第4話──3「幽霊船」
4
翌朝。話が出来すぎているのでゲシュペルも幽霊だったのではないかと疑ったが、そんなことはなく港に彼はいた。
ホッとするのも束の間、また新たな懸念事項が港に停泊している。
シザクラはやや顔を引き攣らせながら言う。
「……えと。なんというか歴戦の戦士のような立派な船ですね」
「世辞はいい。年期は入ってるが、頑丈なわしの相棒だ。ナリミカ大陸までなら何の問題もなく行けるぞ。原動力も、最新の魔石を積んでる。古いのは見た目だけだ」
ゲシュペルの船。彼の言う通り見た目が古い。さすがにすぐ沈みそうな風貌ではないが、何と言うかそれなりの長い年月を乗り越えた感じがして少々くたびれている。魔物もいる海に出るのだから頑丈ではあるだろうが、シザクラはちょっと不安になってきた。沈没とかしないよね、これ。泳いでいくのは勘弁だ。
「今日はしけもなくて、絶好の大陸横断日和だな。護衛、よろしく頼むぞ、お前さん方」
「はいっ、お任せください! 私、船って乗るの初めてです……! 実は海も初めてで、わくわくしますね」
「期待に添える船旅になるよう努力するよ」
妙に気合が入っていて楽しげなフィーリーが、ゲシュペルと一緒に船に乗り込む。昨日の幽霊船の話を聞いてからフィーリーにぎゅっと添い寝してもらわないと寝付けなかったシザクラは、げんなりしながらそれに続く。これが最後の船旅にならなきゃいいけど。
「出港だ。錨を上げるぞ」
「抜錨! ヨーソロー!!」
船の穂先に立って、フィーリーが手を振り上げる。やっぱお子様じゃん。でも、彼女がはしゃいでくれているおかげで、少しはシザクラの気も紛れる。
空は快晴、海は凪。とりあえず目に見える懸念事項はなさそうだ。
船が港を出る。魔石の稼働器は確かにいいものらしく、船はぐんぐんと進み、思ったより揺れも少なく快適だった。傍をカモメ達が飛んでいき、潮風が優しく髪を揺らす。何だか、ようやく肩の力が下りた。
「お若いの。あの子は、お前さんの家族というわけではないのだろう。訳ありか?」
ふと船の操縦桿を握るゲシュペルが、座席に座っているシザクラに声を掛けてくる。その目は、甲板で踊るように潮風を浴びているフィーリーを見ていた。
「……まぁ、そんなとこです。これはあたしの旅っていうより、主役は彼女です。彼女が目的を達成するまで付き添うのがあたしの役目」
「そうか。旅の連れがいるのはいいことだ。お前さん方、良い相棒に恵まれたな。いい旅だろう、あの子と出会ってからは」
「そうですね。割とあたしも楽しんでますよ。あの子もそうだといいけれど」
「楽しんでるさ。わしの目から見てもわかる。あの子はお前さんを信頼してるよ。これからもいい旅にしてやってくれ。あの子に、世界は広いとしっかり知ってもらえるような」
「……はい。そうします」
どこか遠くを見るように船の行く先を眺めているゲシュペルに、シザクラは神妙に頷いた。
彼の長い人生にも何か思うことがあるのだろう。何となく、彼がシザクラたちを船に乗せてくれた理由がわかったような気がする。
「シザクラさんシザクラさん! こっち来て見てください! 何か動物が泳いでます! 海にも動物っているんですねっ」
「はいはいわかったから。袖引っ張んないの。あんま身を乗り出すと落っこちるからはしゃぎ回んないように、わかった?」
「はーい。わかってますよっ。子供じゃないんですから」
「その返事がお子様なんだってば」
初めての船旅に大はしゃぎするフィーリーに手を引かれて、シザクラも甲板の方へ。どこまでも広がる空に海。世界は確かに広いし、面白い。
それを彼女に知ってもらえるような、そんな旅にしよう。改めてシザクラは、自分に誓った。
5
「あれ……? 何だか急に霧がかってきましたね……」
フィーリーが周りを見渡しながら言う。
船が走り出してから数時間。さっきまで晴れ渡っていたはずなのに、不意に周辺の海にもやが現れ始める。妙な雰囲気だった。
「変だな……。何の前触れもなく霧が出てくるなんざ滅多にないことなんだが。このところ雨は降ってねぇし、風もぴくんとも吹いてねぇ。どう考えても霧と出くわすような天候じゃねぇわな」
船を操縦するゲシュペルも、訝し気にキャップを被り直している。海のプロですら困惑する状況ということは、異常ということではないのか。せっかく先ほどの海のように凪いでいたシザクラの心境が、ざわつき始める。
そして船が進むうちに最初は霞む程度だった霧が、どんどん濃くなっていく。まるで煙の如く白い存在感を増し、さっきまで見晴らせていた地平線も覆い隠されてしまう。
