再会

(うん……振り返ってみても、俺に悪いところなんてのは欠片も無いな。完全なる貰い事故だ。この場から走って逃げたって何も悪くないだろ。むしろそれが普通だ。至極当然の判断だ)


 理解していてもなお圭太郎はそれを実行には移せない。なんだかんだ圭太郎という男は、変なところで義理堅い男なのだ。身内に甘いとも言えるだろう。

 圭太郎は自分からは一切行動を起こさない。面倒な事は大嫌いで、頑張るなんてのは論外。常に部屋の中で無為に時を過ごして眠りこけていたい。そんな無気力人間だ。

 だというのにも関わらず、一度でも巻き込まれてしまえば、どんな面倒ごとだろうとも途中では投げ出さない。例え無理やりさせられた約束であろうと、一度すると決めた事を途中で放り出せるような、無責任な人間ではないのだ。

 とてもいびつで難儀な性格をしているが、それがまた圭太郎の魅力でもあった。


(…………仕方ない、腹をくくるか。さっさと済ませて家に帰ろう)


 圭太郎は深く深く息を吐いた後に、ようやく決意を固めた。そうと決まればまずは話しかける相手を選ぶ事にする。

 

(優しく断ってくれそうな人が良い。睨まれて罵倒でもされたら死にたくなる。派手な見た目の人は避けよう。となると黒髪で穏やかな雰囲気の人、か)


 思考を巡らせながら、圭太郎は周囲を見渡した。


(駄目だ……俺が話しかけられそうな御方がいない。あの杖をついたお婆さんは駄目だろうか?うん、駄目だろうな)


 声をかける事を念頭に置くと、どんな人間も恐ろしく見えてくる。誰を選んでも傷付く未来しか見えてこない。

 圭太郎の心は早くも折れかけた。


(綾坂圭太郎、お前は何をしているんだ。適当に挨拶でもして終わらせろ。そして家に帰るんだ。このままだと一向に終わらな……ん、何だ?)


 圭太郎が己の不甲斐なさに歯噛みしていると、その途中で前方がザワザワと騒がしくなり始めている事に気が付いた。


(撮影か何かか?)


 通りの中心が少しずつ開き始め、道の脇の方に人が自然と固まり始めている。誰かが歩いている姿を遠巻きに眺めているらしい。

 有名人でも来ているのだろうか、圭太郎はとりあえず他をならって道の脇へと逸れる事にした。

 すると右からは博史がやれやれと額を押さえながら、左からは椿が楽しそうに、圭太郎へと声をかけてくる。


「圭太郎、元彼女持ちが聞いて呆れるぞ。何だあの不甲斐のない姿は。見ているこちらが恥ずかしくなったぞ」

「えー、そうかな?ボクは見てて飽きなかったけどね。いくらでも見てられそうだったよ」

「お前らなぁ……」


 噛み付くような目付きで左右の二人を睨みつつも、自身のナンパの方はこのまま有耶無耶うやむやに出来そうなので、圭太郎はこの謎の出来事に心の底から感謝した。


「それにしても一体なんだというのだ?」

「もしかしたら誰か芸能人でも来てるのかもね」

「だとしたらプライベートだ。カメラとかがあるようには見えない。そっとしておいてやれよ。ジロジロと他人に見られるのは気持ちの良いもんじゃないだろ。さ、帰ろう」


 段々と此方に近付いて来ている影は一つだけで、その周りにカメラらしきものは見当たらない。

 圭太郎はこの騒ぎに乗じて帰宅する事しか考えていなかった。気を取られている二人にそう言い残し、そそくさと離脱するべく歩き始めたら、


「いやー目の保養になった」

「ああ、あの子はまさに人形みたいだったな。もしくは妖精っていうか」

「俺ヨーロッパにでも留学しよっかなー。そんで現地で金髪碧眼のナイスバディな彼女を作る。よしっ決めた」

「全員がああなわけないだろ。夢見んなよ。ガッカリするだけだぜ」


 前方から歩いて来た男達がほくほく顔で交わしている、会話の内容が耳に届く。どうやらこの騒動は金髪碧眼の異国の美少女とやらが原因らしい。

 その情報を聞いた圭太郎の脳裏を掠めるのは、遠い昔の記憶。


(まさか今日だけで二度も思い出す事になるとはな。ここ数年はすっかり忘れていたってのに。――ソフィアは元気にしてるんだろうか)


 半年の間、ホームステイで圭太郎の家に来ていたソフィアもまた、金髪碧眼に該当する女の子だった。

 ソフィアはいつも俯いていて、長い前髪で目元を隠している人見知りの激しい少女だったが、圭太郎にのみは心を開いていた。そんなソフィアは圭太郎にとっても、かけがえのない存在だった。

