第4話──1「船探し」
1
鳥が涼やかに歌う声で目を覚ました。
朝だ。テント越しに薄く、新鮮な朝日の光が差し込んでいる。
ふと妙に心細いと思ったら、寝具の傍ら。シザクラに寄り添うように眠っていたフィーリーの姿がない。
いつも通り、彼女は早起きのようだ。いや、あたしが遅いのか。とは言え太陽も起きて間もなく、鳥たちも新しい朝を讃えている。寝坊ということはないだろう。
テントを出る。収納の魔石から、大きめのバーナーコンロを取り出し、フライパンを上に置く。炎の魔石がセットされた道具だ。これでどこでも調理が出来るし、暖も取れる便利なアイテム。
卵を二つ取り出し、かき混ぜながらふわふわに焼き上げる。そして大きめのパンも。野菜と薄く切ったハム、カリカリに焼いたベーコンを今作ったスクランブルエッグと一緒にパンの上に綺麗に乗せ、もう片方のパンの切れ端で蓋をする。
サンドイッチの完成。続いて雷の魔石が仕込まれたケトルでお湯を沸かす。これは雷の電気から発する熱で瞬間的に水を沸かすことが出来る優れもの。魔石が発見されてから百年ほど。人類の叡智だ。
お湯を注ぐだけで出来る簡易なコーヒーの粉と、これまた簡易的に作れるコーンスープの粉をカップに入れて準備。前者はシザクラ用。後者は苦いのが苦手なお子様、フィーリーの分だ。お湯を注ぐのは、彼女を呼んでからにしよう。ケトルには保温の効果もある。魔石様様。
立ち上がって、近くの木々の隙間をシザクラは歩き始める。この辺りに、ちょうどいい広さの池を見つけていた。彼女はたぶんそこにいるのだろう。池のおかげで空間が広くとられていて具合がいいし、もうこの先から彼女の魔力を感じる。
最初のような圧迫感のあるような魔力ではなくて、優しく揺蕩うような。静かな水の流れのような、安らぎさえ感じる。そんな自然に溶け込む、魔法の力。だんだんとそれが洗練されてきているのを感じる。
本当に呑み込みが早い子だ。このままだと師匠とやらもあっという間に超えてしまうのではないか。いらぬ心配をしてしまう。
「フィー。そろそろ朝ご飯に……」
池の場所に出る。木々の隙間から出て声を掛けようとして、止めた。
フィーリーは池の前に、ちょこんと座っている。目を閉じてじっと。おそらく自然に紛れている精霊たちの声に耳を澄ませ、その魔力を練っている。何て心地の良い、空間なのだろう。
それを体現するみたいに、彼女の周りに動物たちが集まっている。肩には鳥たちが止まり、とんがり帽子の先にも。鹿やウサギ、リス。トカゲたちまで。まるでフィーリーに寄り添うようだった。蝶が舞い、彼女の膝元に広がるように咲いた花たちに止まって羽根を休めている。
そこだけ、誰も傷つけ合わない優しい世界だった。まるで彼女自身の心を表わしたような。
それを見るとシザクラは、胸の内側が凪ぐのを感じる。何て、美しい光景なのだろう。この世界で見たどんな景色よりも、ずっとそれは。
フィーリーが目を開ける。すると途端に澄んでいた空気が解けたように、周りの動物たちは飛び立ち走り去り散り散りになっていく。周りに咲いた色とりどりの花は、そのままだった。
「……ああ、シザクラさん。迎えに来てくださったんですか」
「うん。朝から魔法の鍛錬ご苦労様。さ、朝飯にしようぜ」
ローブの裾を軽く払いながら立ち上がり、駆け寄ってくる彼女は。いつも通り無邪気にニコニコしている。それで少し、安心する。あのまま神聖な空気を纏ったままだと。彼女が遠くへ行ってしまいそうで。
「……なんですか?」
じっと見つめてしまっていたらしい。隣を歩く彼女が不思議そうに聞いてくる。さりげなく目を逸らした。
まだ彼女に。あの子の面影を見ているのか。あたしは。
「別に。今日の朝は豪勢だよー。楽しみにしておいて」
「やったぁ! ……ニンジンはなしですよね?」
「それは内緒」
などと話し合いながら、野営拠点へ向かう。
2
「いやぁ、やっと着いたねぇ。地味に長い道のりだった……」
「ここが、アンカトル……。結構大きな町なのですね……」
町の入口を通ると、表通りを忙しなく人が行き来しているのと出くわす。他大陸との繋ぎの場所ともなっているし、貿易も盛んだから人の出入りも多いのだろう。随分と賑やかだ。
