第8話──1「ジニアは天才なんですけど!」


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 バビング港は、少し離れたバビング村と隣接したそれなりに大きな港だった。ずらりと並ぶ大小様々な船たち。

 そして、次なる目的地であるブラム大陸への定期便の船乗り場はすぐ見つかった。それなりに人の往来があるからか、結構大きくて立派な船が待機している。

「今回は懐も潤ってるからね。ちゃんとした船に乗れるよ。やったね!」 

「シザクラさん、節酒よく頑張りましたね。ルーヴさんも、シザクラが散財しないようにご協力くださってありがとうございます」

「いえ、シザクラさんの努力の実りです。わたくしは、夜に宿屋からコソコソ酒場に向かわないようにシザクラさんにたびたび妖精魔法を掛けただけですから」

「……ルーヴさんのおかげで、もう宿に着くなりぐっすり眠らされて気づいたら朝だよ……。でもま、ブラムには有名な地酒があるって言うからね! これまでの努力を労って、向こうではもう浴びるようにお酒を……すみません、お酒は程よく楽しみます……」

 フィーリーに蛇のように睨まれたので、シザクラはカエルの如くしゅんとなった。まだ酔っぱらって酒臭いキスをしたことをだいぶ根に持たれている。いやこっちが千パーセント悪いんだけれど。

「ん? どうしたの、プティ。あの船が気になるの? 行ってみようか」

 プティにローブの袖を引かれて、フィーリーは笑いかけて彼女と手を繋ぎながら港の方へ先に歩き出した。

 ここ最近、年下のプティにお姉さんとして接しているフィーリーを見るとシザクラは感慨深くなる。何だか、子供の成長というのは本当に早いんだなぁと、「体を売ってください」などといきなり頼まれた初対面を思い出す。あの日もずいぶんと昔のことのようだ。まだ数か月くらいしか経っていないというのに。

「……子供というのは、本当に成長が早いものですね。わたくしにずっと寄り添っていたプティが、あんなに他の子に懐くとは」

 隣にいたルーヴも、シザクラが思っていたことを口にしながらやや遠い目で楽し気なフィーリーたちを眺めていた。生まれた時から今まで、自分の娘を見ていた彼女はきっとシザクラなんかよりずっと思うところがあるのだろう。

「あの子たちはきっと、これから色々なことに触れて、広い世界を見て。まだまだ成長していくよ。楽しみだね、ルーヴさん」

「……そうですわね。わたくしもあの子たちに、広い世界を見てほしい。この旅を、楽しんでほしい。今までの分も目一杯」

 ほんの一瞬、疲れたような陰を眼差しに宿して。ルーヴは笑顔をこちらに差し向けて「さあ、あの子たちが迷子になる前に行きましょうか。夢中になってしまっているようですから」とフィーリーとルーヴの後を足取り軽く追う。

 あたしたち、実はちぐはぐな感じではあるけれど。割といいパーティなのではないだろうか。シザクラは頬を緩め、みんなに付いていった。

 今回はすんなりと大陸から大陸に海を移動できるだろう。資金、問題なし。定期船もある。……幽霊船と出くわす可能性は、うん、絶対ないはず。海にはほとんど魔物はいないし、いたら蹴散らしてしまえばいい。そもそも船にはそういう撃退用の装備が積んである。心配事はない、はず。

 などと自分に言い聞かせている時は、大抵嫌な予感がしているもので。そういうのは大抵、的中してしまうもので。

「えっ。定期船休止中……?」

 チケット売り場に来てみれば、そんな張り紙がしてあった。

「船のエンジンが不調のようで……。部品と技術者が他の大陸から来るまで数ヶ月は掛かってしまいそうです。ご迷惑をおかけしております」

 受付の人が困ったような顔でそう教えてくれた。ブラム大陸に渡る運賃はあるとはいえ、船がないならどうしようもない。

「……どうしましょう。ブラム大陸への定期船が出ているのは、この港だけなのです。参りましたね」

 ルーヴが次の手を考えるようにして言う。

「他の方の私有船に乗せていただくのはどうでしょうか。お金はいっぱいありますし」

「うーん、ここからブラムまでだとかなり距離あるからなぁ。ざっと見た感じ、港の船はどれも遠距離の移動には向いてなさそうだね。定期船みたいな頑丈な作りじゃないと、さすがに厳しいかも」

