4分30秒小説『紫髪のチンピラに喧嘩を売る石原さとみ似の先輩の話』
電車で移動中、隣に先輩が座っているラッキー。たまにチラチラと、上棚に乗せた楽器ケースが落ちないか、確認する――振りをして先輩の横顔を覗く。
演奏会、不安と期待が、ない混ぜになって心拍が乱だむ、いや演奏会のせいではなくこの横顔のせいか?ホルンの山本は「石原さとみと有村架純を足して2で割ったような」と評していたが、ちょっと違うくて「足して1.2を掛けたような」が正解だと思う。
「大丈夫だよ。そんなにチラチラ見ないでも」
「えっ、な、何がですか?」
「楽器、固定してるから落ちっこないって」
「ああ楽器、はい」
「緊張してるの」
「はい、まぁ」
「そっか、初めてだもんね。でも心配しないで、私がリードしてあげるから」
「えっ、何をですか?」
「演奏」
「ああ演奏、はい」
「――てめぇ、いい加減にしろよこの野郎!」
前の前の辺り?大きな声、怒鳴り声。シートの背もたれの上に紫色の頭髪が飛び出していて、変な温度で燃えてる炎のようだ。電話している。
「あたし、許せないんだよね」
「えっ、僕何かしましたか?」
「違うよ。あの大声、電話、マナー違反でしょ?」
「そうですよね」
「――この馬鹿野郎!てめぇはカピパラ以下か?ああぁん?」
(カピパラ?)
「――聞こえねぇのか?カピパラ以下かって聞いてんのよ!ふざけるなよ」
声はどんどんエスカレートしている。言ってる内容も支離滅裂だ。
「――こんどからてめぇのことカピパラって呼ぶからな!このカピ野郎!でっけぇウサギみないなヌボーとした顔しやがって、てめぇなんぞカピパラ以下の――」
「いい加減にしなさいっ!」
しーん
「せ、先輩、ど、どうしたんですか急に」
「いいの、ちょっとアナタ、そこの紫の人、さっきから失礼じゃない?」
「だ、だめですよ先輩」
「ああん?なんだネェちゃん、俺に文句があるのか?」
「ええ」
「上等だ。なんだ言ってみろ」
「さっきから聞いてたけど、失礼でしょ、カピバラに」
「えっ?そこですか先輩?」
「ああん?何言ってんだてめぇ」
「『カピバラ以下』って言い方、完全にカピバラを下に見てるじゃない。取り消しなさい」
「て、てめぇにカピパラの何が分かるってんだ?」
「分かるわよ。少なくともアナタよりはね。さっき『でっけぇウサギみたいな』って言ってたけどネズミの仲間だから、カピバラは」
「だからなんだってんだよ」
「和名は鬼天竺鼠、あんなに可愛いのに和名はいかつい」
「はぁ?そんなこと聞いてねぇよ」
「世界最大のげっ歯類」
「知ってるよそんくらい、おめぇ俺のこと舐めてんな?前脚の指の数は」
「え?」
「聞いてんだよ。カピパラの前脚の指の数は?」
「さ、3本?」
「ちげぇよ、4本だ。じゃあ後ろ脚は?」
「よ、4本?」
「はは、また間違えやがった3本だよ3本 !それじゃあ、前と後ろが逆じゃねぇか !あおめぇのカピパラはケツに顔が付いてんのか?ああん?」
乗客の2、3人が笑った。先輩が拳を握っている。ちょっと震えて。
「脚の指なんて、どうでもいいわよ」
「よくねぇんだなこれが。後ろ脚の指の間に小さな水かきがある。知ってたか?あんなくそデカい図体して、ちょっとだけ水かき付いてんだぞ?こういうところだろ?カピパラの可愛さって」
「……可愛いとは思ってるのね?」
「可愛いに決まってんだろ。さっきの電話の相手、俺の女だ。カピパラみてぇで可愛いんだよ」
「……先輩、座ってください」
「嫌。アナタ、携帯でお話するならデッキに移るべきでしょ?」
「はっ?そこですか?カピパラじゃ勝てないと踏んで論点ズラしですか?」
(論点ズラし?そうなのか?むしろズレてたのがもとに戻ったような……)
「ネェちゃんよ。とにかくカピパラの件はもういいんんだな?」
「そ、それは……」
「先輩、とにかく座りましょう一回」
「ああん、どうなんだ」
僕は立ち上がり、先輩の肩に手を掛け、無理やり座らせ――
「あのー、一つだけいいですか?」
「なんだ兄ちゃん、文句あるのか?」
「いえ、さっきから『カピパラ』って仰ってますけど、正しくは『カピバラ』ですよ」
「えっ?そ、そうなの?」
車内は大爆笑。
「ち、ちくしょー、覚えてやがれ」
紫の人は捨て台詞を残してデッキへ逃げて行った。
「先輩、駄目ですよあんな人に絡んじゃあ」
「吉野君」
「はい?」
「ありがとう」
「えっ?」
沈黙
「あのー、先輩、良かったら今度一緒に動物園に行きませんか?」
「何で?」
「え?あの――」
「広島ー、広島―」
「着いたわよ」
「あ、はい」
なんだか今日の演奏、トチりそうな気がする。
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