

(叡峰の子達も勉強以外のお話とかするのね)


 叡峰という名前が出ただけで、此方の様子をうかがっていた周囲の者達の反応が、ガラリと変わった。それだけのネームバリューが叡峰にはあるのだ。


 私立叡峰学園。

 画期的で効率的な新時代の教育方法の確立を目的として、世界有数の資産家一ノ山いちのやま 総一そういちによって作られた、革新的な学びの園。

 今年で創立十四年目と歴史自体は浅いものの、県内では既に頭二つは抜けており、全国でもトップレベルの偏差値を誇る、中高一貫の進学校。

 それが圭太郎達の通う、叡峰学園という学校である。


(ならさっきのアレは社会実験か何かだったのかしら?行動の心理学みたいな)

(多分そうよ。何か意味があるのよ。だってあの叡峰学園の生徒さんなのよ?)


 叡峰の名の下では、圭太郎の奇行も好意的に受け止められる。何を言ったかではなく誰が言ったか、それをまさに体現していた。

 

「圭太郎と同じクラスになれるといいんですけど……」


 ソフィアがぽつりとそう呟くと、圭太郎は首を横に振った。


「まあ無理だ。転入試験で受かったんならクラスはAか、最低でもBになると思う。だよな?Aクラスの椿くん」

「うん、そうだね。試験のレベルを考えるとそれが妥当だと思うよ。残念ながらうちの学校は高等部からは学力ごとにクラスが完全に分けられちゃうから」

「はっはっは!圭太郎は今年もまたDクラスの最有力候補だからな!」

「それはお前もだろうが……」


 自分の事は棚に上げて高笑いしている博史を圭太郎は呆れた顔で眺める。


「あう……そうなんですか、残念です……」


 ソフィアが眉も肩も悲しそうに落としながら、


「でも不思議です。日本ではDが一番上だなんて……何だか違和感がありますよ」


 と、ぽつり、また呟いた。


「いや、普通に日本でもランクで言えばAがトップで、順にそこから下がってく方式だぞ」

「それだともっともっとおかしくなります。どうして圭太郎が一番下のクラスになるんですか?」


 圭太郎の言葉を聞いて、ソフィアは心底不思議そうにキョトンとした顔で首を傾げる。昔何かのテレビ番組で見た、とても庇護欲をそそられる小動物の仕草に良く似ていた。


「どうしてって……それはお前、俺の成績が悪いから以外に無いだろ?」


 圭太郎は当たり前のように、そう言った。学力で分けられているのだから成績不振以外で、下位クラスに位置付けられる理由など無い。逆に他の何かが存在するのならば、それは不正以外の何物でも無いだろう。

 

「圭太郎は常に落第点スレスレで生きているからな。逆にどうして貴様が留年せずに進級が出来たのかが俺には不思議でならん」

「ほざけ。歴史以外は俺とそう変わらない分際で」

「だとしても得意科目すら無い奴よりは幾分もマシだ」


 圭太郎と博史がそんな格好が付かない内容で言い争いをしていれば、


「そっそんなの凄く凄くおかしいです!だって圭太郎は天才ですもんっ!圭太郎は凄いんです!」


 机をバシンッ!と両手で叩いて、大好きなヒーローが否定でもされたかのように、そんなの認められないと言わんばかりに、ソフィアが大きく声を荒げた。


「……落ち着け」

「でも、でもっ……!圭太郎は凄いんです……絶対絶対に凄いんです……っ……圭太郎はいつだって私を助けてくれて……っ」

「分かった分かった。だからな、ほら、落ち着け」


 ぐずるソフィアの背中をさするように優しく撫でながら宥めていく。援護されている筈の圭太郎が今一番困り果てていた。心臓がバクバクと騒がしい。


「と言われましても、こやつとは中三からの腐れ縁ですが……今まで天才だと思った事はただの一度も……」

「博史……」

「ま、まあそうだな!叡峰に合格するレベルなのだから幼き頃に天才として扱われていたのは分かるがな!かくいう俺も地元では神童と持て囃されていた時代もあったものだ!ああ懐かしいな!」


 椿からの鋭いひと睨みを受けて、博史は慌てた様子で圭太郎の擁護に回った。


「ボクはソフィアさんに同意するよ。だって圭太郎っていっつも本気出してないでしょ?常にどこか余力を残してるよね。そろそろボクにも圭太郎の本気を見せて欲しいな」

「馬鹿言え。俺は常に本気の本気の全力投球だ。高校球児も真っ青の本気ぶりだ」


 毎度毎度ただの怠け者を買い被りすぎだ、椿の言葉に圭太郎は思わず嘆息してしまう。


「そうですっ!圭太郎は凄いんです!私が初めて圭太郎と会った時はお互いの言語がてんで話せなかったのでコミュニケーションが全く取れませんでしたが、その三日後には圭太郎は英語を話せるようになっていたんです!」

「なっ、圭太郎それは本当なのか?だが貴様の英語の成績は別に……」


 椿の言葉に背中を押されたのか、ソフィアが意気揚々と圭太郎の自慢話を始めると、博史は驚いたような顔で圭太郎の方を見る。

 

「はぁ……勘違いするなよ。本当に最低限の会話だけだ。頻出する会話のパターンだけ少し覚えて、それに簡単な単語を当て嵌めてただけに過ぎない。言語というかただのパズルだな。カタコトもいいとこだったぜ」


