第7話──1「廃墟の塔」


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「そのまま、走り去りなさい!」

 ルーヴの声が反響し、魔物に命ずる。

 シザクラに突進してきた魔物は、そのままあらぬ方向へと走り去っていった。ルーヴの妖精魔法が通じたらしい。これで不殺生を貫くことが出来た。

「ルーヴさん、ありがとうございます。おかげで余計な戦闘を避けられた」

「いえ。わたくしの魔法ではああするのが精一杯ですから。お二人が時間を稼いでくれたおかげですわ」

 シザクラと、魔法で応戦してくれていたフィーリーに丁寧にお辞儀し、ルーヴは「さあ、魔物が戻ってくる前に参りましょう」とプティの手を引いて走り出す。シザクラたちもその後を追った。

 ルーヴの人や魔物の身体に作用する妖精魔法のおかげで、フィーリーの負担もだいぶ減ったみたいだ。魔物にしか通じない言葉で彼女が直接交渉する手間も省けたし、魔物に無駄な怪我を負わせなくて済んでいる。そういった意味でも、自分たちの相性はいいのではないか。シザクラはだんだんそう感じ始めていた。

 ただ幼子であるプティには、絶えず環境が変わる旅というものが負担にならないか。そう心配していたが、もしかしたら杞憂かもしれない。彼女は意外と外の世界に興味津々の様子で、初めて見たものらしい植物やら建物やらをじっと観察していることも多い。引っ込み思案ではあるが、子供らしい好奇心はあるようだ。結構楽しんでいる。ように見える。

 フィーリーにもすっかり懐いたようで、彼女と距離近めで行動することも多くなってきた。さすがにルーヴにするように手を繋いだり腕を取ったりするようなことはないが、隣に並んで歩いている姿をよく見る。心なしか、フィーリーと接している彼女はどこかいつもの不安そうな表情がほぐれている気がする。

(……フィーも。何かプティと一緒にいるとちゃんとお姉ちゃんしてるなぁ)

 本人もそうあるべきと振舞っているのだろうけれど、立派にフィーリーはプティに「お姉ちゃん」として接することが出来ている気がする。それに今まで子ども扱いばかり受けてきたからなのか、彼女自身もそのポジションを楽しんでいるようだ。いい関係を築けている。何というか、微笑ましい。

 だが並んで歩く二人の背中に。時折昔見ていた背中を重ねてしまうのは、きっと悪い癖だ。色あせてしまいそうな記憶を、必死に今に繋ぎ止めようとしているみたいに。

 ずっとそればかりだ。あたしはやっぱり、フィーに。あの子の姿を重ねてしまっているのか。過去の無力な自分を、勝手に救おうとしている。結局身勝手な大人なのだ、あたしは。

「シザクラさん」

 ふとルーヴに声を掛けられて、シザクラは足元に逸らしていた顔を上げた。そしてはっとなる。

「到着したようです。あれがわたくしたちの目的地、元ザウバスタヴ魔法学校の廃墟の塔、ですわ」

 坂道になった丘の先。切り立った崖の上に、見上げるような背の高い塔が聳え立っているのが見えた。やや距離のあるここからでもその大きさがよくわかる。根元の方で見たら、今の重苦しい曇り空を突き抜けるほどの規模に見えるだろう。正直今も、その頂上は窺えない。

 廃棄されたのはかなり前なのだろう。外壁がところどころ剥がれ、雨風に晒されたせいか色あせている。蔦や藻なども生え繁り、一目で廃墟だとわかるが。それは塔としての役割を果たしたままそこに存在していた。まだ魔法学校として使われていた過去を、そこに留めておこうとしているみたいに。シザクラは巨人の幽霊を見たような気持ちになって、少しぞっとした。

「古い塔とは聞いてたけど、思ったよりだね。……お化けとか、出ないよね」

「シザクラさんは幽霊が苦手なんです。あんまりからかわないであげてくださいね」

「コラ、フィー! 何でバラすの! 君が一番からかってるじゃんか!」

「なるほど、留意しておきますわね」

「ルーヴさんも真剣に受け止めないでくださいよ……」

 そんなやり取りをしつつも、丘を登る。

 やがて、塔の根本に辿り着いた。ここで見上げると、その横幅の広さと縦の大きさに驚く。正に、雲を突き抜けるような迫力。これがよく今まで崩壊せずに建っていたものだ。

「塔自体に、魔法が掛けられているみたいですわね。それで、長い年月放置されても倒壊せずに済んでいたみたいです」

 ルーヴが外壁に触れて言う。彼女も妖精魔法の使い手だから、そういうのも感知出来るらしい。

「中に魔物の気配はありませんが……何だか妙な感じがしますね。嫌な雰囲気です。充分に注意した方が良さそうですね」

 フィーリーも言った。とりあえず目指すべきは、ビジョンで見た塔のてっぺん。百合の花が庭園の如く咲き誇っていた屋上だろうか。

 やや危険な気配のするこの大きな塔を、てっぺんまで昇る。これはダンジョン攻略と考えて差し支えないだろう。

 正直外からでも、瘴気のように禍々しいオーラが内側から漂ってきているのを感じる。あからさまに警戒してきているようだ。

「ルーヴさんたちは外で待たれますか? 道案内はしていただけたので、ここで報酬もお支払いします」

 シザクラがそう提案すると、ルーヴが返事をするより先に。

 プティが駆け出して、フィーリーの手を取った。初めてだ。その眼差しはまだ不安そうな陰を帯びているものの、決意を感じさせた。

 ルーヴも、それを見て頷いた。

「……いえ。わたくしたちも参りますわ。ここは祖母のルーツでもあり、わたくしの扱う妖精魔法のことを詳しく知れる可能性もありますから。あなた方には、足手まといだとは思いますが……」

