第6話──1「邂逅の街」


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「あれがベゲーグン……! 圧巻ですね! あんなに大きいとは……!」

 丘の上からその全景を拝んだフィーリーが、はしゃいだ声を上げて身を乗り出す。「危ないよ、落ちちゃうって」とシザクラは苦笑しながら後ろからその背中を捕まえた。目の下に手をかざして楽し気な彼女は、しっかりしすぎている普段の彼女とは違って年相応の感じで。シザクラも、何だか楽しくなってしまうから不思議だ。

 交易都市、ベゲーグン。シザクラたちの目的地。周りを城壁で囲まれたその街は壁の上から突き出すくらい高い建物までよく拝める。ちょうど真横から眺めるような位置だから、その規模がよくわかる。

 フィーリーと出会ってから訪れた街では、一番発展していて大きな街だ。交易都市を冠する通り、様々な人が集まるようにそこを訪れるのだろう。開かれた門から中に入っていき、また別の門から出ていく人たちが、先ほどからちらほらと見えている。

 そうやって絶え間なく人々が行き交い入れ代わり、時折交流や商売、貿易などの主流の場になっているのだろう。その賑わいがここからでも伝わってくるのがわかる。わくわくしてきた。

「ああいうところって、世界各地のお酒もいっぱい溢れてるからいいんだよねぇ。売り子の女の子は可愛い子が多いし、楽しみ……いや、本当にごめんなさい。そんな目で睨まないで」

 背中から抱き留めたフィーリーが肩越しに憤怒の視線圧を掛けてきたので、シザクラは素直にしゅんと謝る。ここ数日、いくつか酒場のある村に立ち寄ったが、お酒は一滴も体に入れていない。正直そろそろ本能を酒を欲していたが、これは禊なのだと自分に言い聞かせる。お酒は高い。呑みすぎ体に良くない。でも、適量なら百薬の長なりたる。……隠れて一杯くらいなら、いいかな。あ、ダメそう。今また睨まれた。最近彼女は、シザクラの思考まで読んでいるようで末恐ろしい。

 丘を下り、街道を通って、ベゲーグンの入り口である門の一つへ。

「うわぁ! すごい規模ですね……。こんなところが、世界にあるなんて」

「まだまだこんなの序の口だよ。世界はまだまだ色んなとこがあるんだから。一緒に巡っていこう」

「ふふ、そうですね」

 見上げた景観に驚いているフィーリーについそう言って、シザクラは思わずはっとなる。自分の言葉。

 自分たちはどこまで一緒に行けるだろうか。自分はいつまで、彼女と一緒にいられるだろうか。そんなことを、ふと考えることがある。彼女の旅の終わりまで。見届けるつもりではあるけれど。

(……もしかしてあたし、もう結構深みにはまっちゃってんのかなぁ)

 彼女との別れを、早くも勝手に惜しみ始めている自分に気づいて、驚く。

 旅は今までずっと一人だった。そんなのとっくに慣れ切っていると思っていたのに。

(まだこの子に。あの子のこと、重ねてんのかな、あたし……)

 軽い足取りで歩いていく、マントを羽織ったその後ろ姿。夕焼けの下で見た、セピア色を纏った後ろ姿と重なる。記憶の中。もうだんだんそれが、朧げな景色になっているのを感じた。

『じゃあ、またねシザクラ。明日も楽しいこと、一杯しよう』

 振り返って、こちらに手を振る笑顔。その記憶の靄が、こちらを振り返って不思議そうに見つめてくるフィーリーの姿で晴れた。またぼんやりしてしまったようだ。

「シザクラさん? 早く入りましょうよ。……またお酒を呑む口実を考えていたわけじゃないでしょうね?」

「してないしてない。頭の中でこれからの作戦会議してたの。さ、行こっか」

 門の前には衛兵がいる。いや、どうやらここの支部の騎士団の団員なのだろう。シザクラはなるべく彼らに見られないように俯きがちに中に入った。自分の顔まで知っている騎士団の連中はあまりいないはず。でもやっぱり、すれ違うのは少しだけ肝が冷えた。もし気づかれたら、ちょっと面倒なことになる。だから騎士団の必ずいる大きな街は厄介なのだ。