 外国では日本よりも暗い性格の人間が生きづらいと聞いている。ソフィアが今も元気で過ごしている事を、圭太郎は心の底から祈った。


「お前声かけてこいよ」

「無理だ。あれは気軽に声をかけていい存在じゃない。むしろ三次元に存在してるのがおかしい」

「でもスーツケース引いてるし、きっと旅行者だろ?道案内とか頼まれたりするかもよ」

「ないない」


 人々にここまで言われるほどの美貌を持つらしい少女。それはそれは相当なものなんだろう。

 だからと言って、別にどうという事でも無いが。圭太郎は歩き続ける。


「はあ……ほんと綺麗、憧れちゃう」

「顔が小さくて、背が高くて、脚が長くて……羨ましいなぁー……」

「海外の有名モデルさんかもね」


 同性の少女達までもが、恍惚とした眼差しを道の中心に向けているのが見えた。

 憧れ、羨望、そういった感情満載で感嘆の声を漏らしている少女達を眺めながら、圭太郎は、


(綺麗すぎるのも大変だな。あんな目でずっと見られてたら、気を抜く暇も無いだろうに)


 と、見ず知らずの美少女に、勝手な同情をしていた。

 奇異の目で見られるのが苦手な圭太郎からすれば、恐ろしくて堪らない環境である。想像しただけでブルッと体が震えた。


(ま、別に俺には関係ないんだが。隅っこでひっそりと生きている日陰者の俺には)


 フッとニヒルな笑みを浮かべつつ、圭太郎が更に歩みを進めていると、バタバタと騒がしい足音が後方から近付いて来た。


「おい待て圭太郎!」

「まったく圭太郎はこれだから圭太郎なんだよね」


 己の名前を連呼しながら、慌て半分呆れ半分といった感じで追いかけて来た二人に気が付くと、圭太郎は観念したように足を止める。

 ちっ、バレたか……、逃走に失敗してしまった圭太郎は深い溜息を吐いた後、


「そんなに人の名前を連呼するなよ。恥ずかしいだろ」


 と、渋々ながら振り返ろうとしたが、その途中で、


「……圭、太郎……?」


 と、まるで頭の中で反芻はんすうでもしているような風に、疑問符混じりに自分の名前を呼ばれる。

 その声は、聴き心地の良い音階の綺麗なソプラノボイスだった。

 つまりは後ろの二人ではないという事がすぐに分かる。

 では誰なのかと問われたら答えは簡単で、今この大通りで一番注目を集めている人物。

 自然と圭太郎は声が聞こえた方に、道の中心の方に、視線を向けていた。

 

「……圭太郎……っ? 」


 そこに立っていたのは白いパーカー姿のこれぞ天使という風なルックスをしている、見目麗しい金髪碧眼の少女だった。頭の右側についているトレードマークらしき青色のリボンが爽やかで、とても良く似合っている。

 それにしても何故だろうか、その子は異常とも言えるほどに驚いているようで、その証拠に黄色いスーツケースが地面に向かって勢い良く倒れ、今ちょうどドタン!と激しい音が鳴り響いた。余りの動揺に力が抜けたに違いない。

 

 圭太郎の方はと言えば、不覚にもその少女に見惚れてしまっていた。時さえ止まったような気がした。まるで全身を雷で打たれたようだった。

 

 此方を真っ直ぐに見つめている大きな瞳から、圭太郎は目を離せない。澄み渡った海にも似た輝きを放つ、どこまでも青いその瞳に、圭太郎は思わず吸い込まれそうになっていたのだ。

 そこからどうにかこうにか目を逸らして、逃れるように圭太郎が視線を彷徨さまよわせると、順に目に入って来たのは、すっと通ったシャープな鼻梁びりょうと、薄ピンクのふっくらとつややかな唇。

 目、鼻、口、全てのパーツが理想的だった。額縁とも言える輪郭の整った小さな顔に、それら全てが完璧な配置で収められているのだ。端正にもほどがあるだろう。

 しかもその顔面だけでは飽き足らず、荒れの一つも無い透き通った白い肌は粉雪のように滑らかで、肩の少し下辺りまで伸びている黄金の髪はキラキラと宝石のように煌めいており、染めた金髪とはまるで違った。

 何と言う事だ。どれだけ見ても、どこにも欠点が見当たらない。

 テレビでも滅多にお目にかかれないだろう圧倒的な造形美をした、異国の美少女。非の打ち所のない美少女。

 なるほど、注目が集まる訳だ。日本で見れるとは何て運が良い。


 だがしかし、いつまでもそうやって目の前の少女に見入っている訳にもいかないだろう。この間も時間は着々と進んでいるのだ。

 脳内で溢れ返っている疑問をどうにかしない事には、話が進まない。何も見えてこない。なので、圭太郎は考える。


(何でこの子が俺の名前を知っているんだ?いや、それは偶然聞こえたからか。だが待て、聞こえたからってなんだ?そんなの無視すればいいだけだろ。それ以前に何でそんな驚いたようなリアクションをこの子がしているのかが疑問だ。まるで数年ぶりに家族にでも再会したかのような……そんな風に見えるが……)


