4分50秒小説『amino』

 その客は、数十メートル先から凄まじいオーラを放った状態で、入店してきた。

(なんだ?!あのもみあげ?)

 「生まれて一度も手入れしたことないんですか?」と尋ねたくなる程伸び放題。音楽室の壁に飾られていたドイツ・ロマン派の音楽家達が一様に畏まって俯くレベル。


「田中君、三番のお客様お願いね」

「え?あ、はい」

(マジか?!)

 なんとなく嫌な予感はしていたが、的中してしまった。だいたいそうだ。「あのお客さん当たったら嫌だなぁ」って思ったら、自分に回って来る。

 果たして俺にあのもみあげを処理することができるのか?いや、ビビッてちゃだめだ。ここは理容室。髪を切るのが生業。もみあげのことは一先ず置いといて、カットに集中しよう。


「今日はどういった感じに?」

「んー、短めで」

 意外に普通のオーダーだ。細かい点について二三やり取りをして、カットの方向性は決まった。後は切るのみ。規格外のボリュームを持つもみあげに初めは戸惑ったが、もう大丈夫。何事も当たって砕けろだ。


 カットは順調に進んでいった。いよいよ、禁断の質問をしなければならない。心の中で声に出してみる。

(お客様、もみあげはいかがいたしましょうか?)

 聞くのは簡単だ。しかし、どんな答えが返ってくるのか……想像できない。きっと、すごいこだわりがあるはずだ。果たして今の俺の技術でお客様のオーダに応えることができるのか?

 いや待て!違うだろ?何をテンパっている。きっとお客様はこう言うに違いない。

(もみあげはそのままで)

 うん、きっとそうだ。このもみあげ、きっと何年も、いや何十年も手入れしていないはずだ。そうに違いない。このお客様に拘りがあるとすればそれは「手入れをしない」という拘りだ。

 自然のまま、ありのままのもみあげ。時に自分の意思や信念を曲ざるを得ないこんな世の中で、せめてもみあげだけでも自由でいさせたい――そういうことですよね?お客さん。このもみあげは現代社会が抱えている深い闇に対するお客様なりのMy revolutionなんですよね?

 いかんいかん。いくら心の中で問いかけていても一向に問題は解決しない。聞こう。答えはまぁ決まっている。「もみあげはそのままで」に違いない。そう祈る。


「お客様、もみあげはどうしましょうか?」

「んー、普通で」


 普通?


 嘘だろ。予想外過ぎるオーダーに視界がぐにゃる。

 

 普通?


 普通ってなんだ?この限りなく異常なもみあげに対する”普通”ってなんだ?

 まさか、普通の人と同じ長さに揃えるって訳じゃないよな?それはたぶん世間一般の普通であって、この人の普通ではないだろう。じゃあどうすれば……ちょっと揃える?いやー駄目だ駄目だ!中途半端な気持ちで鋏を入れたら、このジャングルから抜け出せなくなる。


 普通……ぽえ?


 普通ってなんなんだ?普通――それは、自然、万物の理に従い、天衣無縫であること。そう、必然的選択――普通を選択するということは、”必然”であるべきではなかろうか?


 必然――数十億年前に、原始の海で生まれたアミノ酸が、温度、塩分濃度、その他様々な外的要因を満たして生命となったは必然。生命は進化し、海を出て、樹に登り、空を飛びそして……類人猿が誕生し……知能を発達させてゆき、文明を築き、科学を起こし、そして今、もみあげに戸惑っている。かつてアミノ酸を生命に変化させたエントロピーが、今ここにも出現したのだ!聞け!神よ!ニーチェに殺害されし至高の存在よ!生命は再び岐路に立たされている!


 このままでは世界が壊れてしまう。たった数グラムの質量しかない毛髪の一部、もみあげによって視界が覆われてゆく、意識がもみあげという未知の物質に侵犯されゆく……それは今や、銀河ほどに膨張し、世界を構成している透明なタイルの一枚一枚にヒビを発生させ――駄目だ!止まれ!”目の前”が崩壊する。駄目だ!駄目だ!思考が千切れる!


 普通……普通……普通……


********************


「普通ってなんなんですかっ?!」

「うわっ、びっくりした。大丈夫?田名君」

「あ、先輩。え?あれ俺」

「突然倒れたから驚いたよ。本当に大丈夫か?どっか打ったりしてないか?」

「いや、平気です、あ、いけない!お客さんは?」

「大丈夫。俺がやっといたから」

「そうですか……すいませんでした」

「いや、全然構わないけど。ちゃんと飯食ってるか?貧血?え?メンタル的なやつか?」

「はい。まー、強いて言えばメンタル的なやつです。先輩、そういえばもみあげもアミノ酸で構成されているんですよね。皮肉な話です」

「おいおい、大丈夫か?」

「1969年、オーストラリアのマーチソンに落下した隕石には微量のアミノ酸が含まれていたと聞きます。ひょっとしたらあの物体も、宇宙から来たものなのかも知れません」

「ちょっと怖いんだけど……大丈夫だよな?田中!」

「ひとつ聞いていいですか?」

「何?」

「さっきのお客様ですが、もみあげってどうなりました?」

「『どうなりました』って……いや、『普通にしてくれ』っていうから、普通にしといたよ。今日はもう上がりでいいからな。ちゃんと寝ろよ!じゃ、俺戻るぞ」

「……はい」


 先輩の背に呟く。

「普通……って何ですか?」

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