帰りたい

 大通りから場所は変わり、先ほど圭太郎が話の種にされていたカフェへと移る。


「で、どういう事か詳しく聞かせて貰おうじゃないか。なあ圭太郎。いや……裏切り者め」

「ボクも聞きたいな。まさか圭太郎にこんなに可愛い彼女さんがいるなんてね。ボク達は親友なんだから教えてくれたっていいのに、圭太郎ってばもう水臭いよ」


 テラス席では無く店内の隅の席にて圭太郎は現在、対面に座っている友人二人に真剣マジで詰められていた。

 圭太郎の真隣に座っているのは勿論ソフィアで、その表情は花が咲いたような満開の笑顔。二人の間に隙間なんてものはまるで無くて、圭太郎の右半身にはソフィアの左半身が靴の先までピッタリとくっ付いている。

 そんな羨ましい状態なのも相まって、博史は目を血走らせながら分かり易く怒り狂っていた。椿は表情自体は穏やかだが、それが逆に酷く不気味に思える。

 針のむしろと呼んでも決して過言にはならない状況に、圭太郎の顔は自ずと引きっていた。


(……か、帰りたい……)


 片時も休まってくれない圭太郎の心。胃はキリキリと悲鳴を上げ続ける。

 ともあれ二人にソフィアを紹介しておかない事には何も始まらないので、圭太郎は横目でソフィアの方をチラチラと覗き見て、


「えーと、だな……こちらは我が家に今日からホームステイに来る……」


 と、歯切れの悪い口振りで挨拶を促す。

 

「ソフィア・リプセットと申します。いつも圭太郎がお世話になっています」


 ソフィアが丁寧に深々と頭を下げた。

 その上品な所作からは、夫の知り合いに挨拶する妻のような独特の雰囲気が滲み出ている。


「これはこれはご丁寧な挨拶心痛み入ります。自分は圭太郎の学友の司波博史と申す者です」

「ボクは七宮椿。宜しくね、ソフィアさん」

「はい、よろしくお願いします」


 三人が挨拶を交わしている様子を眺めながら、圭太郎は目の前に追いてあるグラスを手に取り、口をつけて傾けた。サハラ砂漠にも対抗し得る程度に渇いている喉をゴクゴクと冷えた水で強引に潤す。


「ねえねえ、圭太郎とソフィアさんっていつ出会ったの?」

「俺もそれが大変に気になるな。貴様との縁も今年で三年目に入ると言うのに、一切そんな話を聞いた覚えがないぞ?なあ?」


 ソフィアと挨拶を交わしていた時の和らいだ雰囲気から二人は再度一転し、またもや重苦しく強圧的なオーラを漂わせたので、圭太郎の喉もすぐにまた干上がった。

 これはまるで捕らえたスパイなどに行う類の尋問だ。圧迫感が違う。


「それは言う必要が無かったからであって、別にお前らに隠していた訳じゃない。小学生の頃にホームステイで俺の家にソフィアが来てたんだ。以上、終わり」

 

 圭太郎は二人に淡々と事実を伝えた。


「あっ、じゃあもしかして、さっき圭太郎の言ってた女の子ってソフィアさんの事だったりする?ほらっ、圭太郎が手を繋いだり同じ布団で眠ったり一緒にお風呂に入ってたりしてたって言ってた子」


 ピコンッ!と頭の上に感嘆符を浮かべた椿が人差し指を立ててそう言えば、ソフィアは赤く染めた頬を手で押さえながら俯いて、

 

「……はい、それは間違いなく私です。あの頃の私は圭太郎が側にいてくれないと何も出来ませんでしたから、思い出すだけで恥ずかしいです……」


 と、恥じらいの言葉を小さく溢した。

 

「お風呂の時なんて圭太郎に洗って貰ったりしてましたから……」


 次に追加で落とされた恥じらいの一言は、巨大な隕石にも等しかった。ピシリと空気が凍る音が、圭太郎にはハッキリと聞こえた。


「ほ、ほほう……そうなのか圭太郎。それはそれはまことにお優しい事で結構じゃないか。まさしく紳士だな」

「へぇ……圭太郎って昔はそんなに気が効くタイプだったんだ。今とは全く違うよね。ボクが頼んだって何もしてくれないのに」


 流石に少し引いているのか、冷え切った二人の視線を受けて、圭太郎は即座に口を開く。


「お前らが想像しているだろう低俗なものとは違う。俺はを洗ってやってたんだ。ソフィアはシャンプーが目に入るのを怖がってたから、俺が洗ってやらないといつまで経っても風呂から出られなかったんだよ」

 

 あらぬ誤解をしているだろう博史と椿に対して、圭太郎は身の潔白を主張する。ソフィアの全身をこの手でくまなく洗っていたなどと思われては困るのだ。


「それに小学生の頃の話だって言ってるだろ。邪推はやめてくれ」

「……でも、圭太郎は本当に優しかったですよ。日本語が下手で暗かった私ともずっとずっと一緒にいてくれました。圭太郎がいなかったら私はきっと死んじゃっていました」


 過去を思い返しながらぎゅうっと圭太郎の右腕を、力一杯に抱き締めていくソフィアの顔に、嘘偽りの色は無い。冗談でも何でも無く、本心からそう言っているのが良く分かる。

 

「……いくらなんでも言い過ぎだろ」

「ノー!全然言い過ぎじゃないです圭太郎!もうっ!圭太郎は分かってないですね!私がどれだけ圭太郎に救われていたのかを!」


 圭太郎がぼそりと呟いた言葉に対して、ソフィアは不平不満を示すように頬を大きく膨らませると、ぐぐっと顔を近付けながら猛抗議へ。

 

「俺は別にそんな大した事は何もしてない。所詮ただの子どもだった訳だし、単なる思い出補正だ」

「してましたよ!怖いテレビを見てしまった時に怯えていた私を圭太郎は優しく抱き締めて、何が出てきたってソフィアは俺が守るよ、って言ってくれたりしました!他にも――」


 ぶっきらぼうな圭太郎に対してまくし立てるように、熱のこもった反論を続けるソフィア。

 普段の圭太郎であれば、女子にこんな至近距離に接近されては相応に動揺を覗かせるものだが、どうやらソフィアに対してはそれが適応されないらしい。半年という短い期間であれど常にソフィアと共に過ごしていた経験が、圭太郎の体には、やはり染み付いているようだ。


「椿よ、俺はなんとわびしい人生を送っているのだろうな……舶来はくらいの少女を一つ屋根の下で付きっきりで世話するなどと……そしてこれからまた同じ家に住むなどと……俺の人生にはそんなギャルゲー的イベントは何一つとして見当たらないのだぞ……」

「博史、そう落ち込まないでよ。それが普通なんだよ。圭太郎が特別なんだよ」


 目の前で巻き起こされている輝かんばかりの青春を見た博史は、自分の灰色の人生を思い返しながら涙を呑んだ。椿はやれやれと言った様子で肩を竦める。


「ほらほら二人とも落ち着いて落ち着いて。皆こっち見てるからね」


 いさめるような椿の言葉を聞いて、圭太郎とソフィアは我へと返る。そして周囲に目を向けた。

 そこでようやく、店内にいる全員が視線を此方に向けている事実に気が付く。圭太郎達は完全に注目の的となっていた。圭太郎はまたもやカフェの人々の話の種とされてしまうらしい。


「すまん、悪かった……」

「ご迷惑をおかけして申し訳ございません……」


 二人揃って息ぴったりに頭を下げる。何だか微笑ましい図だった。

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