第5話──2「えっ?状態異常:発情!?」


  2


「ここが、ウォッサー水源地……。その名の通り、水でいっぱいですねぇ」

 数日後。シザクラたちはウォッサー水源地へと赴いていた。

 フィーリーの言う通り、入り口からもう水の流れる音と水の気配が濃厚にする。心なしか、空気がしっとりしていて美味しい気がする。シザクラはちょっと深呼吸しておく。

 あちこちに湖のような水のたまり場がある。というか、水のたまり場の隙間に道があるという感じだ。壇上になった上の池から、滝のように次から次へと水が流れて行っている。その水は切り取られた崖下の川へ。きっとそのまま海へと合流するのだろう。何だか自然の雄大さを目にしたような気分だ。

「でも何だか、水のたまり場が妙に均等だね。というか、水門とか、水を吐き出すポンプのようなものまである。ここ、明らかに人の手が入ってるね。いや、入っていた、というのが正しいか」

「ご名答。ここで見つかった水はさ、本当に澄んでいて美味しいらしくてさ。何とか人里近い場所まで引っ張ってこれないか色々昔の人達は検討と奮闘を重ねたっぽいんだよねぇ。で、色々手をこねくり回して手を加えて何とかしようとしたけれど、結局頓挫。今じゃほとんど跡地っていうか廃墟で、魔物の住処になっちゃってるんだ」

 ──だから、ここの湧き水はめちゃくちゃ価値がある。シザクラに説明するシュトルは、腕をぐるぐると回してやる気を見せる。目が爛々としていた。商売魂たくましいことだ。ますますこの子のことが好きになった。……などと思っていたら、またフィーリーに睨まれていた。読心術まで身に付けられたかもしれない。やばい。本格的に禁酒させられるかも。

 確かにここは人が管理しようとして、手に余してそのまま放棄したような痕跡が残っている。湖だと思っていたのはおそらく貯水池で、この段々とした滝のような水の流れもその名残というわけか。

 その流れも制限しようとした、大げさに大きな水門。それに、今も水を垂れ流し続けて職務を全うしているポンプ。どちらも錆び切っていたり、壊れていたりしている。時間と自然を前にした、人の無常さを感じる。

「……何というか。少し偉そうなことを言わせていただきますが。自然を我が物にしようとする人間の傲慢さを感じますね。そういうの、私はあまり好みではありません」

 フィーリーが不満げに人工的な水の遊び場を眺めて言う。珍しい。彼女はこういうところを関心的だと思っていたけれど。

「魔法使いの君がそれを言うかね。自然、操ってるじゃん」

「魔法は自然を借りるだけです。自然の主である精霊の許可をちゃんと得てますし。複合させることはあっても、自然は自然のまま扱います。ちゃんと敬意は払っているつもりです。それが魔法使いの、基本の心得ですから」

「じゃあフィーからすれば、今世界の発展に貢献してくれてる魔石なんかはもってのほかの存在だね」

「……まぁ、定義的に言えば。あれは自然の力を石の中に閉じ込めて、意のままに操るものですから。その原理も、よくわかっていない、不自然な代物です。おかげで魔法という存在自体も、衰退してしまいましたしね。……でもまぁ、それはあくまで魔法使いである私個人の見方です。人の世界が便利になって、人々が快適に過ごせるなら。それに越したことはありませんね」

 やや辛辣な言葉を使いつつも、最後は柔和に魔石に対して話を結ぶフィーリー。意外と、頑固で頑なな見方はしていないらしい。この年で、俯瞰的に物事を捉えられるか。いい子だ。

「確かに、魔石の原理ってよくわかってないんだよねぇ。魔石の供給の中心である王都、フレアラートも石自体に魔力を封じ込める力が何たらーとか言ってるけど、その封じ込める力も何だかわかんないし、どっからの魔力とかも皆知らないで使ってる。かく言う私もね。でもま、技術なんてそんなもんでしょ。人なんて、身勝手でなんぼよなんぼ。そうやって繁栄してきたんだからさ」

 その身勝手さの象徴であるウォッサー水源地を見渡して楽しそうに回りながら、シュトルが言う。そして手を叩いた。

「さ、お話はそのくらいにして。進もうぜ。この辺りの水は不純物が多くて商品としての価値はない。目指すは最深部の上澄み。希少だからこそ価値がある。商人として腕が鳴るね。さ、護衛よろしく!」