およそ半月と少し掛けて。シザクラたちはようやく目的地の一つである港町アンカルトにやってきた。
「それで? フィー、お母さんの残した痕跡ってどこにあるの?」
「今、手紙に込められていたのと同じ魔力を探知してみますね。ちょっと待ってください」
大通りの端っこ、歩道の方に寄り、フィーリーは本を召喚する。そして言葉の輪を自分の周りに展開させ、探知を開始する。
白い光を放つ言葉達は初めて見た。精霊の力を借りた魔法ではなく、彼女独特のものなのだろうか。シザクラは自分の魔法に対する知識不足を痛感せずにいられない。
「えっ、何あれ。パフォーマンス……?」
「何だかめっちゃ光ってんなぁ。魔石か?」
「あの子、魔法使い? いやそういう仮装かな……」
そして人通りが多いので、通行人がちらちらと話しながらこちらに注目してくる。魔法が珍しいだろうし、そもそも魔法を知らない人もいるだろう。シザクラだってフィーリーと出会うまで魔法を間近で見たのは久しい。裏通りでやれば良かったかな、と少し反省した。
「……見つけました。港の方ですね」
フィーリーが本を閉じて消し、目を開ける。にわかに人の注目を集めているのに気づいて「あれ、何か見られてません……? 私、何かしました?」とぽかんとしている。……そういえばこの子、浮世離れしてるんだった。急いで人だかりになりかけたのを掻き分け、フィーリーを手を引いてシザクラは歩き出す。
港に来た。船着き場に、大小様々な個性のある船たちが並んでいる。
雷と炎の魔石の開発で、風を使わず手で漕がなくとも船が機械で自動で進んだり後退できるようになったおかげで、貿易も海を超えた人々の行き交いも随分盛んになったと聞く。もう魔石なしでは人々の暮らしも成り立たないだろう。
「シザクラさん、シザクラさん。おっきいのもありますよ! わぁ、これが船なんですね……! 原動力はやっぱり、魔石なのでしょうか?」
フィーリーは興味深そうに貨物用に巨大な船を眺めている。このクラスの町になると、外灯も備え付けられていて、そこには太陽光を溜めて発電できる雷の魔石が設置されていた。どこもかしこも、都会は魔石だらけだ。
だからだろうか。どこか楽しげなフィーリーの目に、ふと寂しそうな影が見て取れるのは。
魔法はもう、過去の遺物。人々の今の暮らしがそう示してしまっている。魔法使いもイロモノ扱いを受ける時代だ。魔法を中心にした人生を歩んできた彼女には、やっぱり虚しいものなのだろうか。
「……まぁ、魔石もすごいけど。君の魔法の方がもっとすごいよ。胸、張りな。この前はそれでクモから助けてもらったしね」
「シザクラさん……」
ありがとうございます、とフィーリーが小さくつぶやく。少し元気になってくれたみたいだ。よかった。
「さてと。んで? お母さんの痕跡は?」
「こっちです。この倉庫の、陰みたいですね」
船に乗せる貨物用の大きな倉庫。その建物の隙間に入る。
すると、レンガの道の上だというのに。大きな花がそこに咲いているのが目に入る。根付いているわけじゃない。浮いている。どこか透けているようで、白い光を微かに纏っていた。
「これって、百合の花……? これがお母さんの痕跡?」
「そうみたいです。手紙にも、百合の花の欠片が入ってました。シザクラさんにも、花が見えますか?」
「見えるね。たぶん、セックスした時に君の魔力がちょっとあたしにも混じったのかな」
「セッ……! そ、そんなはっきり言わないでくださいっ。でも、そうみたいですね。ちなみに師匠にも、百合の花は見えてなかったみたいです。見えてたら隠してたでしょうし」
フィーリーは百合の花に近づいて、そっと手をかざす。するとそれに反応して、花の光が増した。
「えっ、何……」
目の前が光でいっぱいになって眩む。そして、ビジョンが見えた。
どこか色あせた絵画のような、光景。たった今いる、アンカトルのこの港だ。
視界が揺れて、遠く。小さな船に焦点が向く。その船の持ち主と話している、女性を見ていた。どうやら海を渡るための乗船を交渉しているみたいだ。
