途方に暮れる

 肌を突き刺すような強烈な寒さが和らぎ始めて、ぽかぽかとした暖かな春の訪れを感じる三月下旬。

 十六歳の男子高校生――綾坂あやさか圭太郎けいたろうは、六駅離れた隣街にある繁華街にて、途方に暮れていた。

 来たる四月に高校二年生となるこの圭太郎という男は、己から行動を起こす事が殆ど無い非活動的な人間だ。

 勿論部活は帰宅部で、趣味は睡眠。休日はもっぱら部屋に引きこもって、一日の大半をベッドの上でぐうたらと過ごしている。その甲斐あってかすくすくと順調に背が伸びて、現在の身長は185センチ。寝る子は育つとは良くぞ言ったものだ。

 因みにこんな圭太郎にも、かつてはとても活発な少年だったという過去があるのだが、時の流れとは残酷なものである。今では上述した通りの、絵に描いたような無気力人間そのものでしか無い。


 さて、そんな圭太郎が何故に繁華街などという、その生き方とは対極線に位置する場所に来ているのかと言えば、それは他者に強制されたからに他ならない。

 逃げるように見上げていた空から顔を落とし、大通りかられた裏路地の方へと圭太郎が視線を向けると、室外機の陰に体を隠しながらもそこから顔だけを出して、此方の様子を伺っている二人組と目が合う。

 片方は理知的な見た目のキリッとした眼鏡で、もう片方は線の細い華奢で小柄な糸目。

 残念ながらその怪しい二人組はただの不審者では無く、圭太郎の数少ない友人達だった。そして、この難解な状況を作り出している張本人達でもある。

 片割れの眼鏡が大きく口を開けたかと思えば、餌に食い付く金魚のようにパクパクとダイナミックに、圭太郎に向かって何かを語りかけてきた。


『は・や・く・は・な・し・か・け・ろ』


 読唇術の心得など全く無い圭太郎をして、即座にそう言っているのだと理解が出来る程度には分かり易い口の動きだった。

 その後ろでは糸目が急かすように、圭太郎の横を通りすがる女性達を次々に指差しているのが見える。

 

 見ての通り現在圭太郎は、活動的な人間の中でも最上位層の者にしか行えないナンパと呼ばれる不貞行為を、邪智な友人共によって強制されているところであった。


(無理に決まってるだろ……)

 

 かれこれ三十分以上、圭太郎は大通りのド真ん中で立ち尽くしている。

 道行く他人に自ら話しかける度胸なんてものを圭太郎が持ち合わせている訳がないので、それも仕方のない話だった。

 このまま一時間、二時間、しまいには一日中立ち尽くしていても、何らおかしくはないだろう。


(こんな事になるんなら、あんな見栄を張るべきじゃなかったな)


 本当に勘弁してくれと、目頭を指で強く押さえたら、大きな溜息が自然と圭太郎の口から溢れ落ちた。

 別に成功するまでやり続けろと無茶を言われている訳でも無いので、適当に話しかけてあっさり断られるだけで良いのだとは頭では分かっていても、体は別物のようで「すいません」という簡単な挨拶すらも上手く出てきてはくれない。

 呼吸とも言葉ともつかない雑音をひう、すう、と微かに声帯から絞り出しながら、道の真ん中で手を伸ばしたり引っ込めたりしている挙動不審な圭太郎は、その長身も相まってかなりの悪目立ちをしており、近くのカフェのテラス席で優雅なティータイムに勤しんでいる方々の話の種にされてしまっている。ヒソヒソと、それは良くない噂話だろう。

 当の本人は一杯一杯になっているお陰でそんなところにまでは気が向いておらず、そこだけは不幸中の幸いだった。もしも気付いてしまっていたのなら、圭太郎はきっと耐えられなかった。


(どうして貴重な春休みに、俺はこんな目に遭ってるんだ……)


 二年への進級を控えた三月下旬から始まる春休み。

 二週間の休日の続くこの期間は非活動的人間の圭太郎にとってはまさしく天国と呼べるものであり、惰眠を貪る怠惰な毎日である筈だった。

 だと言うのにどうして自分がこんな残忍極まりない刑罰を受けているのか、圭太郎はまた天を仰ぎ、今ここに至るまでの経緯を改めて振り返る事にする。

 決して、現実逃避が目的では無い。決して。

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