4分10秒小説『以前購入したhourglassの件です』

 「商品に問題があった」とか「返品したい」とか言うつもりはないのです。ただ修理する方法があれば教えてほしいのです。

 直接お店にお伺いする方がよいとは思いますが、電話で失礼します。


 以前そちらで購入した砂時計のことです。

 いえ、勿論購入後は正常に機能していました。彼女と二人で眺めていました、千切れそうなほど細いガラス管の部分を見て、彼女のウエストをからかったり、口づけの長さを計ったりしていました。そう、その頃は正常に時は動いていたのです。


 彼女がいなくなって――いや、それが故障の原因ではありません。彼女がいなくなった後も砂時計は動いていました。それが僕には不思議でした。堪らなく不思議でした。彼女がいないというのに、砂時計は同じ速度でさらさらと砂を落とします。ガラス管の中、白い砂――あれは珊瑚なのでしょうか?それとも石英か何かを砕いたものですか?いや、そんなことは今はどうでもいいですね。砂時計です。僕が見つめていると、それは壊れたのです。


 詳しく状況を説明しますと、涙を落としてしまったのです。涙と言っても一滴です。砂時計の流れる微かな音に耳を澄ましていると、彼女と過ごした時間、こいつを何回ひっくり返せばそれを計れるのか――そうして何回ひっくり返せば、この痛みが過ぎ去ってくれるのか。そんなことを思いながら見つめていると、砂時計はその輪郭をぐしゃぐしゃと撓めてあの細すぎる時の接合点は、少なくとも僕の意識の中では消え失せてしまいました。時が死んだように感じました。いや、こんなことを言ってもしょうがないのですが――


 当然ですが、防水ではなかったのですね。つまり僕の涙を受けた砂時計、あれは完全に時を密閉し、体積で言うとそうですね僅か数センチ立方メートルほどの絶対空間、時の干渉を受けない治外法権的なスペースだと認識していたのですが、時にも呼吸が必要なのでしょうか?ガラスと木枠の間に目には見えないほどの隙間があるのでしょう?そこから僕の悲しみが侵入してしまったのです。そうして砂を濡らしました。砂浜に波が打ち寄せて、その色味を微かに黒に寄せるように、砂は白の意味合いを風化させてしまったのです。僕にはそれが、目の前の閉じ込められた時の世界だけでなく、この世界すべてに適用されるように思いました。あ、すいません話また脱線しちゃいました。砂時計です。


 僕の悲しみに濡れてしまってから、世界は時の流れる速さを乱れさせました。さらさらと流れているかと思えば、涙でつながれた砂塊が、ずるずると流れを遅くしたり、また時には止めてしまったり、一秒が一秒とは限らないことになってしまったのです。それは僕の鼓動にそっくりでした。

 結構強めに揺すってみても砂は塊のままほぐれません。そうしてあんなにもたやすくガラス内に侵入した僕の悲しみは、蒸発して失せることなく、時と同じ質量で閉じ込められたままです。


 直せますか?この世界の時の流れを――かつて彼女が僕の隣にいた時のように。あれが正常だったんだ。言うなれば僕が長針で彼女が短針で、ときに交差して、離れてすれ違って、でも一つの接合点で分かち難く結ばれていて――それがきっとこの世界の正しい位相だったんです。それが崩壊してしまったから――。


 返品?いや、先ほども言いましたがそれは考えていません。返金も然りです。ただ僕は、この砂時計を元通りにしたいだけです。


 難しいですか?つまり無理ってことですよね?


 分かりました。じゃあ割ります。ガラス管を割ります。そうして中の砂を取り出して――ああ、結局これは珊瑚なのですか?石英なのですか?それともただの白い砂?まあどうでもいいです。きっと珊瑚だと思いますから僕は海に行ってそいつを落とします。

 ガラスに閉じ込めらた砂を、浜辺に帰すのです。

 僕の指の間から砂が零れ落ちてゆく滞空時間がきっと、かつて二人が望んだ永遠という単位に一番近しいのじゃないかと――すいません長々と。


では失礼します。

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