第4話──6「船の主」


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「……扉を覆っていた魔力が消えてます。やっぱりさっき戦った大きな傀儡が鍵代わりにされていたみたいですね」

「サバな真似をしてくれるじゃんか。あたしたちを試すようなことして。必ずぶっ飛ばしてやる。……幽霊以外の奴であれよ絶対」

「もうさっきの戦闘の勢いであれば幽霊相手でも戦えるのでは? あと、アジな真似ではないですかシザクラさん」

「細かいことはいいのっ。あと、怖いもんは怖いの! マジで相手が幽霊だったら頼りにしてるからねフィー!」

 再び、シザクラたちは最上階、船長室の扉の前に立っていた。

 扉を閉ざしていた魔力の封印は解かれた。が、そのためか向こう側から漂ってくるような不穏な威圧感が滲みだしている。

 その場に散らばっていたものを寄せ集めた傀儡を作り、あれだけの数を操っていたほどの魔力。今肌までざわつくような予感はは、それを間近で感じ取れてしまっているせいなのだろう。ついでに言えば、沈没していてもおかしくないこの船を海に浮かせて、周辺に霧の世界を展開するような力だ。……この持ち主が幽霊でなかったとしても、少しシザクラは緊迫する。

「扉、開けるよ。お化けだったら、即逃げ。オッケー?」

「承知です」

 扉のノブに手を掛けて、フィーリーに頷き掛ける。彼女がそれに倣ったのを見て、一、二、三の合図でシザクラは扉を思い切り開け放った。

 中は、思った通りこの元船長室だ。広く取られた空間は広く、想像とは違って物は少なく整然としている。

 崩れた本棚と腐った本。砕けた戸棚らしきものや、薄汚れた布が掛かったベッドの残骸のようなもの。

 そして正面、ボロボロなっている机と、中から綿が飛び出した座り心地が良かったであろう椅子が見える。そこが、船長の定位置だったのだろう。有事があればすぐに外へ飛び出せ、部屋に入って来たものとすぐ顔を突き合わせて話が出来る。そんな雰囲気を感じた。今はもう、見る影もなく過ぎ去る時間の残酷さを漂わせているが。

「……誰も、何もいない……?」

 部屋の様子はともかくとして、シザクラは呟く。あれだけ外から禍々しいオーラを放っていたのに、いざ踏み込んでみればもぬけの殻だった。目につくところにそれらしい影や気配はない。あの魔力の威圧感さえ、元からなかったものかのように消え去っていた。ただの、広いだけの部屋だったものでしかない。今シザクラたちが目にしているものは。

 フィーリーに目配せすると、彼女も不可解そうに首を振るう。

「魔力の気配が、消えました。私たちが扉を開けた瞬間。一体どこに……っ⁉」

 不意に考え込んでいたフィーリーが顔を上げた。そしてシザクラに駆け寄ってくると一緒に飛び込むように突き飛ばした。

「危なっ……!」

「っ……⁉」

 宙を舞うシザクラたちのスレスレを鋭い何かが空を斬る。シザクラは咄嗟にフィーリーを庇うように身を翻し、背中から地面に転がった。何らかの攻撃をかわせたようだ。

「フィー、無事? ありがと」

「シザクラさんこそ……っ。私は平気です」

「あたしも大丈夫」

 素早く立ち上がり、彼女にも手を貸して立たせて、現れたそいつと対峙する。

 さっきのデカブツの木偶とは比べ物にならない体躯。まるで、二足歩行の巨大な獣。

 昂った荒い息を、鋭い牙が覗く口から吐き出している。白い。霧を吐き出しているのだ。腕、肩、首、足。全て盛り上がった筋肉で構成されていてまるで山脈と向かい合っているみたいだ。そして両手から伸びた、鋭い爪。刃を指に付けているかの如く、脅威的だった。あれで抉られたら、おそらくただでは済まないだろう。下手な刃物より鋭そうだ。

 赤く光る凶暴な目が、シザクラたちを捉えていた。幽霊、ではない。実体がある。こいつは魔物だ。

「シザクラさん……」

「うん。こいつは幽霊じゃない。魔物なら、何とか出来る」

 鞘ごと背中から抜いた刀を構える。強靭な肉体だけじゃない。

 こいつの全身、その周辺に至るまで。まるで霧のように圧力さえ伴った魔力が発せられている。そしてシザクラが初めて見る魔物だった。こいつは一体、何だ。この異様な雰囲気は。

 それにさっきまでまったく気配を感じなかった。今は吹き飛ばされそうなほどの殺気を発しているというのに。

 魔物が床に手をついて深く身構える。

「フィーリー、来るよ」

「はい。足止めしつつ。何とか話し合いで解決できないか、試みてみます」

「あんま言葉通じなさそうな相手だけど、頼むわ」

 相手が四足歩行でこちらに駆け出してくる。同時、シザクラも走っていた。

 ぶつかる距離。詰める。相手が爪を振るってきた。シザクラはスライディングしてそれをかわし、潜り込んだ相手の腹に会心の刀撃をぶつける。

(硬っ……!)

