第6話──2「親子の事情」


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「……なるほど。わたくしたちを探している不審な集団、ですか……」

 人気のない裏路地で。追いついた女性と、少女の二人組に今さっきあった事の経緯を説明した。

 シザクラたちの話を聞いた彼女は、思ったより冷静に事態を受け入れているみたいだった。そして手を繋いでいた少女の前にしゃがみ込み、その肩をそっと両手で抱く。

「ごめんね、プティ。ここを出なきゃ。大丈夫だからね。お母さんが絶対何とかするから。もう少しだけ、我慢してね」

 優しく囁かれた少女は、ふんわりと広がった肩までの髪を揺らして微かに頷く。気丈に振舞っているが、不安そうな眼差しだった。それにシザクラたちは先ほどから少女の声を一言も聞いていない。声も出ないようなほど、心に負担が掛かっている状態なのではないだろうか。

 心なしか、女性の声も、その手も。微かに震えているような気がした。これは訳ありだ。シザクラは察する。

「……すみません、ご忠告感謝いたしますわ。あなたたちも、旅のご無事をお祈りしてます」

「あ、ちょっと待って! 待ってください」

 慌てた様子で駆けだそうとする親子を、シザクラは呼び止めていた。不思議そうに振り向いた彼女に、シザクラは人差し指を立てる。

「一つ、ご提案が。ここを出てどこかに移るなら、それまで私たちが護衛いたしましょう。どうせ私たちも、この街に長居する必要はありませんから」

「……しかし。無関係なあなた方を、わたくしたちの事情に巻き込むわけにはまいりません。あなた方の会ったあの男たちは、危険です。あなた方に関わってほしくないのです」

「平気ですよ。私たち、これでも腕は立つんです。あんな男たちより、遥かに凶暴な魔物とも渡り合ってきました。用心棒として、不足ないと思いますよ」

 横にいたフィーリーがローブの袖を捲って、細い腕で力こぶを作ろうとした。が、細さはそのままだ。とりあえずやる気は見せられたであろう彼女は置いておいて、シザクラは女性に言う。

「とりあえず、一旦街の外まで出ましょう。この辺りを回って来たので、大体の地理は把握しています。近い外門を目指しましょう」

「しかし……」

 女性は迷っていた。それはそうか。シザクラはともかく、フィーリーは一見ただの無垢な子供にしか見えないだろう。事情はよくわからないけれど、巻き込むのに躊躇する気持ちはわかる。

 だがあまり時間は掛けていられなそうだ。いつ彼女の追手らしき男たちが戻ってくるかわからない。シザクラはやや強引に、女性の手を掴んだ。

「あっ……」

「とにかく、外へ。話はそれからにしましょう」

 裏路地を出る。ここからだと、北の門が一番近いか。周囲の人々、視線に気を配りつつ親子の手を引いて進む。親子を間に挟むように、フィーリーが最後尾に付いた。

「ちょっ……あなた方まで面倒ごとに巻き込んでしまいますわ……っ」

「お気になさらずに。あたしたちが勝手に首突っ込んだだけなんで。あくまで自然な感じで歩いてください。人目を引かないように」

 女性の手を放す。彼女も諦めたのか、黙って従ってくれた。娘らしい少女も不安そうながらも、騒ぐことなく来てくれる。利口な子らしい。

「止まって」

 先頭にいたシザクラは手で皆を制す。さりげなく談笑している人たちの中に紛れた。

 先ほどの男たちがいた。思ったより優秀らしく、シザクラたちの嘘にもう気づいたらしい。明らかにこちらを探して視線を巡らせている。シザクラは全員の顔も背格好も記憶していた。

「一旦待機。あいつらが通り過ぎたら、抜けよう。なるべく自然な早足で」

 そのままじっとしている。人ごみにうまく溶け込んだシザクラたちには気づかずに、連中は十字路を通り過ぎて行った。こちらを振り向くことを考慮して歩く群衆に紛れつつ、先へ。

「フィーリー。後ろの警戒お願い。さっきの、二人組だった。あいつら六人いたと思うから、手分けして探してるんだと思う」

「はい。……あ。シザクラさん。前方の通り、左側気を付けてください。さっきの人達と同じ足音が近づいてきてます」

「えっ、そんなの聞き分けつくの? マジ?」

「普通の人と比べると極端に足音が小さいんです。この雑踏の中では逆に目立ちますね」

 サキュバスの聴覚、おそるべし。しかし、一般人より足音を消すのに長けた連中か。しかもそれを無意識にやっている。かなりの手練れ、それも表に出せないような活動を主にしているようだ。ちょっと面倒かもしれない。

(あんな奴らが、何でこの人らを狙うんだ……?)