 息を深く吐いた後に、こともなげに圭太郎はそう言い切る。何も凄い事をしていないと暗に伝えるように。

 

「だとしても普通あり得ないと思うよ。やっぱり圭太郎は、圭太郎なんだよね」


 それを聞いた椿は、何故だか嬉しそうだった。圭太郎をして理解の出来ない、意味不明な事も言っている。


「でもそこから更に十日も経てば、圭太郎の英語に私が違和感を覚える事は無くなりました」

「それも思い出補正だ。間違いなくズタボロの英語だった。それに今じゃすっかり忘れてる。観光客の道案内すらもう怖くて出来ないね」


 どれだけ褒められようとも、圭太郎が得意げになる事は無い。圭太郎は自分を大きく見せる事は決してしないが、自分を小さく見せる事に関しては妥協しない男なのだ。


「むぅ……」


 どこまでも自分を卑下している圭太郎をソフィアは睨んでいるつもりらしいが、リスみたいに丸く膨らんだ頬もあいまって、単にそれは可愛いだけだった。


「あのね、圭太郎ってテストの点数自体は全然良くないのに、何でか赤点は一回も取った事がないんだよ。去年を通して追試とか補習を一度も受けなかったDクラスの生徒って、圭太郎ぐらいなんじゃないかな?全科目で満遍なく低得点なのに、本当おかしな話だよね」

「言われてみれば、確かに不思議ではあるな。随分と薄氷はくひょうに愛されている奴だとは思っていたが……少しばかり変な気もするような…………?」

「俺だって少しぐらいは勉強している。無論、神頼みもな。それもこれも全て敬虔けいけんな祈りの賜物たまものという訳だ。八百万やおよろずの神様方には感謝してもしきれない」


 日陰者として生きる事を最優先にしている圭太郎にとって、芳しくない方向に話の流れが進んでいる。

 ソフィアが自慢げに語ってしまうので、どうしても圭太郎に話題が集中してしまっていた。


(……拙いな。今日こんにちまで地道に積み重ねてきた功績が全て水の泡になりかねない)

 

 これは良くない事だ。絶対に断ち切っておかないといけない流れである。


(この嫌な流れを変える手は一つしか無い、か)

 

 圭太郎はこの窮地から脱するべく、多少強引にでも話を変える事に決めた。ここで自分以外に注意を向けさせるとしたら、それはもうソフィアしか無いだろう。

 圭太郎は口を開いた。


「そういや、ソフィアはこれから家に向かうつもりだったんだろ?うちの鍵とか持ってるのか?」

「あっ、はい。ちゃんと持ってますよ。紗江さえさんから預かっています」

「ならいいんだけどさ。てか母さんめ、せめてソフィアを家まで送っていってやれよ。こんな荷物を引かせながら歩かせて、更に電車にまで乗らせようとか、可哀想だと思わないのかよ」

「圭太郎、そんなに怒らないでください。紗江さんも忙しかったんですから仕方ないです。それにそのお陰で圭太郎と一足早く再会出来ましたから」


 拍子抜けするぐらいあっさりと、話を逸らす事には成功した。それ自体はとても喜ばしい事なのだが、代わりに自分の母親の無責任振りに腹が立ったので、差し引きはゼロかもしれない。


「あ、露骨に話変えたね」

「く、合鍵だと……そして親公認……くっ、圭太郎貴様っ……!どこまで羨ましい奴なのだ……!」


 椿は圭太郎の意図を読んだが、博史は既に先ほどまでの会話を忘れて、ひたすら嫉妬に狂っていた。ここまで、圭太郎の予測通りの展開である。


「忙しいって言っても、家に送るぐらいの時間はあった筈だ」

「いえ、無理ですよ。チェックインの時間が私とほぼ入れ違いでしたから。少しお話しをして、鍵などを受け取って、それぐらいの時間しか無かったです」


 ソフィアの言葉にぴたりと圭太郎の動きが止まる。看過出来ないワードが混ざっていたような気がした。チェックインとは一体何の話なのだろうか。

 

「…………ん?チェックインって何の?」

「?勿論空港ですよ?」


 圭太郎の問いに、きょとんとした顔でソフィアは答えを返した。何故母さんが空港に用などあるのか、圭太郎の頭の中がまたもや疑問で埋め尽くされる。


「紗江さんは今日からイギリスです。あきらさんのお仕事の手伝いで、しばらくは向こうに滞在するみたいです」


 母親でも父親でもなく、ソフィアの口から伝えられる重大情報。圭太郎はぐらっと強い眩暈めまいに襲われた。視界が一瞬真っ暗になった気すらした。


「あ、もしかしたら私達が卒業するぐらいまでは戻って来れないかもしれないとも言ってました」


 もひとつ超絶重大情報。耐え切れずに圭太郎は頭を抱え、机の上へと突っ伏した。一瞬でこの現実を受け止められるほど圭太郎は図太い神経をしていない。


(丸々二年もあるじゃねぇか……!あんの自由人どもめ……!)


 ガンッ!と一際大きな音を立て、圭太郎は机に額を打ち付けた。何もかもを忘れようとしたが、ただ額が痛くなっただけだった。

 

 今日から卒業までの二年間、ソフィアと二人きりの同棲生活が、どうやら幕を開けるらしい。

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