「こんなにたくさん人が……! 私たちのような冒険者の方も多いようですねぇ」

 街に入る。広い表通りは、人混みになっていて歩くのもやや苦労するような具合だ。左右を大きな店舗、露店も並び、盛況を見せている。日夜、こんなお祭り騒ぎなのだろう。路上で楽器を鳴らし、ハーモニーを奏でる楽団までいて、肉の焼ける香ばしい匂いと、店先に並べられた色とりどりの宝石、衣服たち。五感全部を楽しませるような雰囲気だった。

「あ、シザクラさん見てください! あのキラキラの飴! どうやって作ってるんでしょう? どんな味がするんだろう……」

「フィー? 本来の目的忘れてないー? 情報収集にここに来たんだからね、あたしたち」

「わ、わかってますよぅ。ただちょっと興味をそそられただけで……。美味しそうなものが、あちこちにありますね……。すごい誘惑です……」

「あたしがお酒の誘惑に誘われる気持ち、わかってもらえたかな」

「うぅ……少しは。ちょっと厳しくしすぎて、すみません……」

「いや、ごめん。お酒関連のことは悪いの千割あたしだね。もっと節酒します……」

 そんな会話をしつつ、シザクラは地図を広げる。かなり広い街だ。だが情報収集という目的なら、とりあえず向かう場所は一つだろう。

「よし、一旦酒場に行って聞き込みしてみよう」

「……シザクラさん? 節酒するんじゃなかったんですかぁ……?」

「そんな恨めしい目で見ないでって。違う違う。ああいう場所って、大抵冒険者の憩いの場になってるからさ。情報通がいることも多いわけよ。まぁ、ちょっと軽くお酒のラインナップは確認しても……冗談ですすみません」

 地図の魔石を頼りに、とりあえず通りに面して一番大きな酒場へ。かなり繁盛していて、酒目的ではなくて料理のために訪れている冒険者たちも、談笑を楽しんでいた。

 この辺りに高い塔はないか。百合の花が頂上に咲いているような。この大陸でそんな場所を見かけたことはないか。

 一通り聞いて回ってみたが、あの百合の花のビジョンで見た塔の特徴と一致するような場所の情報は仕入れられなかった。これはもしかしたら、なかなか難儀するかもしれない。人里から離れた場所にある、今は忘れ去られた建造物なのかもしれない。

「お、お嬢ちゃん可愛いじゃねぇか。今時魔法使いごっこかい。渋いねぇ」

 ふと昼間から酒を煽って赤ら顔の男性に、フィーリーがそう声を掛けられた。当然、フィーリーはむっとする。

「お嬢さんじゃありません。それに、ごっこじゃなくて私は魔法使いなんですっ。正真正銘!」

「へへっ、そっかぁ。なら俺も相当名の通った勇者だなぁ。がっはっはっ!」

 彼の連れらしい同じテーブルに着く連中もフィーリーを茶化すように笑い声を上げた。フィーリーは何か言い返そうとしていたが、結局口を噤んで俯いてしまう。

 同じ酒好きとしても。さすがに看過できない。

 フィーリーを庇うように、シザクラは男たちの前に立った。

「そうだねぇ。おじさんたちも似合ってるよ? 冒険者ごっこ。お酒呑んでいい気分なのはわかるけど、大人ごっこもほどほどにね?」

 わざと煽るように笑いかけてやると、男たちの笑みが引っ込む。野次を飛ばしてきた酔っ払いが立ち上がって、シザクラを見下ろしてくる。

「おい、女ァ? 今何か言ったか? 質の悪い冗談だって言うなら、酒をおごってもらうだけで許してやるぜ?」

「こっちも外の露店のキャンディー代出してくれるなら、広い心で許してやるけど。男ぉ?」

 言いながらシザクラの目は、冷静に男の体の急所をいくつかピックアップしている。一撃入れれば戦闘不能になるところ、二度と今の健全な体ではいられなくなるところ。人体は弱点がわかりやすくて助かる。

