第15話
「それじゃあ、行くか」
「ねえ、あたしをどこへ連れて行く気よ? まさか、五龍会に突き出す気じゃないでしょうね?」
女が血の気が引いたような青白い顔で聞いた。それほど五龍会が怖いのだろう。
「行かねえよ、あんなところ。俺だって関わりたくねえ。特にあの、王様気取りのいけ好かない間宮って奴は気に入らねえ」
女の後ろには、男が黙ってついていた。
「なあ、その男は魔獣操士じゃないのに、なんで一緒にいるんだ?」
義則が女の連れている男を見て聞くと、
「これは、あたしの
女は素直に答えた。下僕の男は、先日も今も、一切言葉は発しなかった。ただ黙って女の傍に居て、その指示に忠実に従っている。まるで忠犬のようだと義則は思った。
「ねえ、本当に、あたしをどこへ連れて行くのよ?」
魔獣の脅威は一旦引き、女は軽く息をついて、義則にもう一度尋ねた。
「今から俺んちへ行く。なにも、あんたを取って食う気はない。雪兎、白龍にも言っとけよ。食うなって」
義則は女に答えてから、雪兎にしっかりと釘を刺しておいた。
「分かっているよ。
雪兎はそう言って、胸にぶら下がるペンダントの翡翠に触れると、それは一度、きらりと光った。
義則たちが家に着くと、女は少し怯えたように立ち止まった。目の前にあるその家は、結界で包まれていたからだ。
「大丈夫だ。さあ、入れよ。俺を信じて」
義則は怯える女にそう、声をかけて促した。
「ただいまー」
義則が言って、玄関を入ると、
「お邪魔します」
「失礼します」
雪兎と女もそれに続いた。下僕の男は無言で女のあとに続く。
「義則、お帰りなさい。雪兎君、いらっしゃい。白蛇使いの加藤さん、それと、従者の方、いらっしゃい。どうぞお上がり下さい」
と義則の母が丁寧いに出迎えた。先に帰った黒と銀色の犬たちが報告していたのだろう。白蛇使いはまだ、名を明かしてはいないが、その姓が加藤であることを母は知っていたようだ。母は笑顔で出迎えたあと、客人を客間ではなく居間へ通した。
「どうぞこちらでお待ちください」
そこは畳敷きの広い和室で、長い座卓には父の
「いらっしゃい、雪兎君。はじめまして、加藤さんとそちらの方、どうぞ座って下さい。夕ご飯をご一緒に」
父は立ち上がって彼らに席を進めた。
「お前ら、適当に座ってくれ。俺は母さんの手伝いしてくるからよ」
そう言って、義則は母のいる台所へ向かった。その場に残された雪兎と加藤だが、雪兎は笑顔で父の隣に座り、加藤は立ち尽くしたまま動けなかった。
「どうぞ、遠慮なさらないで。加藤さんは雪兎君の隣へ座って下さい。そちらの方もどうぞ」
父は笑顔でそう言って、彼らを食卓へつかせた。そこへ、義則が盆を持って入って来た。
「今日はヒレカツだぜ」
そう言って義則は嬉しそうに、一人一皿配り終えると台所へ戻って行き、次々と料理を運んでは配膳した。すべてを配り終えると、義則と母も食卓に着き、
「いただきます」
と言って、食事を始めた。白蛇使いの加藤は、この家族の雰囲気に流されて、共に食事をすることになったが、どうにも居た堪れない。最初に出会った時は、突然、義則の魔獣を奪い取ろうとして失敗し、今回は隠れて彼らの行動を探っていて見つかり、連行された。彼らにとっては敵であり、今の自分は捕虜と言う立場。それがまるで客人扱いをする、この奇妙さ。彼らの企みがまったく見えてこない不気味さに、食事も喉を通りそうにない。
「どうしたんだ? お前? 腹減ってないのか?」
食の進まない加藤を見て義則が聞いた。
「そうじゃないわ。なんなの、この茶番は? あたしをどうするつもりなの?」
加藤は義則とその家族へ敵意の目を向けた。
「何言ってんだ? お前は客だろう? どうするつもりもないぜ。もてなしが気に入らなかったのか? ヒレカツが嫌いなのか?」
と義則が言うと、
「そういう事じゃないでしょ! あたしはあんたの犬を奪おうとしたのよ。なんで、客としてもてなしてんのよ!」
加藤は我慢ならなくなって、立ち上がった。
「まあまあ、落ち着いて加藤さん。私たちはね、あなたを敵だなんて思っていないんですよ。まずは座って。
と父は加藤に優しく語り掛けた。
「その、加藤さんて、止めてもらえませんか? 加藤家は好きじゃないので」
加藤の表情は曇り、静かに座った。
「じゃあさ、お前のことは何て呼べばいいんだ?」
義則が聞くと、
「
と加藤が答えた。
「しずく? って、どんな字を書くんだ?」
義則が聞くと、
「雨の下と書く」
加藤が答えると、義則はその文字を思い浮かべて、
「綺麗な字だな」
と言って、雫に笑顔を向けた。
「雫、ヒレカツは嫌いか?」
義則が早速、雫の名前を言うと、彼女は恥ずかしそうに、
「嫌いじゃないわ。頂きます」
と言って、食べ始めた。それを見て、みんな安心したように食事を再開した。
食事が済むと、
「それで、何で魔獣狩りなんてしてるんだ?」
義則が本題に話を切り替えた。
「命令よ」
「誰の?」
「黒猫使い」
「なんでそいつの命令に従っているんだ?」
「服従の契約」
「なんだそれ?」
雫と義則の会話から、『服従の契約』と言う言葉を聞いた祖父は、
「服従の契約とは、勝負に勝った者が負けた者に課す契約の事だ。負けた者はその契約を拒否できない」
と厳しい表情で説明した。
「ひでえな。雫、その契約、どうにか出来ねえの?」
「無理よ。あたしはずっとこのまま黒猫に従うしかないわ」
「お前の白蛇が黒猫に負けたのか?」
「そうよ。仕方ないでしょ? 黒猫は強いのよ」
雫は悔しそうに言った。
「その契約には上書きが出来る。黒猫よりも強い者に負かされて、新たな服従の契約を交わせばいい」
祖父が言うと、
「じいちゃん、それじゃあ意味ねぇよ。雫は他の奴に服従しなくちゃいけねえじゃん」
義則が呆れたように言った。
「新たな服従の契約はお前がすれば問題ないだろう? 必ずしも服従させる必要はない。お前が勝ち、契約の内容を書き換えればいい」
「俺が契約を書き換えるのはいいが、雫を負かすのは嫌だぜ?」
「戦う必要はない。ただ、契約を交わすだけでいい。黒猫より、お前の黒犬の方が霊力は上だ。契約には血判が必要だ。加藤さん、あなたがそれに応じるならば、契約の上書きは容易なことだが、どうする?」
祖父は雫に委ねた。出会ったばかりの義則とその家族を信じられるわけもなく、
「考えさせてください」
と一旦、その話は保留となった。
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