 フィーリーが案を出してくれたが、シザクラは首を振る。おそらく海を横断するとしても、数日は要するはずだ。並大抵の船ではその航海に対する耐久性はないだろう。定期船は、往復する分かなり頑丈なのだ。

「でもフィーの案はいいね。もしかしたら長距離用の船を持っている人がいるかもしれないから、とりあえず港付近で聞き込みして……」

 シザクラが言っている時だった。

「だーかーらー! このジニアに任せろって言ってんですけどー? もしかしておじさん、言葉通じない系? どっかからザコザコ技術者なんか連れてきて何ヶ月も無駄にするより、ジニアの方が絶対この子のご機嫌直せるんだってば! むしろ前より絶好調にしてあげられるっつってんのー! しかもタダ! この上ない好条件逃すとか、おじさんってもしかして無能極まれりー?」

 やたらと騒がしい声が聞こえてきた。

 港の方に目をやる。停泊している定期船の前で、何やら船の乗務員らしき男性と小柄な少女が言い争っている。というより、少女の方が喰って掛かっていて、男性の方がそれを押し留めている感じだ。

 少女は鮮やかな青色の髪を長めのツインテールにして、くりんくりんに巻いた特徴的な髪型だ。やや釣り目気味の目は大きく、子猫のような愛嬌がある。が、今はどこか煽って薄ら笑うように細められていた眼差しが、どことなく可愛げない。

「おいガキいい加減にしろ! こっちは遊びに付き合ってられるほど暇じゃないんだ。ただでさえ船が出せなくて頭を抱えてんのに、これ以上面倒ごとを増やすな!」

「ガキじゃねっつの! この天才科学者、ジニア・フィフスの顔も知らないとか、おじさん世間知らずにもほどがあるでしょー。それにさっきから見せてるでしょ、この技術者証明書! この王都フレアラートの正式印が見えないわけ? 目、ざぁこざぁこ!」

「そんなオモチャどこで手に入れたんだまったく。偽物の証明書は違法だぞ! 見逃してやるから、とっとと失せろ! まったく親はどこで何してやがんだ……!」

「はぁああ? 天っ才ムカつくんですけどぉっ。オモチャじゃねーしホンモノだし! それにジニアのママはもっと天才科学者、インテ・フィフス! その節穴の耳によぉく刻んどきなよ、おじさぁん」

「耳が節穴ならよく聞こえてるじゃねぇか! そんな名前知らねぇし、さっさとママのところに帰れガキ!」

 二人のやりとりはヒートアップするばかりで、もはや大声の応酬になっている。周りの人たちも何事かと視線を向けていた。

 とりあえず止めた方がよさそうだと、シザクラが踏み出そうとした時。とんとんと肩を、ルーヴが叩いてきた。

「シザクラさん。あの女の子が振りかざしているあの技術者証明書、本物です。フレアラートの印は偽造できないように特殊なインクを使っているので、光に当たるとキラキラと七色になるんです。ほら」

 ルーヴに言われて目を凝らすと、確かにジニアと名乗った少女がぶんぶん見せつけている証明書。フレアラートの印は太陽光を受けて七色を帯びていた。この距離からでも目立つし、シザクラも知っていた。普通のインクではあれは出せない。あれはフレアラートが発行している正式な証明書だ。ちゃんと彼女の名前らしい「ジニア・フィフス」の記述もある。何者なんだろう、あの子。