 裏家業のプロに狙われる、親子。明らかに異質な事態。先ほど酒場での喧嘩になりかけたのを仲裁してくれたから、悪い人ではなさそうだけれど。少し事情が気になって来た。どうせもう乗ってしまった船だ。藪もつつき回して蛇も出した。なら船は進ませて、藪は引っ掻き回してやる。

 連中二人組が、フィーリーの言う通り左の通りから姿を見せた。これも建物の陰に上手く姿を隠して、見送る。そしてまた早足でその場を抜ける。

「っ……!」

 途中、男たちの片割れの一人がこちらを振り向いた。女性はそれに気づいたが、何とか反応を押し殺したようだ。少しでも娘に不安が伝わらないようにだろう。幸い、追手はこちらに気づかなかったようだ。だがそれだけで、いかに彼女がこの追われる状況に慣れてしまっているのが伝わってきてしまう。

(……やっぱ。放っておけないな)

 お節介だとしても、やっぱり首を突っ込まざる得ない。昔からこの癖のせいで損してばかりだけれど、たぶんこういうのは死んでも治りそうもない。

「見えた、北門……っ」

 ようやく街の出口。しかしそこから離れた場所で、シザクラたちは足を止め身を潜める。

 門のすぐ傍で、別の追手二人が出入り口を見張っているのだ。おそらくシザクラたちに声を掛けたあの場所から、最短距離の出口であることを見越した上でだろう。しばらく動きそうな様子もない。

(ちっ……戻るか。でも街の中に留まるほど見つかるリスクが上がる。それに、他の出口も別の仲間が張ってるかも。あたしたちが見たあの六人が、追手の全員とは限らないし)

 考える。このままここに留まるのもよろしくない。下手したら別の方から来た別の連中と挟み撃ちにされかねない。次の一手を決めかねていたら。

「私に、お任せを」

 フィーリーがやや得意げな顔をして前に踏み出した。本を取り出し、裏路地で一瞬、自分の周りに白い言葉の輪が発光する。

 途端。周り一帯を濃い霧が包み込み始めた。騒然となる。

「うぉっ⁉ 何だ⁉」

 北門を見張っていた連中の頭上だけに、細かな雹が降り注ぐ。事態を把握し切れていない彼らはたまらずその場から駆け出していく。

「今です。私に付いてきてください。あまりこの霧は長く持たないので」

 ふふんと胸を張るフィーリーに連れられて、皆で北門へと走る。深い霧に紛れて、雹で逃げ出した奴らには見つからずに済んだみたいだ。

「……ここまでくれば。ひとまずは大丈夫かな」

 ベゲーグンから一定の距離を置いた、小さな森の中。シザクラは街の方を警戒しつつ、ひとまず木の幹に寄りかかって一息つく。

「あ、大丈夫ですか⁉」

 追手の警戒網を突破できたことで気が抜けたのだろう。女性が膝を付きそうになってフィーリーが声を上げる。シザクラはすかさず彼女の背を支えた。

 その軽さ、線の細さ。そして微かな震えで、いかに彼女が緊張していたのかが分かった気がした。連れの女の子、プティが、心配そうに彼女に縋る。「大丈夫、プティ。ちょっと躓きかけただけだよ」と彼女は強張った笑みを見せた。気丈な人だ。

「……ありがとうございます。何とお礼を言ったらいいか。あなた方がいなかったら、きっとわたくしたちはあの街で……」

「いえ。あたしたちはただの通りすがりのお節介焼きなんで。こちらこそごめんなさい。無理に連れ出すような真似しちゃって」

「……君も。怖かったよね。よく頑張ってね」

 フィーリーが自分より小さなプティに目線を合わせて屈み、安心させるように微笑みかける。プティはまだ母親の手に縋りついてやや身を隠すようにしていたけれど、小さく頷き返した。

