第4話──7「乱入者」


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 シザクラたちは船長室を後にする。やけに重々しく、背後で扉が閉まる音がした。

 この船を支配していた魔物は、空に帰る灰の如く消えていった。窓から確認したが、周囲の濃く漂っていた霧は晴れたようだ。これでここから発てる。幽霊船は、その運命を終えたのだ。もう海を彷徨うこともないだろう。主を失ったのだから。

「……シザクラさん。すみません。あなたにあんな役目を押し付けてしまって」

 ぎゅっと拳を握りしめたまま隣に立つフィーリーが呟くように言う。項垂れたままの彼女は、きっと自分が不甲斐ないと思い込んで責めているのだろう。

 そんなことはない、から。シザクラは強張ったその手を優しく解いてやり、自分の指を絡めた。

「いいの。むしろ、こっちこそごめん。フィーは優しいね。だからあの人も、きっと救われたと思う」

 あの魔物が、一体何者だったのか、どうして自らを殺してほしいと言ったのかわからない。

 でもフィーリーの必死の訴えが、あの魔物を一瞬だけ救ったのは事実なのだろうと思う。だから、彼女が自分を責める必要などないと思う。

「……ありがとうございます。シザクラさんこそ、優しい人です」

 微か震えていた彼女の手が、きゅっとシザクラの手を握り返してくれる。安心させるように笑いかけると、彼女もぎこちなく笑ってくれた。今はそれでいい。少しでも元気になってくれたなら、良かった。

「わっ⁉」

 不意に船全体が大きく揺れた。倒れかけたフィーリーを慌てて抱き留める。船の振動が止まない。微かに、木が軋むような音が聴こえている。嫌な予感。

「……ありがとうございます。あの、シザクラさん。これってもしかして……」

「……そだね。船を守ってた魔力の主が消えたから、これって多分……」

 沈没する。シザクラとフィーリーは見開いた目を合わせる。幽霊船は役目を終えたのだ。それなら、あとはもう海の底へと弔われるだけだろう。

「フィー、走れる?」

「はいっ! まだ船を覆う魔力が、僅かに残っているみたいです。私たちが脱出する猶予を残してくれた」

 フィーリーの手を引いて、シザクラは階段を駆け下りる。船はやばそうな震えを繰り返しているが、すぐさま沈んでしまうことはなさそうだ。あの魔物のおかげだ。魔力を残してまだ船全体を守ってくれている。少しだけなら持ちこたえられるだろう。

 通路を走り抜け、甲板へと向かう。ゲシュペルは船の異変に気付いて離れたところで待機していてくれているだろうか。そう期待せざる得ない。

 扉を開け放ち、甲板へ。青い空の日差しが降り注いで、一瞬眩しさに顔を顰める。周囲の霧は完全に晴れ、青空も海の見渡しも完全に戻っている。後は、船から脱出するだけだ。

 ゲシュペルの船を探そうと、海の方へ視線をやろうとした瞬間だった。

「あっはぁっ。こんなとこにいたんだぁ。あーしたちがさがす手間省けちゃったし、ここなら誰にも見られないで──暴れられるじゃん?」

「ッ……⁉」

 突風。甲板の木材が剥がれ飛ばされるくらいの圧。

 体が浮き上がる。咄嗟にシザクラは近くのマストを掴んだ。もう片方の手で、しっかりフィーリーを掴む。吹き飛ばされそうになりながら、彼女は何とかシザクラの手を握っていてくれていた。

「……失礼。ターシェン様の、ご命令ですので」

「がっ……⁉」

 どこかから声。かと思えば横腹の辺りに衝撃。一瞬見えた。使用人服のようなものを着た女が、シザクラを蹴り飛ばした。

 マストから手が外れてシザクラは宙に浮く。フィーリーを掴んでいた手が、外れてしまった。

「フィーッ!!」

 咄嗟に手を伸ばしたが、届かず彼女は上空高く突風に舞い上げられていく。シザクラの体は。急に風が止んで浮力を失い、甲板に転がされた。咄嗟に受け身をとって立ち上がる。

(何だ……⁉ 何が起きた……⁉)

 刀を背中から抜く。目の前に、背筋を立てて佇む、使用人服の女。

 顔を斜めに横断するように切り傷が付けられている。異質なその雰囲気の女は、目が紫色に光っていた。

 そんなことより。フィーリーは。慌てて見上げる。

 遥か空の上。彼女は、浮かんでいた。その周りに緑色の言葉の輪がいくつも囲むように回っているのが見える。彼女自身の風の魔法だ。それで体を浮かばせている。突風は止んでいた。どうやら無事のようだ。

 だが彼女の前に、同じく緑色の言葉の輪を纏わせて向かい合っている者がいる。遠くからでわからないが、二つに結んだ赤い三つ編みが、風になびいているように見える。

(何だあいつ……いや、サキュ、バス……?)

 その頭。微かにだが、角のようなものが伸びているようにも見える。フィーリーのそれと、よく似通っていた。彼女のとんがり帽子も飛ばされてしまったようなので、見比べて尚更同じもののように感じる。

「シザクラ様。お言葉ですが、あまりわたくしからよそ見をしない方がいいかと思われます。ターシェン様から、フィーリー様と分断するように申し付けられておりますので。あなたは──場合によっては殺してもいいと許可をいただきました」

 使用人服の女は、翳した手に突然槍を出現させた。振り回し、それを後ろ手に構える。そして空いている右手をこちらに差し出し、くいくいと指を曲げる。掛かってこいの挑発。

 一目でわかる。洗練された動き、手に馴染むような槍の扱い。体を覆うゆったりとしたメイド服は、鍛え抜かれた肉体を隠すためか。

 こいつは強い。一筋縄では行かないようだ。

「……あっそ。綺麗な人に名前覚えてもらうの光栄だけどさ、あんたら何者? この船崩れちゃいそうだから、早いとこあの子を助け出して脱出したいんですけど」

「申し遅れました。わたくし、フォルと申します。あの方はわたくしの主で、ターシェン様。以後お見知りおきを。以後があるかは、あなた次第ですが」

「随分舐めてくれるじゃん。悪いけど、とりあえずぶっ飛ばすよ? フィーが心配だからね」

 それと一つ確認して起きたんだけれど、とシザクラは人差し指を立てる。

「君。人、殺してるよね?」

「人とは、何を指しますか。わたくし個人の定義で答えさせていただければ。わたくしが手に掛けたのは、人ではありません」

 それに、とフォルと名乗った女がシザクラをまっすぐ紫に光る眼差しで見据えて言う。

「あなたも殺していますね。人か、それに良く似たケダモノか何か。目を見ればわかります」

「……ご想像にお任せするよ。とりあえずあたし個人の定義で言わせてもらえれば──君は殺しても、問題ない」

 シザクラが言い放つと、フォルの構えが変わった。上段。掛かってくるつもりか。フィーリーは大丈夫か気にかかるが、気を抜いたらおそらくこの女にやられる。それくらいの覇気があった。

(……こっちも、殺す気で行くか)

 シザクラは。刀の鞘から、刃を解き放って、構えた。

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