第4話──8「魔法戦」
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「あなたは一体、何者なんですか」
努めて冷静に聞こえるように尋ねていたが。フィーリーは心の内で動揺している。そして多分、目の前の相手にはおそらくそれも悟られてしまっている。
フィーリーは空の上に浮かんでいる。開いた本を携え、周りには緑色に発行する言葉の輪が渦巻いていた。
不意の突風で、船の甲板から空高くまで舞い上げられたのだ。そしてそれが止んだ瞬間に、詠唱していた風の魔法を自分に展開させて今浮遊している。時間短縮の簡易版詠唱だったが上手く行った。
だが人を浮かせるほどの風力を伴う魔法は長続きしない。それも短い詠唱だ。先ほどもだいぶ魔力を消費した。自分で思った以上に持たないかもしれない。
それに、シザクラが取り残された幽霊船。今にも周りを包む魔力が切れかけている。それがなくなればあっという間に沈んでしまうだろう。すぐに彼女のところに戻りたい。だけれど。
今目の前で対峙している者が、それを許さない。まったく隙の無い、圧倒的な魔力。彼女の周りを漂っているというより、彼女がそれを纏っているようだ。そこに禍々しさはない。鋭く研ぎ澄まされた刃のような、洗練された凄みがフィーリーを臆させる。
赤色の長い三つ編みが二つ、風に靡いている。身長は、小柄なフィーリーよりやや高いくらいだろうか。
気になるのは、その切れ長の猫を思わせる目。紫色の妖しげな光を纏っている。
そしてその側頭部から現れた、上向きの角。自分の頭にあるそれと、よく似ていた。
「あーしはターシェン。お前の自己紹介はいらないよぉ、フィーリーちゃん。あ、やっぱ気になっちゃう? これぇ」
ターシェンと名乗ったその少女は、自分の角に触れて艶めかしく笑った。
「そうだよぉ? あーし、サキュバスなんだぁ。お前のお察しの通り。でもお前はあーしと同じサキュバスっぽいけどぉ、人間の匂いもするね?」
──お前こそ、何者? ターシェンが狙いを定めるように目を細めると。彼女の纏う魔力も、一斉にこちらへと牙を剥いた気がした。
フィーリーは身構える。何ていう鋭さ。そして的確な、魔力調整。自由自在に彼女は魔力を扱える。そんな確信があった。
サキュバスは自分の他にも存在する。自分のまだ顔も知らぬ母がそうなのだから、そうなのだろう。だけれどまさか、こんなところで同族と出会うとは。
そしてターシェンには。こちらに対する明確な敵意がある。彼女自身が察するように匂わせているのだ。
「あなたは一体どこから来たんですか。私の母を、同じサキュバスの母を知ってるんですか……?」
「えー? あーし、そうやって矢継ぎ早に聞かれるの好きじゃないんよねぇ。手っ取り早く行こうよ。──あーしに魔力勝負で勝てたら、答えてあげるんね?」
ターシェンが両手の親指と人差し指の先を交差させるような仕草をする。途端、彼女を巡る言葉の輪の発光が強まったかと思えば。
圧縮された風が、こちらに複数打ち出された。風の刃。鋭さと風特有の素早さを兼ねた。こちらに迫りくる。
「くっ……!」
簡易詠唱。フィーリーも纏う言葉の輪を回転させ、魔力を発散する。
自分が纏っていた風の魔法の出力を上げた。向こうが刃ならこちらは盾。複数の鋭いつむじ風がぶつかり、中和される。防いだとはいえ、その風圧で吹き飛ばされそうになる。必死に堪えた。
詠唱もなしで、この威力。まともに喰らっていたらそのままバラバラにされていた。何て魔力と、その操作能力だ。
「おっ、いいじゃーん。ま、これくらいは防いでもらわないとねぇ。ほら、次行くよ?」
ターシェンの交差する親指と人差し指。そして。
彼女の真上に、巨大な氷の柱が一瞬で現れた。いや、槍だ。尖った先端が、すぐさまこちらに飛んでくる。
(なんて速さ……っ)
風。力を強める。フィーリーは瞬発的に高く舞い上がる。その足元を氷の巨大槍が通り抜けていった。
「まだまだぁ」
ターシェンの声。細かな氷の礫がこちらへと迫る。
「っ……!」
詠唱破棄。フィーリーの手の本が素早く捲れ、前面に燃え上がる炎が現れる。
礫は溶ける。が、打ち損じた氷がフィーリーの足を掠った。冷たさと痛みに怯む。見ればローブの足元、微かに血が滲んでいた。
「おー、今のも耐えるんだ。お子様にしては及第点あげちゃおっかなぁ。上手じょーず」
「お子様じゃ、ありません……!」
フィーリーは本を翳す。捲れていくページ達。
周りを渦巻く言葉の渦。赤と緑色が交差する。
フィーリーの正面から飛び出したのは、炎の鳥。風と炎の複合魔法。風を切って鳴き声のような音を立てながらターシェンに突進していく。
だが、ターシェンに到達する前に。それは水の旋風に絡め取られてしまう。炎も風の勢いも、瞬く間に吹き消されてしまった。
「へぇ、やるじゃん。映えそうな技だけど、練度が足りないね。おっそくて蝶々が止まっちゃうよん?」
「……貴重なご意見ありがとうございます。お言葉を返しますけど、わざとです。能ある鷹は爪を隠すんですよ?」
えっへんとしたり顔。それでターシェンは気づく。
背後から迫る風の塊。それがターシェンを絡め取って巻き上げる。更には宙から現れた無数の蔦が、ターシェンの両手両足を掴んで拘束した。しっかり指まで身動きを取れなくする。
「……へぇ、やるじゃん。あんな大技出しながらこんな味なことしてくれちゃって」
「ありがとうございます。それであなたは身動きが取れませんね。魔法も詠唱出来ない。降参しますか?」
「何か勘違いしてない? あーしが詠唱してないって、何思い込んでんの? ダメだぞぉ、魔法使う相手を拘束する時は、ちゃんとその魔力も封じ込めないと」
ターシェンの四肢を捕まえた蔦が、一瞬で燃え上がった。拘束を解かれてしまう。
(時間差魔法……!?)