(フィー、そういう接し方、何か新鮮だな……)

 シザクラは密かに感慨深くなる。案外彼女はそういう立ち位置も似合うしこなせるのかもしれない。今まで守るべき対象とばかり見ていたけれど、彼女だってもう経験を重ねた一端の冒険者なのだ。

「歩けますか? あいつらが街から出てくる前に、少しでも距離を取っておきましょう。行く宛てとかがあれば、そこまで送りますよ」

「……正直に申しますと、宛てもツテもないのです。今までも各地を転々としていて……。とりあえず、近場の町までで大丈夫ですので」

 自分の足で立ち上がった女性は、力なく微笑んだ。顔色はあまり良くなく、目の下に薄く隈も浮いている。ほとんど眠ることも出来ない不安な日々を送ってきたことが容易に想像できる。おそらくさっきの連中にずっと追われているのだろう。

 奴らは、何者なのだろう。何故彼女たちは追われているのか。完全な第三者だが、シザクラはもう首を突っ込む気満々だった。

 フィーリーを見る。彼女も真っ直ぐな視線だけで告げてくる。方針は決まった。

 シザクラはにこやかに、女性に声を掛ける。

「まあ、近くまでと言わず。良ければしばらく一緒に行動しませんか、せっかくですし。あとちなみになんですけれど──」

 シザクラとフィーリーはなるべく子細に、目的地であるビジョンで見た塔の特徴を彼女に伝えてみた。

 彼女は少し考えて、顎に指を当てたまま記憶に頭を巡らせるように空を遠い目で拝んだ。

「……確か亡くなった祖母が。そんな塔の話をしていたような気がします。確か昔は魔法の学校だったらしいですが、今は放棄されていて廃墟になっているとか」

 ──祖母は、その魔法学校出身だったんです。彼女は語る。それにぴくんとフィーリーが反応した。

 かつて存在した、魔法の学校の廃墟。そんな場所に、フィーリーの両親は何をしに行ったのか。そしてかつて魔法が一般的だった時代の、遺物。現役で魔法使いの彼女にとっても興味深い場所なのだろう。

「場所もわかります。祖母が昔紙の地図で教えてくださったんですの」

 彼女は地図の魔石を取り出して、投射した大陸の端の方を指差す。海沿いだ。ここからなら、徒歩で数十日といったところか。

 シザクラは改めて、フィーリーと目配せ合う。これは僥倖だ。情けは人の為ならず。どうやらそれは本当だったらしい。

 そしてシザクラは、女性にそっと握手のために手を差し出す。

「あたしはシザクラ。この子はフィーリー。偉大な現代の魔法使い。よろしければ、その塔まででいいので道案内をお願いできますか? えっと……」

「……そうでしたわね。自己紹介が遅れました。わたくしはルーヴ・ブランク。この子はわたくしの娘で、プティと申します」

 ルーブと名乗った母親が肩に手をやると、プティはまだ彼女の服の袖を掴んだまま小さく会釈した。利口な子だ。シザクラも膝をついて彼女に挨拶した。

「……恥も掻き捨てて申し上げますと。魔物が溢れている外の世界は、わたくしたちだけではとても渡り歩けなくて、困っておりました。あなた方の提案は大変ありがたいのですけれど、わたくしたちは先ほどのような厄介な連中に追われていて──」

「それなら。あなた方は道案内を。あたしたちは護衛を。それぞれ物々交換しません? 損はさせません。それにもう、賽はあたしたちから投げちゃいましたから」

 笑いかけると。ルーヴもようやくそれで小さく微笑みながら、ようやく手を握り返してくれた。思ったよりずっとか細い手だった。この手で彼女は、必死に自分の子供を守ろうとしている。事情はまだわからないけれど、それくらいはわかる。

 なら、それを少しくらい助けたって罰は当たらないだろう。フィーリーも俄然やる気を見せた様子で「よろしくお願いします!」と声を張った。

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