第7話──3「魔法時代の塔」


  4


「……えと、いいんだよね。しても」

「はい。しないと出られないですし、ルーヴさんとプティも進めません。早めに済ませましょう」

 壁に寄りかからせたフィーリーの方が、その小さな体に覆い被さるようにして迫っているシザクラより冷静なように見える。

 おどろおどろしい廃墟の塔の中、強制的に閉じ込められた狭い間で。事をするというのはいささか気が引けてしまう。しかも連れ合いの親子が壁の向こう側にいる。一応厚みがあり、部屋の外には出ていてもらっているのでよろしくない音が聴こえてしまうことはなさそうだが。

 あまり時間を掛けてしまえば、別の罠が発動するかもしれない。ここの天井が落ちてきて潰されるとか、そういうのは勘弁だ。それに、外にいるルーヴたちにも別の罠が襲い掛かる危険性もある。早めに事は済ませなければ。

「じゃあその、キスから、ね?」

「はい」

 何だか気後れしてしまうシザクラに対し、目の先のフィーリーは瞼を閉じる。落ち着いて、見える。いつもこういう時、彼女は余裕がなさそうなのに。これではいつもと立場が逆だ。

(……いや)

 良く見たら、袖に隠すようにして下の方で握った彼女の手。強張って、小さく震えていた。

 そりゃ、そうだ。彼女が冷静なわけがない。そう見せかけているだけだ。シザクラが、少しでも自分の躊躇いを無視できるように。

 通りでサキュバス特有の誘淫がシザクラに働かないわけだ。彼女もまた緊張している。当たり前だ。いつもみたいに魔力が切れかけて腹が空いているわけでもない。彼女自身にも欲は作用していない。忘れがちだが、サキュバスの体質がなければ彼女は十歳の幼い少女に過ぎない。欲というバフがなければ、そりゃ強張りもする。

「……ごめん。出来るだけ優しく、でもたっぷり淫気をとれるように。それで手早くするよ」

「な、何ですかそれ……ん……っ」

 唇を塞ぐ。そっと。いつもは誘淫の勢いに任せてしまうが、今日は違う。触れて、表面のしなやかさを確かめて。それから舌を差し込む。歯をノックされて反射的に彼女は口を開いたようだ。入っていく。

「はっ……ん、ぁ……っ」

 そっと絡んだシザクラの長い舌に、フィーリーがぎこちなくしがみついてくる。転がりもつれる。

 ……甘い。唾液を伝え合うたび、それは増していくようだ。錯覚なのだろう。そうやって、お互いに劣情を誘う淫毒が回っていく。体が熱を帯び、頭がぼうっとしていく。

 余計なものに気が回らなくなり、もう相手しか見えない。絞られた視界の中に、惚けて赤らんだフィーリーの表情だけが映っている。その濡れた小さな花びらみたいな唇を、指の腹でそっと拭った。

「えと。……浄化の魔法を」

「あ、ごめん……」

 ローブの襟を捲りつつその細い首筋に唇を寄せたら、彼女がやや照れたようにシザクラを押し返してきたので慌てて離れた。そりゃそうだ。焦りすぎた。彼女が水の魔法を展開して、お互いの体を清めてくれた。

(そのままでもいいけどとか言ったら。たぶんドン引きされるな……)

 彼女の匂いは。元からミルクに似た柔らかさを感じさせるが、そこに汗の気配が孕むと更にシザクラ好みになる。正直嗅ぐだけで、淫毒以上に効果がある。

 ……などと言ったら、たぶんもなく間違いなく引かれる。というか軽蔑されるだろう。胸に秘めておこう。

「……脱がすね」

 頷いたのを確認して、フィーリーのローブを脱がし収納の魔石にしまっておく。彼女のローブはスカート部分と繋がっているから、捲り上げても結局胸元まで晒してしまう形になる。それなら、脱がせてしまった方が、いじりやすい。