「とんでもない。心強いですよ! あなた方の身の安全は、私達が保証しますから!」

 フィーリーはやけに張り切った様子で言った。どうやらプティに頼られたことで、彼女は浮き足立っているらしい。それに心強いというのは本当だった。彼女たちはただ守られるだけじゃない。困難に自ら立ち向かえる胆力がある。それはこの短い間、旅をしてきただけでもシザクラにはわかった。

「では、入りましょうか。……鍵とか、掛かっていないといいけど」

 シザクラを先頭に、塔の入口らしき扉の前に行く。

 シザクラの身の丈よりかなり大きな両開きの扉だ。木々や葉、そして妖精らしきものが舞っている彫刻が掘られているが、ボロボロになっていて全容はわからない。だが、かなり立派で、何なら穴一つ空いていない。これも魔法の加護なのだろうか。封印などが施されていなければいいが。

「……行くよ」

 幽霊その他の類が、出てきませんように。祈るようにしながら、シザクラは両開きの扉に手を掛けた。

 ドアノブがなかった。だが扉はぴったりと静止するように閉じられていて、だからこそ魔法で封印されているのかと思ったのだが。

 押すと、思ったよりあっさりそれは開いた。当然ながら中に明かりはない。覗き込んだ限り、かなり広そうだ。音が反響している。シザクラが一歩踏み出して、明かりの魔石を使おうと懐に手を忍ばせた途端。

「どひゃあッ⁉」

 思わず跳び上がって隣のフィーリーに抱き着く。ボウッと大きな音を連続的に立てて、壁際に会ったらしい照明に火が灯ったのだ。その場は橙色の光で照らし出された。

「シザクラさん、落ち着いてください。どうやら来訪者がいると、自動的に明かりが灯るように魔法が仕掛けられていたみたいです。掛けられた時期は相当古そうですけれど、まだ効力は続いているみたいですね。魔法というのは相当長持ちするみたいです」

 フィーリーが冷静に分析しつつ、シザクラの肩を撫でてくれる。「ありがと。び、びびってないからね!」と取り繕いつつ、シザクラは動揺を押し殺しつつフィーリーから離れる。

「広いですね……。ここはエントランスでしょうか」

 ややへっぴり腰のシザクラより中へ歩みだしたフィーリーは、周りを見渡している。天井が高く、塔の横幅の大部分を使われた空間は広い。もちろん人の手は随分のこと入っていないせいで独特の空気の淀みはあるが、廃墟にしては整っている。置かれているものが極端に少ないのは、捨て置かれる時にあらかた運び出されたからなのか。

 正面にカウンターがあり、そこから左右に丸く切り取られた壁際に沿うようにしてぐるりと階段が伸びている。そのまま天井の先の、次の階層へと繋がっているようだ。

「祖母が言っていました。ここは魔法学校の生徒たちに、地図の魔法を正確に使えるようにあえて上階への階段をバラバラに配置しているみたいです。迷路みたいな構造になっていると」

「……なるほど。だとしたらもうダンジョン攻略と変わりませんね。フィー、とりあえず安全確認しつつ、階段を昇って行こ……」

 シザクラの言葉の途中で。ふと、何やら音が反響し始めた。金属質な音が、奥の方から。

 おそるおそる振り返ると。甲冑姿の何かが、剣を携えて。五人ほど隊列を組んでこちらを睨んでいた。

「で、で、出たァ!! お化け! 化け物! 亡霊幽霊!」

「シザクラさん、抱きつかないで! 魔法で甲冑が操られてるだけです。どうやら、許可のない侵入者に対して発動するみたいですね」

「許可のない侵入者……わたくしたちのことですわね」

 ルーヴがプティを傍に抱き寄せながら呟く。

 不意に、後ろで大きな音がした。振り向けば、入口の扉がひとりでに閉まっていた。仄かに光がその周りを包んでいるのが見える。どうやら退路を絶たれたらしい。

 シザクラは刀を背中から抜き、低く構える。

「甲冑ってことは物理攻撃通るよね。とりあえずバラバラにしてもいい?」

「助太刀いたします」

「わたくしも」

 フィーリーが本を召喚してページを捲り、ルーヴも身構えた。手厚いもてなしにはそれ相応に応えないといけない。

 通りで魔物や野盗の巣窟になっていないわけだ。廃墟になっても、ここに掛けられた防衛魔法が未だに生きているのだ。

 ただのダンジョン攻略じゃなく、何があるかわからない魔法の仕掛けだらけの危険極まりない場所への進行。

 これは骨が折れそうだ、とワクワクしながらシザクラは甲冑の群れに飛び込んで行った。


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