第5話──4「よし!依頼達成、ヤることは一つ」
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「うおー! これが上澄みの滝! めっちゃ空気まで澄んでる感じすんねぇ! 汲む容器を用意しないと!」
水源地の最深部、つまりは丘の上。シザクラは目的地である湧き水の滝へと辿り着いていた。
絶景。というわけではない。思ったよりも小ぶりの滝だった。流れも穏やかで、それが丘の下に行くにつれて大きな水流の滝へと変わっていくのだから不思議なものだ。小さなものが、やがて大きな流れを生む。面白い光景だった。
「シザクラさん、フィーリーちゃんお疲れさま! 湧き水は私が汲むから、二人は休んでて! 見晴らしもいいし川も浅いし、これなら魔物もいないでしょ」
馬車から大量の大きな水筒を取り出したシュトルはそう言って早速水汲みを始めていた。ここまで歩き詰めだったのに、彼女は微塵も疲れた様子がない。商売魂逞しいことだ。
「あの……シザクラさん?」
ふとフィーリーがシザクラの手を掴んできた。
その赤らんで、どこか目を泳がせた表情を見なくてもわかっていた。「ちょっと岩陰で休んでるねー! 何かあったら教えて!」とシザクラはフィーリーに手を引かれながら水汲みに夢中なシュトルに声を掛けておく。
「シザクラさん……」
滝の方からは死角の場所。今度は勢い余ったフィーリーに、シザクラは岩壁へと背中を押し付けられ追い詰められる。
こちらを見上げる彼女の目は、爛々としている。食いつくように甘える小動物を思わせるが、牙と野生はちゃんとある。油断するとこっちが食べられてしまいそうなほど、今の彼女は余裕がなさそうだった。
「……わかってる。声、上げちゃダメだよ? さすがにシュトルにバレちゃう」
「我慢、します、から。早く……」
彼女に服の襟を引かれ。シザクラはそのまま彼女の唇を塞ぐ。
(甘い……っ)
散々焦らされたせいか。いつもより彼女との絡みが頭をじんじんと痺れさせる感じだ。もっとその感覚が欲しくて、もう舌を彼女に遣っている。たちまち彼女もそれに抱擁を返してくる。
滝が流れていてくれてよかった。荒いキスの水音、呼吸、喘ぎがそれに紛れてくれる。
フィーリーの乱れたそれらは、傍にいるシザクラにしか届かない。独り占め。混ざった唾液で濡れた唇を半開きにして、とろんとこちらを見上げてくる表情も。……もうこれは、サキュバスの誘惑効果だけじゃないかもしれない。シザクラは自分の欲を認める。
「フィー……可愛い……」
ついそんな言葉が溢れてしまう。触れた彼女の頬は熱く、指に貼り付くような瑞々しさを帯びている。そっと撫でて、内側に巻かれた髪の隙間から見えている小振りな耳にも触れる。それだけで、ぴくんと彼女は大げさな反応をした。
「シザクラさん……っ。私、もう、ここが熱くて、辛く、て……っ」
彼女が片手で、自らのローブの裾を捲り上げる。そしてその中に、もう片方の手でシザクラの手を招いてきた。
「フィー……」
思わずシザクラが生唾を呑んだ時だった。
背後で激しい音が鳴り、地面が揺れて土埃が舞った。
「な、なになに……⁉ もぉおいいとこだったのに……っ」
慌てて濡れたままの手で、刀を握る。
振り向けば晴れていく土埃の中から。巨大な岩のような影が現れる。姿は、握りこんだ拳のようだ。その右側に、更に一回り程小さな握りこぶしを付けている。その手はチョキを象っているようで、人差し指と中指のようなそれは鋭く、刃のように研ぎ澄まされている。
蟹に、その姿はよく似ている。魔物は人そのものや、部位に類似しているような姿形なので、少々不気味な造形。
シェレードだ。要するに、大きな蟹。その凶暴性は言わずもがな。
魔物にしては珍しい個体で、シザクラも初めて目にした。気性が荒いらしいから、たぶん今だと話は通じないだろう。おそらく奴はここのボスで、縄張りに踏み込んできた我々に相当腹を立てている。
「フィー。自分を守りながら、魔法の詠唱を。あたしはあいつを引き付けておくから……フィー?」
身構えたシザクラの前に。フィーリーが下着と乱れたローブを直しながらゆっくりと歩いていく。止めようと手を伸ばしかけて、ぞくっと背筋が寒くなった。
鋭く燃え滾るような、怒り。それが彼女の背中から発せられていた。シザクラも思わず一瞬固まってしまうほどの。
彼女は本を召喚し、凄まじい早さでページを展開していく。言葉の輪。一気に五つほども彼女の周りを、高速で回転し、発光する。
「……失礼。ずかずかと住処に踏み込んだ私たちが悪いのは、百も承知ですが。今私たち、ちょっと取り込んでまして。引っ込んでいて、もらえます? すぐ出ていくので」
──じゃないと、痛い目見ますよ。そう言ったフィーリーの声は冷静に、冷え切っていた。本気で怒っている時のそれだ。こうなるとシザクラですら手が付けられない。
サキュバスとしての本能を邪魔されたというのもあるのかもしれない。だとすれば、シザクラに今出来ることは。
「……フィー? あんまり痛いことしないであげてね……?」
そう小声で、かろうじて忠告することくらいだった。
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