「失礼……。体勢がだるかったら、早めに言って」

「平気、です……」

 強がる彼女のキャミソールを。シザクラはゆっくりと捲り上げていった。


  5


 シザクラから補給した淫力で、魔力を増強させたフィーリーの魔法で。防壁の張られた分厚い壁は、容易く打ち破ることが出来た。防壁がなくても頑丈そうな岩造りだったそれがぶつけられた火の玉で粉々に粉砕されるのを見ると、改めて彼女の魔力の強大さを実感する。シザクラのこれまで会ってきた並大抵の魔法使いでは、防壁どころか壁も打ち破れずに壁に囲まれた罠の中で詰んでいただろう。

「……お待たせしました。もうすぐ最上階です。参りましょう、ルーヴさん、プティ」

 ついさっきまで事に及んでいたので、シザクラとフィーリーはやや赤らんだ気まずい顔で目を逸らしたままルーヴたちと再会することになった。階段を昇っていると、ルーヴがこっそりとシザクラの傍に来て「……あまりフィーリーちゃんに無茶させてはいけませんわよ、シザクラさん」と耳打ちされてしまう。

「……はい。すみません」

 更に熱くなった顔を俯かせて、そう返す他ない。あまり無茶をさせたつもりはないのだけれど、よく見たら前を歩くフィーリーの歩く足取りはまだふらつき気味だった。プティの手前か彼女は疲れた様子を見せまいとしていたが、どうやらちょっと欲を出しすぎたみたいだ。「ちょっと隣、ごめんね」とさりげなく彼女の隣に並んで、腕をとって支えてやる。

 プティに次の階の階段の位置も示してもらって、昇る。予想通りなら、もう最上階は目前のはずだ。

「ここは……」

 見上げたフィーリーが、圧倒された様子で声を出す。

 全体的に広い空間に、階段は続いていた。吹き抜けになっていて、そのままもう一階上の通路が見渡せる。塔の広い外周全部がぶち抜かれて一つの部屋になっているのだ。

 そして壁全てに、びっしりと本が差し込まれていた。壁全体が本棚になっているのだ。二階分の天井ぎりぎりまで、本で埋まっている。まさに知識の宝庫、といった感じだ。魔法に関係する書物どころか、ここなら知りたいことは大抵調べられるくらいの本が貯蔵されているのではないだろうか。圧巻の光景だ。一般的な図書館より確実に充実した施設だ。

「屋上への階段が見当たりませんわね……」

 ルーヴが広大な図書室に目を配りながら言う。吹き抜けになった二階部分の通路に昇る階段はあるが、目的地の屋上に続く肝心の階段が見当たらない。

 プティもルーヴの隣で、困ったように高い天井を見上げているばかりだ。彼女にも感じ取れないらしい。階段はないのか。それとも。

 巧妙に隠されているのか。魔法か何かで。

「この場所全体に、魔力の気配が漂っています。おそらく、屋上への階段の目印になっている微弱な魔力を隠すためでしょうね。木を隠すなら森。魔力を隠すなら、魔力です」

 フィーリーが言う。そして彼女はそのまま目を閉じた。言の葉の輪がその周りを舞う。何かを探知しようとしているのか。だがそれは藁の中から針を探すようなものではないのか。第一、これまでみたいに階段の場所に魔力の目印が付いているとは限らない。探知能力の鋭いであろうプティですらわからないくらいなのだ。

「……先ほどから、少し馴染みのある気配がしたんです。港町のアンカルトで見つけた、あの百合の花のような」

 ──たぶんお母さんが。目印を残してくれていたんだと思います。

 フィーリーが目を開ける。そして本で隙間なく埋められた壁の一画を指差した。

 吹き抜けの二階部分。壁に沿った通路に面した本棚。そこが、僅かにぼうっと白い光を帯びていた。シザクラたちにも視認できるように、シザクラが魔力を込めてくれたのだろう。

「あそこへ行ってみましょう。魔力が満ちているせいで、罠の気配が察知できませんので慎重に」

「了解」

 シザクラは先頭になり、間にルーヴとプティを挟む形で一番後尾はフィーリーに警戒してもらう。最上階の一歩手前。ここがダンジョンの最深部なら、最後の関門が待ち受けているところだが果たして。

 吹き抜けの二階部分への階段を昇る。壁に沿ってぐるりと円を描いた通路に差し掛かった。

 本棚になっている壁を間近で見ると、本当にびっしりと一冊一冊詰め込まれているのがわかる。頭上高くまで収納されているのは、いざ必要になれば魔法で引き出せるからか。本の位置もおそらく今フィーリーが目印を見つけたみたいに魔法で察することが出来るのだろう。

