第5話──3「やば?あたしも発情中…?」


  3


「とりあえず澄んだ滝へのルートは、こんな感じ。さっきみたいに魔物も出ると思うし、私は後ろであなた達に付いて行くね。もう出しゃばったりしないから……大丈夫? フィーリーちゃん、やっぱり具合悪いんじゃない?」

「あーいや、大丈夫っぽい! たまに何ていうの? こういう甘えたい時期が来ちゃうみたいでさぁ! 大変だよねお子様は! あはは!」

「お子様じゃありません……。でもまぁ、そういう時期なんです……」

 シュトルが心配そうにこちらを見てくる。フィーリーが、ぎゅっとシザクラの体に横から抱きついているからだ。すりすりと額を脇の下辺りに擦り付けられて。彼女の昂った感情がそのままシザクラにも伝染してくるようで、やばい。

「それならいいけど……。体調が変わってきたら、無理せず引き返そうね。私の責任だから、依頼をやめても報酬は払うから」

 目的地の上澄みの滝を目指しつつ、水源地の谷を登るように進む。道はそこまで険しくないし、人の手が入っていたこともあって進むのに苦心することもない。出てくる魔物もそこまで強敵ということもなく、穏便に、時には少々乱暴にお帰りいただいた。フィーリーの話が通じないのもいるのだ。

 それよりも、今一番の問題は。

「あっ、シザクラさん。指のところ、少し切れてますよ」

「ほんとだ。まあ、こんなの傷のうちにも入らな……っ!?」

 フィーリーがふとシザクラの手を取ると。彼女は躊躇なく僅かな切り傷のついた親指を口に含んでしまう。

 傷は付け根の方にちょこっとだけなのに、彼女は親指全体を唇で挟み込み、軽く甘噛してくる。見上げる、とろんとした甘い眼差し。小動物のような愛らしさと、どこか色香漂う艶っぽさが入り混じった表情に。思わずシザクラは生唾を呑む。彼女はする時、こんな扇情的な表情をするのだ。記憶が過った。

「んっ……」

 彼女はシザクラの親指の付け根、ごく僅かな傷のところに舌を這わせてくる。ちろり。傷を慰めるというよりは、愛撫の気配を含ませた舌の遣い方。与えられる淫らなこそばゆさが、シザクラをまたいたずらに煽る。

「フィーリーちゃん? 傷は唾を付けるより、ちゃんと消毒した方がいいかもよ? ほら、私絆創膏とか持ってるし!」

 シュトルの声ではっと我に返る。一瞬やばいと感じたが、彼女は二人の間に流れる空気を察さないでくれたようで、救急セットを取り出してニコニコとしていた。とりあえず気づかれてはいないようでほっとする。

 更に先へ進む。湧き水の源泉である滝が近づくにつれて、人が最近まで出入りしていた痕跡が減っていく。比例するように魔物の数も増えた。

 シュトルがシザクラたちに護衛を頼んだ理由、湧き水の希少価値の原因が何となく理解できた気がする。水場ということで魔物の生態系も変わり、ここだけ他の場所とは違う対処を迫られることになる。そこら中にある水溜まりから飛び出してくる魔物たちは神出鬼没で、カエル特有の長い舌、大蛇特有の長い胴を生かして水の中から直接攻撃をしかけてくることもあった。

 ほとんどダンジョンに近い、やや険しい道のりだ。だがあくまで中級者の旅人向けといったところか。

 フィーリーは手慣れたものだった。魔物との戦闘も手慣れたもので、魔法の詠唱の長さをその状況によって瞬時に切り替えられるほどの余裕すらある。魔法は詠唱の長さで精霊から授けられる力の加減が変わるらしい。そんな特性すら、ぶっつけ本番の戦闘で活かすことも出来る。彼女の成長は著しい。正直、彼女一人でもこの水源地はダンジョンとして攻略できるのではないかと思えるほどだ。

 更にサキュバス特有の聴力も、身を潜めてこちらを狙う魔物の気配さえも探り当てられる。水面から飛び出してくる前から、魔物の存在とその敵意に気づくのだ。サキュバスの力なのかわからないが、魔物と意思疎通できる力は言わずもがな。ここに来てから一体も、魔物を討伐していない。彼女は自らに与えられた才覚を見事に発揮している。出来ている。もう一端の立派な冒険者だ。

 ……だけれど今、彼女はそのサキュバス特有の体質に助けられつつ、ある意味苦しめられている。

(……さっきから、めっちゃ視線が熱いんですけど)

 シュトルと馬車を引くラッセンを先導して歩くシザクラ。その隣にいるフィーリーは、先ほどからじっとこちらを窺うように視線を送ってくる。それが明らかにほんのりと湿った熱を帯びていて、肌を這う。

 まるで舌遣いのような眼差し。そこにしっとり吐息のような感触まで錯覚してしまうから始末に負えない。彼女の今の目には、それだけの質量があるような気がする。というか、見つめられているだけでおそらくサキュバスの誘惑効果が働いていて、こちらも落ち着かない気持ちになる。

 正直、シュトルがいなかったらこの場で彼女に迫っていたかもしれない。それくらい、シザクラは自分の膨らみつつある肉欲を何とか自制していた。結構辛い。あたし、意外と我慢強いな。これならたぶん、お酒との関係も断てそうだ。うん、いける。