 シュトルに背を押されて、シザクラたちは先陣を切って歩き出す。シュトルは馬のラッセンが引く馬車を伴って付いてくる。

 見たところ水場が多いおかげで木々や岩など、視界を遮るものは少ない。見渡しが効くから、魔物の接近にはすぐ気づけるだろう。

 ……いや。それにしては目の付くところに魔物がいない。隠れる物陰があるとはいえ。ここは森や平原などと魔物の生態が異なる、と思った方がいいか。さっそくシザクラは嫌な予感がしてきた。

 不意に。フィーリーがぴたりと歩みを止める。シュトルが不思議そうにラッセンを留めた。

「どしたの? 魔法使いちゃん? もう休憩?」

「しっ。シザクラさん。──来ますよ」

 フィーリーが言った途端、道を挟んでいた左右の貯水池の水面が跳ねた。何かが飛び上がって来たのだ。

「ローゲか。ここが拠点地なのね、こいつら」

 シザクラは背中から鞘ごと刀を握り取る。

 地面に着地したのは、この前相手にしたカエルのような魔物、ローゲ。それの小さい奴らの群れだ。小さいと言っても、人の身の丈はある。そのデカいガマ口なら丸呑みするのも容易いだろう。

 シザクラたちの前方に三体。馬車の後方に二体。こうやって狩りをするタイプか。視界が開けているという人間の油断も利用する。なかなか賢い。

「フィーリーは後ろの二体。あたしは前を相手するから。早めに説得よろしく。仲間呼ばれたら厄介だ、ここじゃ」

「わかってます」

 フィーリーが本を召喚。開いて、言葉の輪を展開させる。その時には、もうシザクラは駆け出している。

 とりあえず近かった一匹に向かって、思いきり刀を振るう。ぴょんと、跳んで避けられた。身軽だ。見かけ通り。

 もう一匹。また跳ばれたが、想定内。問題ない。

「まだまだァ!」

 刀の柄を離す。そこに帯が結ばれている。その端は、シザクラの拳にがっちり握りこまれていた。

 そのまま刀を鎖鎌の如く振り回し、跳んで無防備のローゲを振り落とす。そのまま刀を手元に引き戻すと、さっき跳ばしたローゲも回転斬りしながら舞い上がり払い落とした。

 そして三匹目。空中から踵落としを喰らわして、そのまま戦力離脱。シザクラが着地する頃にはローゲ三体全員戦意喪失していた。

 フィーリーの方に目をやる。彼女も後方の二匹を、水で作った輪っかで纏めて拘束していた。首尾、問題なさそうだ。

「フィー、お疲れ様。この子たち、帰ってもらえそう?」

「お疲れ様です、シザクラさん。一応言葉は通じているみたいですけれど。……この子たち、お腹が空いているみたいです。それでちょっと気が立っています。私たち、通るタイミングが悪かったですね」

「ま、お邪魔しているのはあたしたち側だからなぁ。仕方ない。なけなしの食料を分けてあげるか。それで帰ってもらえるか交渉して?」

「はい」

 結局、収納の魔石から取り出した干し肉その他の野菜などの食料を渡すことで元の池へと引き下がってもらうことが出来た。デカいカエルくんたち五匹分。結構痛い。こっちはほぼ無一文だし。

「帰ってもらえましたね。これで一件落着です」

 だがフィーリーが満足そうに微笑みかけてきたので、まあいいだろう。無血、不殺生。多少向こうを殴ってはしまったけれど、まあお互い様ということで。

「……あなたたちって、ほんと不思議な連中だよね。魔物を倒さないで逃がす人なんて初めて見た。それに、魔物と会話してなかった? それも魔法の一種?」

「まあ、そんなとこかな。奪う必要のない命は奪わない。あたしの雇い主の方針でね」

 シザクラが言いつつ目をやると、フィーリーは「その通りですっ」と胸を張る。

「へぇ、面白いねあなたたち。あ、見てっ。さっきのローゲたちが何か落としてったみたい。お宝かな?」

 シュトルが不意に目を輝かせて駆け出した。ローゲが何やら落としたのだろう。彼女はそういうのに目が無いようだ。

「シュトルさん! ダメですッ!」

 フィーリーが慌ててシュトルを追った。咄嗟のことにシザクラの反応が遅れる。

 別の池から、何かが飛びだしてきた。巨大な蛇だ。長くうねる胴に、人の下肢を付けたような顔を付けている。足を開くように開いた口。そこから何やら紫色のガスのようなものを吐き出した。無防備だったシュトルを目掛けて。

