4分20秒小説『くらげとす』

 クラゲに刺されたらしい。腕がヒリヒリする。せっかくシュノーケリングを楽しんでたのに、今年はカツオノエボシという猛毒クラゲが大量発生してるってネットで見た。刺されると危険らしい。万が一を考えて応急処置をしたい。

「クラゲに刺された時は、酢で洗うといいっておばあちゃんが言ってたな」

 酢――辺鄙な島だ。コンビニなんて見なかったし、スーパーを探すのも大変そうだ。あ、そういえば、この島の名産品は黒酢だったな。来る途中にそれらしいところがあったぞ。


********************


「すいませーん」

「……はい」

「あ、初めまして、えっと、あちらに大きな瓶が並んでいますが、あれって酢を作っているんですよね?」

「そうだ」

「あのー、良かったら譲って貰えませんか?お金なら――」

「待ちなさい。あんた、どこから来たんだ?」

「N県からです」

「そんな遠くから?」

「はい」

「わざわざうちの黒酢を買いに?」

「あ、えっと、はい」

「嬉しいねぇ。お代はいいよ。いるだけ持って帰ってくれ」

「ありがとうございます。あの、ほんの少しでいいんで」

「遠慮せんでええ。要るだけ持って帰りんさい」

「いや、ほんとに、あの、コップ一杯あれば十分です」

「そんなに少し?あんた、うちの酢を何に使う気なの?」

「えっと……」

「わざわざ遠くから酢を求めてやって来たんじゃろ?寿司職人さんかい?それとも和食の板前さん?」

「えーと……はい、和食の板前です。まだまだ見習いですが」

「そうかい。ふふふ」

「何が可笑しいんです?」

「いやな、さっきもあんたと同じくらいの年齢の青年が、うちの酢を分けてくれって来たもんでな。全日本青年料理コンクール、あんたも出場するんじゃな?」

「え?あ、はい、そうです」

「ふふふ、そうなると話は変わってくる。ただでやるわけにはいかん」

「え?どうして?!」

「先ほど来た青年にはな。試験をしたんじゃ。それに合格したら酢を譲るとな。あんたも同じコンクールに出るんじゃったら、同じ条件を課さないと不平等じゃろう?違うか?」

「いや、まぁ、理屈は分かりますけど」

「ちょっと待っとれ」


*********************


「ここに3つのコップがある。それぞれに、黒酢が入っている。一つは大手メーカーの黒酢、もう一つはK県の老舗造酢所が作った黒酢、そして、もう一つがうちの黒酢だ。さ、3つを飲んでうちの黒酢がどれか、答えを言ってくれ」

「え?」

「さ」

「あ、はい、じゃあ……飲みました」

「答えは?」

「えーと」

「さぁ、答えなさい!」

「す、すいません。僕、嘘ついてました。本当は酢のことなんか何も分からないんです。ただどうしてもお宅の酢が必要な事情があって……すいませんでした」

「……お若いの」

「はい」

「顔を上げなさい」

「はい」

「ちょっと待っとれ」


********************


「これを持っていってくれ」

「ご、これは?」

「うちで30年寝かした秘蔵の黒酢だ。あんたの正直さに心を打たれたよ。これを使ってコンクールに出なさい」

「い、いいんですか貰って?」

「ああ、さっき詫びを入れている時のあんたの目、何か知らんが切羽詰まった事情があるんじゃと伝わったよ。あんたの熱意と情熱にこの老いぼれの心が動いた。持って行きんさい」

「あ、ありがとうございます」

「優勝せぇとは言わん。じゃが自分を納得させる料理を作ってくれ。それだけじゃ。分かったな?」

「はい、頑張ります!」


********************


 車に戻って、こっそり腕に酢を掛ける。結果、騙すような形になっちゃってゴメンナサイ。

 30年寝かした特殊な黒酢、酢のきつい匂いはまったく無く、患部に沁み渡る実感もなく、まるでただの黒い水。

「効くんか?これ」

 えも言えぬ罪悪感と一抹の不安が混然と肘を伝い地面に沁みてゆくのを眺めながら僕は、近々どこかで開かれるであろう料理大会にて、本来対戦するはずだった?若き料理人が奮闘する姿を想像する――痛みを堪えながら。


 後日知ったのだが、クラゲに刺された時は、海水で洗うのが一番いいらしい。

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