予め詠唱しておいて、任意のタイミングで魔法を放つ。高度な技術で、フィーリーもまだ扱えない力だ。それをこちらに悟らせないで向こうは仕掛けていた。手を、読まれていたか。
「ちなみに覚えといてぇ。これが完璧な、拘束魔法。動きも魔力も、封じ込めちゃう」
「っ……!?」
ターシェンの紫の目が光ったと思ったら。フィーリーは動けなくなった。指一本、体の自由が効かない。魔力も、外側に出せない。
拘束された、のではない。これは催眠だ。暗示を掛け、精霊を介さずに意志ある者を意のままに操る、禁断の魔法。存在は知っていたが、実際に目にしたのは。その身に受けたのは初めてだ。
それで理解した。今、船でシザクラに相手をさせている彼女の相方。いや、相方じゃなかった。ターシェンはあの人の意志を奪い、操っていた。まるで人形のように、人間を。
「あなたは……ッ! 何て非道なことを……ッ!」
顔は動かしていない、はずなのに。
意識を一瞬外しただけで、もう前にいたはずのターシェンの姿が消えていた。
どこに、と思った瞬間、体の自由が効くようになる。すかさず魔力探知。
するまでもなかった。ターシェンがフィーリーのすぐ傍に突っ込んできていた。
「説教はぁ、勝ってからにしてもらえるかな? はい、あーしの勝ちぃ」
「うぁっ……!」
蹴り落された。咄嗟に風の魔法で衝撃を抑えたが、威力を殺しきれない。向こうも魔法で体術を強化していた。
落ちる。空高くから、海へ。何とか勢いを抑えないと、海面に叩きつけられる。この高さから、この速さなら命はない。早く、早く何とかしないと。時間がやけにゆっくりに感じた。
詠唱を。風。下から巻き起こして落下を緩めろ。落水するまで何秒もない。必死に内に宿る魔力を、精霊の意識と繋げた。
凄まじい衝撃。水しぶきが舞い上がるような派手な音を聴いたような気がする。
自分は、成功したのか。それすら認識できないまま、フィーリーはそのまま意識を失った。
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ちらりと、視界の隅で光が瞬いたような気がした。
シザクラは咄嗟に目をやる。軌跡を描きながら、一直線に空高くから落ちていく影が見える。直感で悟る。フィーリーだ。
「フィーッ!!」
咄嗟に甲板の外へ駆け出す。水飛沫が鉄砲水のように海面から上がった。墜落したのだ。あのサキュバスのようなあの女、何をしやがった。一刻も早く、彼女の元へ。
海へと飛び込もうとするシザクラを、不思議なことにフォルは止めなかった。槍をしまい、その場を跳び上がるようにして退散する。役目は果たした、ということか。どこまでも舐めた奴らめ。いや、そんなことはどうでもいい。あの子だ。
海へ飛び込む。彼女が落下したであろう場所へは少し距離がある。
風の魔石を使って、推進力を増させる。こんな海のど真ん中で沈みゆく彼女を見失ったら、もう二度と見つけられないかもしれない。
それだけは絶対に嫌だ。
「くっ……」
後ろの方、凄まじい音と共に、波が大きく乱れた。幽霊船だったものが、沈もうとしている。海の底へ。その主だった者と役目を終えて。
シザクラは乱れる海面を無我夢中で進んだ。こんな混乱に呑まれてしまったら、彼女は。不安が、胸を過る。
「フィー? フィー!」
確かこの辺りだったはずだ。激しく揺れる海面から顔を出し、必死に周りに呼びかける。荒々しい波が邪魔して視界が開けない。よく見えない。どこだ。どこだ。
その時、視界の隅。シザクラは緑色の微かな光を捉えた気がした。
目を向ける。緑色に言葉の輪が、今にも消えそうな微かな光が見えた。
その中心に。意識を失ったフィーリーが横たわっていた。宙に浮いたまま。海面に彼女自身が叩きつけられる前に、展開した風の魔法が盾となり防いだのだ。
「フィー……!」
言葉の輪が解けて、光を失う。海面に落ちかけた彼女を、シザクラは慌ててキャッチした。かすり傷はあるが、大丈夫そうだ。呼吸もちゃんとしている。
「おい! お前さん方! 大丈夫か!」
ゲシュペルの声が聞こえた。顔を上げると、彼が手を振りながらあの年期の入った船でこちらに向かって来ているところだった。彼も無事だったらしい。
体からほっと力が緩むのを感じながら。シザクラはゲシュペルに見えるように手を振り返した。
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