「ッ……!」

 シュトルを突き飛ばして、フィーリーはそのガスを浴びてしまう。

「フィーッ!」

 シザクラは刀を振り投げる。そして結んだ帯を引き、思いきり巨大蛇の頭を殴りつける。驚いた蛇は、そのまま水面下へと沈み込んでいった。もう一度浮かび上がって襲ってきたら、確実に斬り殺していた。だがその心配はなさそうだ。

 フィーリーは。もうガスを風の魔法で振り払っている。多少咳き込んでいるが、思ったより平気に見える。

「フィー! 大丈夫⁉」

「フィーリーちゃん! ごめん、私が先走っちゃったばっかりに……っ」

 シュトルと一緒に慌てて駆け寄る。ガスを浴びたはずのフィーリーは息を整えると、大丈夫だと示すように微笑んでみせた。

「平気です。私は魔法使いですから。自分の体に直接、浄化の魔法が使えます。魔物などがもたらす状態異常は、ほとんど私には効かないんです」

「本当に大丈夫? ムリしてないよね? 私のせいで……」

「大丈夫ですよ、シュトルさん。ほら、私は元気ですっ。魔法使いは丈夫ですからっ」

 心配して身体に触れながら注意深く確認するシュトルに対し、フィーリーは無事をアピールするために両腕を持ち上げて飛び跳ねていた。

(……毒が回っているような感じはないけれど。ちょっと様子が変だな……?)

 シザクラはシュトルに勝手な行動をしないように釘を刺しつつ、フィーリーを馬車の陰へとそっと連れ出す。

 何となくだけれども。彼女にはシュトルには悟られたくない何かが起きているのではないかと感じた。

「フィー? どうかした? 毒が回ってる感じはなさそうだけど、何かいつもと違う感じするよ? 具合悪いなら、あたしにちゃんと言って?」

 大丈夫かと聞くと彼女はごまかすと思ったので、シザクラはそんな風に尋ねてみる。すると、彼女は気を抜いたように息を吐いた。具合が悪そう、というよりは。それがどこか悩ましく艶めかしいものだったのでシザクラは少々意表を突かれる。

「……さっき言ったことの、半分は本当です。私、毒とかそういう状態異常は無効化されるんです。この前の催眠は違いましたけれど。でもそれは浄化の魔法の効果じゃなくて、私のサキュバスの方の体質のおかげみたいで……」

 ふとどこか潤んだような甘い眼差しでこちらを見上げてきたフィーリーは、シザクラの手を取る。

 そして、その人差し指と親指の背に、そっと自らの唇をあてがった。リップ音が、周りの水音の中でやけに鮮明に聴こえてどきりとする。

「状態異常を全部、『発情』状態に変えてしまうんです……。ご、ごめんなさい。今も頭がぼうっとして、シザクラさんの指に、触りたくなっちゃって……っ」

「ちょ、ちょちょっ……フィーリー今はまずいって……っ。シュトルもいるんだから……っ」

 慌てて指を口を含もうとしたフィーリーから自分の手を取り上げる。……縋るように小動物のような眼差しで見上げてくる彼女に、ドギマギ感情を何とか抑え込んだ。

(……いやいや。この現状。結構やばくない……?)

 状態異常:発情……。その弊害は言わずもがなだろう。彼女は強制的に劣情を抱いてしまう。おそらくこの様子だと、シザクラに。

 二人きりなら何とかなったかもしれないが、今は第三者のシュトルが一緒にいる。あまり自分たちのこの関係は、そういった者に知られるのは良くない。大いに、良くない。

 そして一番やばいのは。サキュバスである彼女の昂ぶりに、深く入り込みすぎている自分は。近くにいるだけで影響を受けるということ。正直彼女の無意識の誘惑に、もう乗せられてしまいそうになっているのを必死に堪えている現状だ。

 マジで、やばい。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る