「はい、ちょっとストップストップ。お二人方、そんな白熱せずに穏便に行こうよ。周りの人たちも怖がってるから」

 とりあえずシザクラは、言い合っている二人の間に割って入る。男性の方は若干ほっとしたように、ジニアという少女は「あ?」という不服な眼差しでシザクラを見てくる。

「あ、お姉さんもしかしてこの子の保護者か? このやかましいお子様をさっさと連れて帰ってくれ。ただでさえ船のエンジントラブルでこっちはてんやわんやだってのに……」

「あ、いや別に保護者ってわけじゃなくてただの仲裁なんだけど……」

「はぁああ? この天才ジニアに保護する者なんて必要なわけ……っ」

 言葉の途中で、ジニアという少女がぴたりと止まった。そして少し考えるように爪を噛んで、何か思いついたように猫のような目を見開いた。

 明らかに意地が悪そうなその表情。嫌な予感。そろーっとその場を去ろうとしたシザクラの腕を、むんずとジニアが掴んできた。

「そうそう! この人、ジニアの保護者! ほら、おじさぁん? 大人がいるんだからさぁ。この子の調子見るくらいいいでしょ? もし修理できたら、定期船も運航再開できるし、悪い話じゃないと思うんだけどなぁ」

「いや、それとこれとは話が別だろ! あと、俺はまだ三十五でおじさんじゃねぇぞ! 帰れガキ!」

 こっちにまで波浪が広がって来た。さすがに収拾がつかなくなって、シザクラも頭を抱えたくなってきた頃。

「失礼。わたくしたち、実は正式にフレアラートから任命を受けてこちらに参りました、定期船の修理技術者なのです。その子……人も、子供のように見えますが実のところ二十歳でして……。お伝えするのが遅くなり、大変申し訳ございません」

 ルーヴが加勢しに来てくれた。のだが、どうやら彼女は少女が船を修理する方向に話を持っていくことにしたようだ。

「シザクラさん。この子は本物の技術者です。わたくし、耳にしたことがありますの。齢十の少女が、難解な技術者試験を史上最年少で突破したことがあると。二年くらい前ですが、おそらくジニアという名前だったと記憶していますわ」

 定期船が直る可能性があるなら、それに賭けてみませんか、とルーヴが密かに耳打ちしてくる。思い切った判断をしてくる人だ。正直乗り気はしなかったが、文字通り乗り掛かった船だった。

「そう、そうなのよ! ジニア、こう見えてハタチなんですけど! フレアラートから直々の……任命? 受けたんですけど! わかったら、さっさと船を見せてよ、ざぁこざぁこぉ」

「ぐぬぬ……ほ、本当なのか……?」

 船の乗務員らしい男性は揺らいでいた。正直ジニアという少女は二十歳にはまったく見えないが、にこやかに言い切るルーヴのハッタリにすっかり呑まれてしまったみたいだ。

「いまいちピンとこないが……わかったよ。こっちも正直長い間定期便を出せないのは困ってたからな。早めに頼むぞ?」

「やりぃ! さっさとそうしてよ。まったく最近の大人ってば、ほんと頭カチカチでザコザコなんだからさぁ」

 とりあえず、故障したらしい船のエンジンはこの勝気な少女が見ることになったみたいだ。そしてシザクラたちはそのお付きとして関わる流れになっていた。……なんで?

 一応乗務員は定期船の船長やにも話を通したようだが、ジニアの証明書が本物だとわかるとすっかり信じ切ってくれたようだった。やはり公的な書類は、それとわかる人には強い。それなりの年長者である自分たちがいたのも強かったかもしれない。確かにジニアだけでは、技術者というのも説得力がないのかもしれない。若い天才っていうのも大変なんだな。この子が天才だったらだけれど。

「ありがとねぇ、聡明なお姉さん。そっちの割り込んできたお姉さんはザコザコだったけど、まあいいや。この天才ギフテッドジニア様のお付きとして、よろしく!」

 調子よく片目を閉じて、さりげなくシザクラをディスりながらジニアは定期船へと乗り込んでいく。当然、シザクラたちも技術者という名目上同行せざるえない。

「……何というか。私ともプティとも違うタイプの女の子ですね」

「クソガキだね、いわゆる」

 呆気にとられているフィーリーに、こそっとシザクラは耳打ちしつつジニアの後を追って定期船に乗り込んだ。

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