それどころか船の周りまでも、霧に囲まれてしまっている。空でさえ見えない。つい今まで燦燦と照らしていた太陽もどこへ行ってしまっていたのか。白い世界に放り込まれてしまったみたいだ。
「いかんな。一旦船を停めるぞ。このままじゃ座礁しかねん。しかしどうなってる。こんなに濃い霧といきなりぶち当たるなんざ、ありえんことだ。霧を使う魔物なんてのは、海にはいないしな」
「……もしかして、ゲシュペルさんが話していた幽霊船の話が関係しているのでは?」
「ちょ、ちょちょちょちょっとフィー! 唐突にとんでもないこと問わないでよっ」
何となく察してはいたが、いざフィーリーから真面目に口に出されるとシザクラは文字通り跳び上がってしまう。
「……確かにそんな話も聞いたことはあるな。晴れてたのに突然船の周りを濃い霧に囲まれて、身動きが取れなくなったときに巨大な船の影が迫って来た……」
「ゲシュペルさん! やめてくださいよっ。噂でしょ、あくまで噂! 幽霊とか幽霊船とかそんなもん迷信迷信! これもただ、海の気まぐれな天候の変化に巻き込まれただけで……」
「しっ。シザクラさん、静かに。何か聴こえませんか?」
フィーリーが人差し指を立てる。しんと静まり返っている。不気味なほど。
耳の良い彼女が何かをキャッチしたのだろうか。なるべくキャッチしていてほしくないが、そういえば何となく何か籠った音が聴こえる気がする。
その音が、徐々にはっきりしていく。近づいているのだ。気づく。木が軋むような、擦れるような音だ。ギギギギ……と鼓膜を揺らす不協和音。
「な、なな、何の音……? あたしの幻聴だよね……? そうだと言って……?」
「言いたいところだが、わしにも聴こえてる。これは……船の鳴く音によく似てるな。古い木造船か……?」
「……何かが近づいてきてます。なっ⁉ もうこんな近くまで……? 皆さん、衝撃に備えて……!」
フィーリーの迫真の声を合図に、彼女の視線の先目掛けてシザクラは身構える。
深い霧の、奥底から。巨大な影が浮かび上がってくる。ゲシュペルには申し訳ないが、こんな小さな漁船では一息で呑み込まれてしまいそうなほど圧倒的な存在感。見上げる大きさだ。
それが船の後方から迫ってきている。海の上を滑るように、ぬるりと。まるで建造物が動いているみたいだった。
それはシザクラたちの乗る船のすぐ傍を、横切る。そこで霧が、微かに晴れた。
「ゆ、ゆ、ゆ、幽霊船……?」
シザクラは唖然とそれを見上げながら呟く。
否定したいが、そう表現せざる得ない。巨大な木造船だった。魔石の動力など積んでおらず、風を頼りにしていた時代の船だ。
だが高く張られた帆も、その船体も。今目の前で海に浮かんでいるのが不思議なくらい痛んでいた。木は腐り、穴は空き、苔と海藻とフジツボを纏っている。磯臭さがここぞとばかりに押し寄せてくる。
「……こいつはたまげた。こんなところにいたとはな」
ゲシュペルもキャップを脱いで頭を撫で、呆気に取られていた。
推定、幽霊船は。こちらの船と並ぶと行進がゆっくりになり、やがて止まった。
かと思えば。軋むような金属音を上げて、錆び切った鎖に吊るされたタラップが、こちらの船に向かって降ろされてきた。甲板へと続いている。口を開けた大型の怪物を思わせて、シザクラは身震いする。
「……まるで、乗り込んで来いと言わんばかりですね」
「ま、まままま、待って、フィー! 何乗り込もうとしてんの⁉ こんなん絶対やばいでしょ! 下手すりゃそのまま冥土まで連れてかれちゃうって! お、おい、もう帰ろうぜ……?」
「帰ろうにも、このまま霧に囲まれていたら身動きも取れないでしょう。そうですよね、ゲシュペルさん」
「だな。地図の魔石もまともに機能してない。このまま下手に船を動かしたら運が良くて座礁、ヘタすりゃ沈没だ」
「なら霧の原因としか思えない、この船を何とかしなくちゃいけません。状況がわかりましたか、シザクラさん?」
「……わ、わかってるけどさぁ……。ほんとに行くの? 行かなきゃダメ……?」
「こら。いつもの威厳はどうしたんですか。大人の矜持を見せてくださいよっ。さあ、ほらっ」
「ぎゃあっ! 無理! マジで無理! 逆に君は何でそんな冷静なの! やばいって。マジやばい! どれくらいやばいかっていうとマジやばい!」
フィーリーに首根っこを掴まれるように袖を引っ張られながら。
シザクラは幽霊船の甲板へと続くタラップを昇らされるのだった。
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