どうやらそれは上手く行ったらしく、飛び跳ねるように喜んだ様子の彼女は、こちらの視点に向かって手を振りながら走り寄ってくる。
音はなかった。ビジョンだけだ。
(ああ、これって。誰かの見ていた記憶なんだ)
それで気づく。自分が今目にしているのは、その人の見ていたものだ。その人の記憶。
おそらくこれは、サキュバスであるフィーリーの母親の視点なのだろう。
視界の下から伸びた手。それを目の前の女性が握りこむ。無邪気に笑いかける笑みは、フィーリーによく似ていた。やや太めの眉の形も、凛々しいくっきりした目も。
彼女は、人間の方のフィーリーの母親か。視点の主の握った手をぶんぶんと振るって、全身で喜びを表している。フィーリーよりも子供っぽい性格のようだ。何だか微笑ましい。
背中に剣を背負っているのが見えたから、彼女はきっと前衛なのだろう。だとしたらサキュバスの母親の方が、フィーリーと同じ魔法使い側なのだろうか。どれだけ強大な力を持っているか、何となく想像がつく。
二人は手を握り合ったまま、船の方へと駆け出していく。仲睦まじい様子がそれだけで伝わってくる。
そこで一旦、ビジョンが途切れた。
そして今度は俯瞰的な光景が不意に現れる。塔だ。地上から突き出したようなその円状の塔を、空高い場所から見下ろしている。
その屋上部分が、白く染まっていた。違う、花だ。花が敷き詰められている。白く優しい光を放つ、百合の花が。花畑になっているのだ。
目映さが引いていく。シザクラの意識が戻って来た。フィーリーも同じものを見ていたらしい。複雑な表情を浮かべている。
「今の人が……私の、人間のお母さん……」
彼女が呟くのが聞こえた。フィーリーの両親は二人で旅をしていたのか。その旅路を、フィーリーに辿らせようとしているのかもしれない。
だとしたら最後の俯瞰的な光景。あれが、次の目的地だ。そこにまた彼女は痕跡を残している。
「高い塔か……。ちょっと情報が少ないな。あんまり人気がなさそうだったから観光名所とかではなさそうだけれど、そんなとこいくらでもあるからなぁ」
「母たちが船で渡った先なら、わかります。地図、見せてもらえますか」
シザクラには感じ取れなかったものを、娘であるフィーリーは受け取れたみたいだ。言われた通り魔石で世界地図を表示する。五つある大陸の内一つ、斜めにジグザクに切り取られたような細長いものを彼女が指差す。
「ここです。ここのフィスチ港という場所で、母たちは船を降りました」
「ナリミカ大陸か……。フィスチ港。ちょっとあたしもわかんないな。船乗りの人達に聞き込んでみよう。どうせ、船に乗らなきゃ行けないしね」
「そうですね。あのおっきな船に乗れるんでしょうか……」
フィーリーがやや目を輝かせて、貨物船の方を見る。やっぱりこういうところは母親に似ているのだろう。微笑ましい。が、それは叶えられそうにない。
「いやあれは荷物とか運ぶ用だから……。まあ一応客船とかもあるみたいだけれど、あたしらみたいなカツカツ冒険者にはちょっとキツイかなぁ……あ゛っ」
「……シザクラさん? どうしました、懐を覗きながら。まさかとは思いますが」
「……そのまさかだね。ごめん。マジで。本当に。すみません……」
綺麗に腰を直角に曲げて、シザクラはフィーリーに深く頭を垂れる。こういうのは早めの謝罪が最善だ。
おそるおそる顔を上げれば、明らかに頬を膨らませている彼女と目が合う。……やばい兆候。
彼女はやや平坦な声で尋ねてくる。これもよくない兆候。
「ひとまず、現状を報告願えますか?」
「えと……路銀があんまありません……正直、個人船に頼んで乗せてもらえるかも怪しいくらい……」
「それは何故ですか。……心当たり、ありますよね?」
「あたしが、酒場のある町に行くたびに呑みまくってたせいです……」
お酒も女の子も大好きなので。可愛い子がいる酒場に行くと、ついつい見栄を張って呑みすぎてしまうのだ。もちろんそんなに酒は強くない。ので毎回べろんべろんになって、もう何杯目のジョッキかわからないくらに更に呑む。負のスパイラル。