 岩でもぶん殴ったみたいな隙のない感触。打撃は通用しないか。

 シザクラは相手の懐から抜け出る。すかさず魔物は跳び上がるように蹴りつけてきた。足にも、鋭く長い爪。シザクラは刀の鞘で受け止める。

 すかさず、その脛の辺りを蹴り上げる。蹴ったこっちのほうが痛い。びくともしない。

 相手が身を翻し、立ち上がって覆いかぶさるように両手の爪を振るってきた。シザクラはそれを刀で受ける。凄まじい重圧。危うくそのまま刀を振り落とされるところだった。手がじんと痺れる。

「殴られるの好きじゃない? それならこれは?」

 懐から取り出した魔石。炎。シザクラは相手に掴まれた鞘から、刀の刃を抜き取る。

 炎の魔石を斬り付けた。すぐ飛び退く。魔石から開放された炎が、その場で爆ぜた。

 フィーリーからは爆発の距離は取っていた。黒い煙が燻る。さあどうだと見据えたら。

 まったく問題なさそうに、多少体の表面が焦げただけの獣が立ち上がっている。鞘を放り投げられたので、シザクラはそれをキャッチして刀の刃を収める。

 魔石の瞬間的な力も通じないか。あるいは自分をこの船と同じように魔力で覆って守っているのかもしれない。それなら魔石程度の魔力では傷も付けられないか。打撃が通じないのも納得だ。

 獣は唸って、再びシザクラに向かってくる。シザクラも身構えた。さて、どうするか。

 不意に魔物の腕に、植物の太い蔓が絡みつく。両足、胴体にも。

 フィーリーが緑色に発光する言葉の輪を展開させていた。彼女の魔法だ。

「鎮まって……! 私達に敵意は、ないから……っ」

 フィーリーが言う。それからシザクラには聞き取れないあの言葉。

 必死に呼びかけているのだろう。だが獣は、止められなかった。

 絡みつく蔦を力で引き千切っていく。すぐさまシザクラに飛び掛かってきた。爪を避けたが、刀に軽く掠った。思った通りの鋭さに、微か血が滲む。

「シザクラさん!」

「大丈夫。フィーはそのままこいつに声をかけ続けて。何とか持ちこたえてみるから」

 ――ただもしもの時は。シザクラはフィーリーを見る。その視線の意味に彼女も気づいたらしい。思い詰めた顔が頷く。

 ふと目の前の獣の姿がぼやけた。思わず視界を凝らす。奴が口から吐く霧が、その巨躯の周りを包み込み始める。何か来る。反射的にシザクラは構えた。

 魔物の纏う霧が増え、更に濃くなる。かと思えば、突然シザクラの視界からその姿が消えた。気配も、あの禍々しく臭っていた魔力すらも。

「は……?」

 周りを見渡す。霧が色濃く漂い、微かに視野を狭めているだけで奴の姿はまったく確認できない。

 これも魔法か。魔物は、魔力を操る強い個体もいるのだ。こいつはその中で上位なのだろう。こんな不意打ちのような芸当も出来る。かなり厄介だ。

「シザクラさん、右です!」

 フィーリーが叫ぶ。途端、何もない霧の空間から魔物が爪を振るってくる。紙一重で飛び退いて避けられた。フィーリーが言わなければまともに喰らっていたかもしれない。

 奴はすぐまた霧の気配に紛れる。霞が如く、再び気配も魔力も感じ取れなくなる。くそ、厄介だこれは。シザクラでは何も探知できない。奴が攻撃してくる一瞬までは。

「シザクラさん、後ろ!」

 フィーリーがまた教えてくれる。振るわれる腕。シザクラは屈んで避け、顎を砕く勢いで刀の先を振り上げた。カウンター。

 いや、手ごたえが軽い。バラバラと砕けた何かが散らばる音。木片。崩れ落ちたのは、ゴミで構成された操り人形だった。

 フェイントだ。シザクラは瞬時に奴の狙いを悟る。こっちの注意を引いた。でもこちらに攻撃は来ない。それなら。

「フィー! 危ないッ!」

 フィーリーが振り向いた背後。姿を現した獣が、爪を突き出そうとしていた。足に意識を集中させ飛ぶように駆ける。が、間に合わない。もう奴の爪はフィーリーを捉えようとしている。間に合わない。

 突き出された爪がフィーリーを貫き掛ける。その一瞬。彼女の前に巨大な岩の壁が展開された。

 突如現れたそれに、まともに突っ込んだ奴の爪はへし折られた。フィーリーの魔法だ。岩の盾をその場に作り出した。

 そして床から突き抜けるように現れた無数の蔦が、魔物を絡めとる。太い蔦が何重にも、その体に巻き付いた。

 全身をぐるぐる巻きにされた魔物はもがく。その馬鹿力でいくつか蔦が千切れたが、それを補うように別の蔦が絡みつく。

 物量のごり押し。さっきこの魔物自身がシザクラたちにけしかけた木偶の群れの意趣返し。身動きが取れないなら、身を隠しても意味がない。そしていくら足掻こうとも、フィーリーの圧倒的な魔力の総量が幾度も奴に絡みつくのだ。

