4分0秒小説『さいきんのはなし』
キミがこの手紙を読んでいる頃僕はきっとこの世から消えている。
僕は今、清掃局の精鋭部隊に追い詰められ、とある場所に逃げ込んでいる、いや、追い詰められていると言った方がよい状況です。
銀色の防護服を纏った彼ら、僕を見つけ次第、容赦なく消毒液を噴霧することでしょう、僕が完全消滅するまでしつこく過剰に――そうなってしまう前に、僕が消えてしまう前に、本当の気持ちを君に知っておいて欲しくて、こうして筆をとりました。
キミは、自分の正体を、知りたいと思ったことはありませんか?僕は、あります。ずっとそうです。
物心つく以前からずっとバイキンと呼ばわれ、皆に嫌悪される人生、不惑を迎えた今になっても幼少の問いに答えは見つかりません。つまり僕は、一体何者なのか?こんなにも人様に忌み嫌われる”バイキン”とはそもそも何なのだろう?という問いです。
バイキン――黴菌(ばいきん)というからには僕は、菌や細菌の類なのでしょう。ただし、それだけでは、僕の正体を言い尽くすことはできないわけで――
実は、菌類の世界的権威として名高いジョンFハワード博士に、僕のDNAサンプルを送り、解析をお願いしていたのですが先日、結果が届きました。
震える指で封を開け、氏の書かれた報告書を読むとそこには。
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鑑定の結果、送付いただいたDNAサンプルは、既知のどの生物の塩基配列とも一致しませんでした。
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という一文が、詳細なデータとともに書かれており、そして締めくくりに。
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この菌に感染した者がどういった症状を引き起こすのかは不明ですが、ただただ有害であることは疑う余地はありません。
この菌は、例えるならば、子供向けのコミックに描かれた”擬人化された悪弊”そのものです。
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力なく笑うしかありませんでした。
正直博士の手紙を読むまでは一縷の望み――自分がひょっとしたらビフィズス菌や納豆菌などの有用な菌、つまり善玉菌なのではないかという希望を持っていました。今思えばまったく滑稽なことです。愚かと言っても過言ではありません。ふふ、今君は首を横に振りましたね?分かるのです。君はそういう奴だから。
ともかく、鑑定結果は非情。僕の正体を明らかにしないばかりか、一方的に害のあるものであると断罪する内容――敢えて博士の言葉を借りるなら僕は、”擬人化された悪弊”という存在に過ぎないということです。
もう疲れました。偽悪的な態度を取り続ける日々に。悪役を演じる自分に。そう、僕は君に感化されて、当の昔に改心していたのです。
感化――それはある種、感染に近いものなのでしょうか?悪徳もそうですが、正義も感染するのですね。
そろそろお別れの時間がきました。逃げることにも疲れました。もうハ行を最後まで言いきる力も残っていません。
もしも――もしも生まれ変わることができるなら、今度は黴菌なんかじゃなく、イースト菌に生まれたい。そうして君の新しい顔を膨らましたいと、僕は願う、いや祈るのです。
僕に愛をください
君のそばに生まれ変わるために
僕に勇気をください
君をためらうことなく友と呼ぶために
君のパン種を発酵させたイースト菌が、かつてバイキンと呼ばれた男の生まれ変わりであるという微少な可能性に、思いを馳せてくだされば幸いです。
彼らがドアを叩いている。激しく、乱暴に。
いよいよ僕も、ドキンちゃんがそうなってしまったように、彼らに手によって殺菌消毒されます。
どうせなら君のパンチ、あの、愛と友情に満ち溢れたパンチで、人生を終わらせたかったよ。
敬具そしてバイバイキン
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