第3話──3「はじめてのクモ退治」
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「逃げるのは……なしだね。こいつらが餌になっちゃう」
シザクラは足元でまだ伸びている野盗たちを見る。逃げるどころか、しばらく立つのも多分無理だろう。さすがに見捨てることは出来ない。
目の前で前足を持ち上げて威嚇する巨大グモの魔物。見上げるほど高い天井にその腹がつきそうなほどの体躯。七色に光る複眼は、こちらを睨んでいるようで、完全に怒っている。
「ねぇ、フィー。この前みたいに話し合いで解決できないかな。こいつに通じる言葉、使える?」
「えと、私もそれを自分でどうやってるのかよくわかってないんですけど……やります。時間を稼いでください」
「余裕。焦んなくていいから。こっちに任せて」
フィーリーが目を閉じ集中し始めた。何だろう。魔法の詠唱の時とは違う空気が、彼女の周辺を漂い始める。
魔物と話すことが出来る、というのは。やはりサキュバスの力が関係しているのか。彼女本人もわかっていない、彼女自身の能力。……興味深い。けれど、今は目の前の脅威に集中。
クモが雄たけびを上げながら、前を足を振るってくる。しっかり腰を据えて、シザクラは刀でそれを受け弾く。重い。が、問題ない。
跳び上がる。クモの複眼はシザクラを捉えていた。が反応できない。そのまま頭を刀の鞘で軽く小突いてやる。
「こっちだよ、子猫ちゃん。あたしに集中しな?」
フィーリーから離れた場所に着地。大グモは狙い通りこちらを向き、挑発に乗ってくれたようだ。
(なるべく怪我させるのはやめるか。今回はこっちが邪魔者側だしね)
致し方ない事情とは言え、勝手に住処に入って騒ぎを起こし向こうを刺激したのはこちら側だ。
なるべく、不必要な殺生は避ける。フィーリーの方針に従おう。
大グモが突如身を翻す。腹を見せた。反射的にシザクラは真横に身を避ける。すごい速度で糸が発射された。広範囲、壁に貼りついたそれは、喰らえば身動きを取れなくなるだろう。粘着力もやばそうだ。たぶん一発貰えばアウト。
連続、放たれる糸。駆けながら避け続ける。捉えきれないと察したのか、クモは体勢を戻すとそのまま体当たりしてきた。
跳んで避ける。そこに足が突っ込んでくる。動けないところを狙われた。刀の鞘で受け、衝撃でぶっ飛ばされながら何とか身を翻して着地。
「フィー! 進捗は⁉」
「だ、ダメそうです。この子、怒ってて全然意思疎通が出来ません……。私も、どうやって話したらいいか、意識してやろうとしたら出来なくて……」
「続けて。あたしも何とか、この子傷つけないように相手してみるから」
また踏みつけてきた足。転がってかわし、フィーリーに呼びかける。地面が抉れた。これも一発喰らったらやばいかもしれない。
時間稼ぎというのはなかなか骨が折れる。倒す、なら多分そこまで苦労はしないだろう。
でもフィーリーは、多分それを望んでいない。そして多分、あたしも。
彼女と出会う前だったら、多分有無を言わさず殺していた。……少なくとも、あたしも彼女に影響を受けているということか。ちょっと驚いた。
大グモが不意に牙が覗く口を開いた。何か来る。飛びずさる。今シザクラが立っていた場所。クモの口から発射された粘液がぶちまけられた。紫色のそれは、じゅわじゅわと音を鳴らして岩を溶かしている。消化液か。これはどこに喰らっても一発アウト。こいつ、思った以上に厄介だ。
(さすがにキツいか……)
さっきから地面で呻いている野盗どもに、クモの攻撃が当たらないように動いてはいるが。そろそろ限界かもしれない。こいつの攻撃は多彩でどれも一発一発が殺傷能力を持ちすぎている。時間を掛ければ掛けるほど、誰かが怪我をするか最悪死ぬ。
シザクラは構える。左手に抱えた刀。親指で、微かに刃を浮かせる。やるならせめて一瞬で。苦しむ間もなく。
「ダメですッ!!」
突然フィーリーが叫んだ。
大グモに、どこからか現れた植物のツタが絡みつく。全ての足の動きを封じた。魔法だ。太くしなるそれは、容易く巨体を拘束してしまう。
フィーリーは。絡まった大グモの顔の前へと歩み寄る。威嚇するようにクモは吠え、その大口をフィーリーに向けた。
「フィーリーッ!!」
消化液が来る。シザクラは走る。が、間に合わない。彼女がやられる。
それだけは絶対いやだ。一瞬シザクラの目に映る、フィーリーの姿が。夕焼け空の下で見たあの子と、重なる。
救えないのか。また。
発射される消化液。だがそれは、フィーリーに届く前に雲散霧消してしまう。
(何だ……?)
目を見張る。魔力の気配が一瞬、空間に広がった。微かに空気が湿っぽい。水と、火の魔法か。水の魔法で消化液を浄化してただの水に変え、感知できないほどの素早さ、出された炎で蒸発させた。
魔法の複合。あの僅かな時間で。予め詠唱をしておいたのか。確かに彼女の周りには言葉の輪が何重にも渦巻いている。
魔法と魔法を掛け合わせるとは。それもこの年で。シザクラが今まで会った数少ない魔法使いの中でも、そんなことを出来た者は一人もいない。
「……大丈夫。怖くないよ。ごめんね、怯えさせてしまって」
フィーリーはクモへと歩み寄る。そしてそっと、その顔に向かって手を伸ばした。彼女の目が、青く光る。
「────」
そして、シザクラには聞き取れない言葉で、クモに語り掛ける。その場が静まり返っていた。さっきまでの殺伐とした空気が嘘のようだ。心なしか目の前の大グモから放たれていた殺気も、蒸発していくようだった。
フィーリーはクモから蔦の拘束を解く。クモはゆっくりと後ろに後ずさり。やがて暗がりへと姿を消した。
ぽかんとシザクラはその様子を見守り、それからフィーリーの方へ目をやった。彼女は額に汗を浮かせて、ぎこちなく微笑んだ。よく見れば汗びっしょりだ。
「すぐ出て行けば、見逃してくれるみたいです。また怒らせる前に、行きましょうか。話が通じて、良かったです」
「……フィー。君、クモ苦手だったんじゃないの?」
「苦手ですけど、頑張りました」
走り寄るシザクラ。彼女は強張った身体を、微かに震わせている。
きっと死ぬほど、怖かったことだろう。それでも彼女は自分を奮い立たせた。奪わなくてもいい、命を守るために。
「……よく頑張った。格好良かったよ」
シザクラはぎゅっとフィーリーの小さな体を抱き寄せる。こんなに頼りない感触の彼女が、救ってくれた。感謝してもしきれない。
「……はい」
震えた声で彼女は返してくれる。ぎゅっと、シザクラの服の袖が彼女の小振りな手で握りしめられた。
「……さてと。こいつらどうするか。全員運び出さなきゃいけないんだけど、往復するのもめんどくさいなぁ……」
伸びたままの野盗を見下ろしつつシザクラが呟く。
ふと、彼らの体がふわりと浮き上がる。振り返るとフィーリーが本を開き、緑色の言葉の輪を回している。
風の魔法か。魔石でも、運搬に使われる。が、冒険者にはやや高い。
「便利だね、やっぱ魔法って」
「でしょう?」
得意げに胸を張るフィーリーに毒気を抜かれて。シザクラは吹き出す。
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