 勝負あった。奴の鋼の巨体と膨大な魔力を、フィーリーの力が打ち破ったのだ。

「落ち着いて……っ。私たちは、あなたの敵じゃない……っ。ごめんね、怪我をさせちゃったけど……」

 もがく魔物を前にしたフィーリーの目が青く光る。赤が宿る奴の眼差しとは対照的な理性の輝き。

「──! ──ッ!」

 例の言葉で、必死に語り掛けている。彼女は魔物を、落ち着かせようとしている。

 あくまで、不殺生。殺すという選択肢は彼女にはないのだ。

 なら、見守ろう。彼女に任せるのが、今の自分の役目。だが刀の柄は握ったままにする。

 吠える魔物の声が轟く。空気を振動させ、思わずシザクラも耳を塞ぎかける。

 だがフィーリーは、動じずに必死に呼びかけていた。汗を浮かばせ、なりふり構わず。自分の命を狙った魔物を救うために、彼女はそこまで自分を懸けられるのだ。

 不意に。暴れていた魔物の動きが止まる。見開かれたその瞳。赤い光が、しぼむ様に収まったかと思えば。

 フィーリーと同じ青い光が、そこに薄くぼんやりと宿った。理性の色。通じたのか、彼女の言葉と想いが。

「──、──」

 牙を剥いていた魔物の口から。フィーリーと同じ、シザクラの認知できない言葉がこぼれた。先ほどの獰猛さは、そこにもうない。ぽつり、ぽつりと。吠える代わりに小さく音を紡いだ。

「──ッ⁉ ──!」

 ほっとしていたフィーリーの顔が驚愕し、再び必死の形相になる。何だ。何を言われた。シザクラは見守る他ない。

 対する魔物は。冷静だ。まるで憑き物でも落ちたみたいに。そして同じ音を、フィーリーに語り掛けているように感じる。

 フィーリーは項垂れると。手元の本を閉じる。魔物を絡めとっていた蔦が消え、そいつは床に膝をついて座り込んだ。

「フィー⁉ 拘束解いて大丈夫なの……⁉」

 シザクラは咄嗟に構える。が、魔物は微動だにしない。もうこちらに襲い掛かるようなそぶりはなかった。

「……シザクラさん。この人は。……殺してくれと、言っています。自分が自分でいられる瞬間は、これで最後だからと。自分のままで、殺してほしいと」

「どういう、こと……? こいつは魔物でしょ……? 自分とか何それ……?」

「わかりません。私も……」

 ここまで人間に近い雰囲気を見せた魔物は初めてだ。そして、自らを殺せと乞う者も。自分が自分でなくなる。どういうことだ。

 こいつは最初、魔物ではなかった……? わからない。

 が、シザクラは。次にすべきことはわかっていた。

 刀を握り直す。鍔を押し上げて、刃を覗かせた。

「……フィー。その通りにしてあげよう。多分、この人にフィーの話が通じるのは、これで最後なんだと思う。時間が経てば、またあたしたちを襲うし、他の誰かが犠牲になるかもしれない。そうしてあげるのが、一番いい」

「でも……っ」

「フィーは悪くない。でも、それを選ばなきゃいけない時だってあるんだよ」

 動揺するフィーリーを諭すように語り掛けるシザクラ自身が、一番動揺していた。

 これまでの自分にとって魔物は、人に害をなすもの。排除する対象でしかなかった。

 それが彼女と会って、変わった。殺さずの選択肢。

 だからなのか。今目の前の死を願う魔物の望み通りにしてやることを、躊躇している自分がいることに、驚いている。

 膝をついた魔物の後ろに立つ。もうその体を覆う凶悪な魔力の気配は感じなかった。きっと今なら、刃が通る。

 それなら首を。苦しむことなく楽に逝かせてやろう。

「……何とかなりませんか。それ以外の、選択肢は」

 フィーは自分のローブを握りしめている。その手が震えていた。

 ああ、彼女は誰かのために。ここまで葛藤できるのだ。その純真さが、シザクラにはひどく眩しく、そして羨ましく思えてしまった。

「ごめんね。目、閉じてて。すぐ終わらせるから」

 刀を抜いて、刃を見せた。魔物の体もぶるぶると震え始めて、それが強くなってきている。赤い光が、再びその瞳にちらつき始めていた。時間切れが近い。獣に戻ってしまう前に終わらせなければ。

「……閉じません。見届けます。シザクラさんだけに、背負わせませんから」

 強く手を握りしめて、瞳を潤ませたまま。フィーリーは言う。……真っ直ぐすぎて。優しすぎて心配になる。逃げてもいいのに、彼女は逃げない。なんて、気高い人なのだろう。

「……ごめん」

 初めてシザクラは魔物に対して、そんな言葉を掛けた。

 刀を、振り下ろす。

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