「……あの。ここは楽しく飲食を楽しむだけの場所です。喧嘩は、あまり感心しませんわ。子供も見ています」

 ふと割って入って来た、凛とした声。

 きりりとした切れ長の眼差しが、厳しくシザクラと男を睨み、諫めている。

 身長はシザクラよりやや小柄。だが、大人らしい女性だ。ふんわりとウェーブ掛かった長い髪はブロンド。どことなく高貴な雰囲気と厳格さが感じ取れる佇まい。

 彼女は、小さな子供の手を引いていた。同じようにブロンドの髪をした、女の子だ。おそらくフィーリーよりも年下。六歳くらいだろうか。

「なんだァ? ガキがいるからなんだってんだよ。どいつもこいつもバカにしやが……っ⁉」

「席に、戻って。そのままじっとしていてください」

 身振りしようとした男の動きがぴたりと止まった。男は目を見開いたまま、女性がよく通る声で囁いた通りにすとんと席に座る。

 シザクラは見た。今一瞬、彼女の目の中に緑色の揺らいだ光が宿った。魔法だ。雰囲気で悟る。魔石は介していない。

「……出ましょう。ここにいる方々にご迷惑が掛からないうちに」

 女性はシザクラたちを店の外へと連れ出してくれる。おかげで荒っぽいことをせずに済んだ。

「あの、ありがとうございます。すみません、手を煩わせちゃって」

「いえ。悪いのは品のない言葉を使ったあの方々の方ですわ。冗談は、品があって相手を楽しくさせて初めて冗談ですから。あれではただの、つまらない戯言です」

 謝るシザクラに対し、初めて薄く微笑んだ彼女は言う。そして、ロングスカートの裾を縋るように掴んでいた女の子をそっと撫でた。

「ごめんね、プティ。ご飯も食べたし、もう行こっか。では、わたくしたちはこれで」

「あ、ありがとうございました……!」

 会釈して、彼女は去って行ってしまう。フィーリーが慌てて頭を下げる。

「……綺麗な人だったなぁ。たぶん親子だよね。名前、聞いとくの忘れちゃった」

「……シザクラさん? 助けてくださった人に邪な想いを抱くのは感心しませんよ」

「そんなんじゃないってぇ。恩人の名前くらい知っときたいでしょ。おかげであの腹立つ奴をぶちのめさなくて済んだし」

「そうですね。……シザクラさんも、ありがとうございます。私のこと、庇ってくださって」

 きゅっと彼女が、シザクラの手を握って、嬉しそうに微笑みかけてくる。つい、どきりとした。いや、どきりってなんだ。

「い、いや、君が魔法使いなことに誇りを持ってるのはよく知ってるからさ。あたしがムカついちゃっただけだし。……そ、それにしても、何者なんだろうねあの人」

「……さっき使われたの、おそらく魔法、ですよね。おそらく精霊を介していない、自然魔法ではないタイプの気配でした」

 フィーリーが女性たちが去っていった方を見ながら考え込むようにして言う。

 シザクラは魔法についてよく知らないが。魔法にはフィーリーが使うような自然を司る精霊から力を授かるタイプのものと、精霊を介さないタイプの二種類が大雑把に存在している。

 この前対峙したターシェンが使っていたらしいものは、後者の更に分岐した、禁断魔術のものらしい。さっき彼女が使っていたのはそういう感じはしなかったけれど、何らかの作用をもたらしたのは確かだ。

 それに魔石を使わず魔法を扱える人間は、珍しい。妙に気にかかる人だった。

「……おい、そこの二人」

 ふと声が掛かる。振り向いてみると、この往来でも明らかに異質な雰囲気の集団が立っていた。どこか無機質で、まったく表情がない男がシザクラたちの前に出る。

(……こいつ。まともな奴じゃないな)

 一瞬で分析する。そしてさっきの男たちとは比べ物にならないほど、手強い。同時に、良識は通じなさそうな、負のオーラを纏っているような感じがした。とりあえずこちらに敵意は向けていなさそうだ。

「何? 酔っ払いに絡まれるのはもう間に合ってたけど?」

「さっきブロンドの髪をした女と話してなかったか? 子供を連れている。どっちに行った?」

 どう考えても、さっきシザクラたちを助けてくれた女性のことだった。……きな臭くなってきた。

「あっちに行きましたよ。もう街を出ると言ってました。早く行かないと、門から出て行ってしまうかもしれません」

 フィーリーがまったく関係のない方を指差して言う。男たちは無言で目配せ合い、その方向に向かって走っていった。

「フィー、ナイス判断。こりゃ、何か訳ありの気配がしてきたね」

「……あの方たちを、追いましょうか。胸騒ぎがします」

 シザクラたちも目配せして。男たちがいなくなったのをしっかり確認してから、女性たちの後を追った。

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