 圭太郎が頭を働かせる事に集中していると、知らぬ間にその可憐な少女が、自分の元へと一直線に駆け寄って来ていた。


「ずっとずーっと会いたかったです……っ!圭太郎っ!」


 思考のマリアナ海溝から浮上するよりも先に、圭太郎は異国の美少女からの熱い抱擁を受ける。しなやかな曲線を描いていて、スラッと細いのに出るとこは出ている抜群のスタイルは、グラビアアイドルも真っ青だ。

 そんな体が惜しげもなくぎゅうぎゅうと全身に押し付けられて、首の裏にしっかりと腕まで回されてしまえば、たちまちのうちに圭太郎も騒動の渦中に身を置く事となる。


「おい圭太郎!貴様っ!どういう事だ!?なんて羨ましいんだ!おのれ!許さんぞ!!なぜ貴様が!」

「わーお……やっぱり圭太郎は、凄いね」


 周囲の喧騒の中でも鮮明に聞こえてくる二人の声、圭太郎は現状を理解するまでに十秒は費やした。余りにも奇想天外な展開に思考が急停止したのだから、それも仕方あるまい。

 

「ちょ、ちょっと待ってくれ。悪いけど人違いだ。だって俺は君みたいな可愛い子と知り合いになった覚えがない」

「か、かわ……っ…………う、嬉しいですけど……複雑ですねこれ……っ」


 初対面で抱いた率直な第一印象を、朝におはようと母親に挨拶しているかのように、よどみなく流暢りゅうちょうに圭太郎が口に出すと、瞬く間に少女の顔が朱色に染まった。

 照れているようで、でも嬉しそうで、だけど残念そうな、そんな色んな感情が混ざった顔で少女がもごもごと口を動かし、やがて、バッと勢い良く顔を上げたかと思えば、おずおずと尋ねてくる。

 

「……け、圭太郎……もしかして私の事忘れちゃいましたか……?」


 透明な水晶玉が今にも溢れ落ちてきそうな、寂しそうに潤んだ青い瞳に、圭太郎はじっと上目遣いで見つめられる。並大抵の男子であれば、一瞬で恋に落ちるだろう程度の破壊力。

 しかし、その宝石みたいに綺麗な瞳に反射する圭太郎の顔は、よこしまな感情ゼロの戸惑い全開顔だった。色恋にかまけていられるほどの精神的余裕は、今の圭太郎には無かった。


(忘れたって言われても、俺の外国人の知り合いなんてのはそれこそソフィアぐらいで……って待てよ、この青いリボンどこかで見覚えが……。そうだ、誕生日に俺がソフィアに渡したやつと同じだ。思い出した。って事はこの子まさか……っ)


 そこまで思い至ると、急にその少女の何もかもに既視感を覚えた。普段は髪で隠れているせいで、圭太郎以外に見れた者が殆どいない青の瞳。陽だまりのように安らぐ体温。

 むにゅむにゅと押し当たっているたわわな財宝には覚えが無いが、圭太郎はついにこの少女の正体に辿り着いた。


「いや、覚えてるに決まってるだろ。久しぶりだな、ソフィア。何だ……元気そうで良かった。俺安心したよ」

「圭太郎っ!!圭太郎に会うために私また日本に来ましたっ!!」


 この少女がソフィアだと分かれば、圭太郎の動揺は潮が引くように収まった。心を許せる存在を体が良く覚えていたんだろう。

 圭太郎はソフィアの頭を慣れた手つきで自然と撫でていた。絹糸のような金の髪には、指がするりと良く通る。


「なら旅行って事か?何日間?泊まる場所は?」

「違いますよ!また圭太郎の家でホームステイです!今回は前と違って期間なんて無いですよ!これからはずっとずっと一緒です!」

「へぇ、そうなのか…………は?」


 ソフィアの言葉に、圭太郎の手がピタッと止まる。そんな重大な事を何一つ聞いた覚えがない。

 母親の顔が頭に浮かんだ。母さんがニコニコしていた真の理由はこれか、圭太郎は今になってようやく、あの笑顔の真髄を理解した。


「圭太郎!約束果たして貰いますからね!」

「……約束って、何だっけ?」


 別れ際に何かしらの約束をしたという記憶自体はある。だが、その内容を圭太郎はしっかりと忘れていた。

 

「………………圭太郎、それ本気の本気で言ってますか?」

「いやその……ごめんなさい」


 ソフィアがえらくじっとりとした目で見つめてきたので、圭太郎は居心地悪そうに斜め上を向く。


「それならいいです。圭太郎が思い出してくれるまで私待ちます。なので思い出したその時は、圭太郎の方から先に言ってくださいね」

「…………はい、分かりました。是非ともそうさせて頂きます」

「私はもうどこにも行きませんから。その時が来るまでずっと――」


 不意にソフィアが背伸びをしたかと思えば、それと同時にぐいっと下へと圭太郎は引き寄せられた。

 そのままソフィアは圭太郎の耳元に唇を寄せていき、ぼそぼそと吐息混じりの甘ったるい声で、


「――ずーーっとそばで待っていますからね……圭太郎」


 と、愛おしそうにそう囁いた。

 ぞくり、圭太郎の背筋が粟立った。

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