 やはりここは、魔法を学ぶ魔法全盛期の時代の遺物なのだ。遺物というと、フィーリーには申し訳ないのだけれど。実質、もうここのような大掛かりな魔法を学べる施設というのは今の時代には皆無だ。魔法を学ぶことは、もはや好きものの趣味程度に捉えられている。それだけ魔石という便利な存在が、この世界に普及したということなのだろう。

 逆に言えばこの場所は魔力を持たない今の人間には不落のダンジョンに等しい。そんな場所に、何故フィーリーの母親たちは訪れて、フィーリーを導いたのか。それがこれからわかるのだろう。

 光を帯びた本棚の壁に辿り着いた。特に他と変わらない、本が規則的に並べられている風景に見える。本たちの背表紙には表題も刻まれていない。魔法ならそれを目視せずとも内容はわかり、それで読みたい書物を選べるということか。

「……あの本。百合の花の気配と同じものを感じます」

 フィーリーが手をかざすと、背の高い本棚の上部、収まっていた一冊の本が抜き出されてゆっくりと彼女の手元に降りてきた。真っ白で何も書かれていない表紙の本だ。一見、何の変哲もない他と同じもののようだが。

 フィーリーは本を開く。真っ白だ。ページを捲っても、白紙が連なっている。不可解だ。

「何も書かれてないけど……。変な本だね」

「……いえ。たぶんこれは、私の魔力を込めると、反応するんだと思います」

 フィーリーが再び白い言葉の輪を周りに展開させる。そうか。アンカルトの百合の花と同じだ。フィーリーの魔力だけに反応する、彼女の母親が残してくれた痕跡なのだ。

 白紙だった本に、文字が浮かび上がってきた。フィーリーは一ページ目を開いた。

「……何だこれ。この世界に普及している魔石について。伝えたいことが……」

 横から覗き込んだシザクラが、浮かび上がった文を読み上げようとした時だった。

「うぅッ!」

 唸るような声を上げて、プティがフィーリーのローブの袖を引っ張った。彼女が見ている方。はっと顔を向ける。

 巨大な本が、宙に浮かび上がってこちらを見下ろしていた。そのページが開かれる。

「フィー! 注意して! 何か来……ッ!」

 シザクラが背中の刀に手を掛ける前に、急に視界が真っ暗になった。明かりが落ちたのか。今のは、魔法の罠だったのだろう。

「フィー! ルーヴさん! 聴こえる⁉ 離れないで! ……フィー?」

 呼びかけるが、返事がない。それに声の響き方が籠っている。さっきの広い空間に轟くような感じではない。

 ……場所を移動させられた? 背中の刀に手を伸ばしかけて、その手が空を掴んだ。武器が、ない。

(何が起きてる……? みんなは……)

 途端、視界が開けた。夕焼け空。橙色に染まった雲が見えた。

「え……?」

 くたびれた路地のような場所の中央に、シザクラは立っている。周りはあばら屋のようなボロボロの建物ばかり、よくわからないものを店先に並べている露店も、ぽつぽつと点在している。

 路上に座り込む者、通りを往来する者、露店の店主たち。その誰もが、どこかくすんだ雰囲気を帯びている。治安のよくない地域にありがちなこの、埃臭い空気。

 シザクラはこのスラム街に、見覚えがあった。ありすぎるほどに。

「……どうしたの、ぼうっとして。早く行こうよ!」

 急に肩をぽんと叩かれて、顔を向ける。そして固まった。

 彼女が、立っていた。夕暮れの掛かった顔。この場には似つかわしくない、屈託のない笑みをこちらに差し向けている。

「……テフラ」

 彼女の名前を呼ぶ。彼女は「何、どうしたの?」と不思議そうに吹き出しながら、先に走っていってシザクラを誘っていた。

 小さな子供の彼女の背丈と、シザクラは自分の視線が合っていることに気づく。

 これは自分の、幼い時の記憶。そして今自分は、その頃に戻ってしまっているのだ。小さくなった自分の手を眺めて、シザクラは唖然とした。

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