もちろん呑んだ分だけお金は掛かる。ので、アンカトルに着くまでに魔物を追い払ったり、仕事を手伝ったり護衛をしたりなどの依頼をこなして稼いだ路銀。それがあまり残っていない。この金額を見せても、おそらく乗船を許可してくれる船主はきっといないだろう。ナリミカ大陸へと今日中に出発するのは厳しいかもしれない。
「ちょっとお財布、見せてください。……何ですかこれ。ほぼスッカラカンなんですけれども。さぞ美味しいお酒だったんでしょうね」
「うぅ……そんなチクチクしないで……。ごめんってばぁ……。もうお酒は金輪際断つからぁ……」
「全然信用できません。これからあなたのお財布の紐は私が固く結びますからね。別に私のお財布がありますから今夜の宿はどうにかなりそうですけど、さすがにこれじゃあ船に乗せてくれる人はいませんね……」
「面目ない……」
フィーリーは自分用の財布を出してくれる。子供にお金を出してもらうなんて情けない限りだが、もう恥も外聞もない。
だがシザクラの寒すぎて凍った懐と合わせても、これで乗船の交渉に応じてくれる船主がいてくれるか難しそうだ。……もうお酒と酒場の女の子とは一切関係を断つ。……しばらくは。
「……とりあえず、フィスチ港のことを聞き込みつつ船に乗せてくれる人がいないか探してみよっか。依頼人とか運よく見つけられたら、それをちょちょいとこなして足しにも出来るかもだしね」
「そうですね。ではシザクラさん、目一杯働いてもらいましょうか」
「すみませぇん……頑張ります……」
情けなく先を歩くフィーリーにペコペコしながら。シザクラはとりあえず港にいる船乗りらしい人たちに声を掛けていくのだった。
*
「あれぇー? あーしの目がおかしくなったんじゃないならぁ、今のって魔法だよねぇ? それも随分練られた、純粋な魔力だ。普通の人間にはあんなの使いこなせないんじゃない、ねぇフォル?」
「その通りでございます、ターシェン様」
「はぁ? 人間のあんたごときが何でそんなのわかるわけ? 適当なこと言わないでくれるぅ?」
「申し訳ございません、ターシェン様」
港に向かって歩いていく、魔法使い然とした格好をした少女と背の高い女をさりげなく観察していた。
強い魔力の気配は、おそらく少女の方から発せられたものだ。本に、言葉の輪。並大抵の魔力の雰囲気ではなかった。
そして女の方も、おそらく手練れだろう。体格もそうだが、歩き方も洗練されていて、修羅場を越えた戦士そのものだ。……なかなかに興味深い二人組。
ターシェンと呼ばれた少女は、目深に被ったマントのフードの中でにやりと笑う。掛かった影の中、赤い瞳がちらつくように光った。
傍に付き添うように佇んでいるのは、フォルと呼ばれた女性。小柄なターシェンの頭が胸の辺りに来るほどの高い背丈で、黒い使用人服にエプロンを身に纏っていた。表情の薄い端正な顔には、右のこめかみから唇の端まで一直線に走るような大きな傷跡がある。
行き交う人波の中でも目立つ二人組。だが誰も彼女らに注視しない。気配を消しているからだ。姿を見ても、視認出来ない。普通の人間なら。
「気になるなぁ、あいつら。ちょーっと、ちょっかい、かけてみよっか。面白そうだし。フォル。あの二人組の行き先探って。あーしはその間、その辺りでくつろいでるから。あーしを見つけるくらい、出来るよね? 人間で鈍いあんたでも」
「かしこまりました。最善を尽くします」
「最善以上を尽くしてもらえる? 頑張ってくれたら、これよりもっといいご褒美、あげるから」
ターシェンはフォルの使用人服の胸倉を掴んでぐいっと引き寄せる。そしてフードの中で、その唇を奪った。表面を先が割れた舌先でねちっこく舐る。
ぞくり、とフォルが震えたのがターシェンに伝わって、可笑しい。ほんと、こいつってば最高のオモチャ。壊すまで遊ぶには最適だ。
「ありがたき幸せ。最善以上をこの身の限り、あなたに捧げます」
フォルは歩き出す。その目はターシェンの赤い瞳が映ったように鈍く光っていた。
(……新しいオモチャも、見つけちゃったかなぁ)
オモチャは多ければ多いほど、遊ぶのが愉しくなる。ターシェンは濡れた自分の口元をなぞって、また薄く微笑んだ。
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