「あ! 見て見て! こっから湧き水がちょっと溢れてる。……うん、これは純度百パー。すぐ呑めるやつだ。本流も近いね!」

 シュトルが岩場の切れ目から微かに吹き出す湧き水に駆け寄る。何やら魔石を組み込んだ道具を使い、水の純度を計ってそれが目当てのものであるとわかったようだ。あからさまにはしゃいだ様子になる。

「目的の滝はたぶん、この上だね。ほら二人とも。呑んでみて。ここまで来た価値はあったって思えるような味わいだよ」

「……では、さっそくいただきますね」

 フィーリーがらしくもなく率先して湧き水を呑みに傍へ行く。状態異常:発情で体温が普段より高いから、喉が渇いているのかもしれない。シザクラも少し心配になり、彼女の横に付く。

「んっ……ん、む……っ」

 滴る水流に、彼女はそっと口づける。その薄く淡い唇が微かに突き出される様に目を奪われた。

 ちろり。彼女は短い舌を伸ばして、湧き水を舐めとる。その動きがやけに悩ましい。子猫が水を呑むようなのに、どこか淫らな気配が漂っているのだ。こくんと、口に含んだ水を呑み下して。その白い喉が上下するのにも釘付けになる。

(えっ、これわざと……? それともあたしがすけべなだけ……?)

 彼女の悩ましさに悩む。かと思えば、彼女はちらりと流し目でこちらを捉えた。そのからかうような大人びた眼差しで察する。

 わざとだ。ぶつん、とそこでシザクラの太い理性の内一本がダメになった。

「……フィー、ちょっとこっち来て」

「え、あ、シザクラさん……?」

「シュトルとラッセンはちょっと待っててね。ちょっと向こうの方偵察してくるから。動かないように」

「あいあいさーっ」

 丘を少し登り、シュトルから死角の岩陰にフィーリーの手を引いていく。立ち止まって彼女と向き直ると、少々向こうは戸惑った様子を見せていた。

「し、シザクラさん、あの、今のは。発情の状態異常でついやっちゃったというか……。ごめんなさい、怒っちゃいま……⁉」

「怒ってないよ。でもあたしだって、我慢の限界はあるからね?」

 ──誘ったの、そっちだから。岩陰に彼女の背を優しく押し付けるように腕をつくと。シザクラは小さなフィーリーに覆い被さるようにその唇を塞いでいる。

「んっ、ん、ふぁ……っ」

 予想外だったろうに、無意識なのか。彼女は自分からもシザクラに唇を押し付けてくる。舌を差し出せば、たちまちその小振りで薄い下が絡みついてくる。

 今まで堪えていたものが一気に決壊した、そんな荒々しいキス。呼吸の間すら惜しんで、お互いの唇、感触を貪る。

 彼女の顎から滴る唾液を指で拭いながらも、シザクラは唇を塞ぎ続ける。……甘い、のは。先ほど彼女が口に含んだ湧き水か。それとも彼女自身が甘味を帯びているのか。どちらにせよ粘膜接触を経て彼女の誘淫効果が一気にシザクラに回って、酒に酔ったかのようにくらくらした。いや、それ以上に酩酊した。

「シザクラ、さ……っ」

 ……ダメだって。そんなもの欲しそうな目で見上げられたら。全部あげたくなっちゃう。全部欲しくなっちゃう、から。

 シザクラはフィーリーのマントの中に手を入れ、ローブ越しにその幼い身体の線を撫で回す。

 ぴくんと伝わってくる、彼女の反応。それを掌で更に転がしたい欲に追われていた。

「おーい! シザクラさーん、フィーリーちゃーん! そっち大丈夫そ? もう行ってもいいー⁉」

 丘の下からシュトルの呼びかける大声が聞こえてきた。シザクラは慌てて、まだぼうっとしているフィーリーの口元をハンカチで拭ってやり距離を取る。すぐシュトルがラッセンの馬車を伴って姿を見せた。

「うん。ここからは水場もないから奇襲とかも警戒せずに済みそうだね。……あれ、フィーリーちゃん顔赤くない? もしかして湧き水で変な効果出ちゃったりした……?」

「ち、違いまふよ……っ。ちょっとここ暑くて……っ。さあ、早く目的の滝までふふみまみょう、シュトルふぁん!」

 完全に回っていない呂律で、フィーリーはごまかしていた。シュトルはやや不思議そうだったが、「そうだね! 行こうか!」と先に進んでいく。

「ちょっ、シュトル! まだ魔物がいるかもしれないから……」

 慌てて覆うとしたシザクラの服の袖を。ふと、フィーリーが抓んできた。振り返ると、潤んだ瞳で彼女はこちらを見上げる。

「……この依頼終わったら。さっきの続き、お願い、します……っ」

 舌足らずな甘い声。照れたように彼女はとんがり帽子を深く被り直して先に行ってしまう。

(……やばい。抱き潰しちゃわないようにしないと……)

 限界突破しそうな自分の欲を何とか内側に留めつつ。シザクラは熱くなった顔を隠してフィーリーたちを追った。

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