第3話──1「はじめての洞窟」


  1


「……あー、やっぱここ通んなきゃダメかぁ。他に道ないもんなぁ」

 魔石で表示した地図を眺めながら、シザクラは深々とため息を付く。ひょっこりと下の方から、フィーリーが地図を覗き込んできた。

「大陸の向こう側に行くには山に囲まれてますね。ここを通るって、この洞窟のことですか? 確かに洞窟は魔物の巣窟になっていることが多くて危険ですもんね」

「そうなんだけど、まあそうじゃないというか」

 シザクラは口を濁す。あまりフィーリーには知られたくない。というか、誰にも知られたくない。あたしにもそういうのが一つや二つくらいある。いやそれ以上か。

 昼間の平原である。太陽も燦燦と降り注いで快晴。魔物の気配も周りになく、平和そのものの雰囲気なのに。これから真っ暗でじめじめして魔物も蔓延る洞窟なんかに潜らなきゃいけない。これで憂鬱にならない方がおかしい。

「迂回できるルートとかないかな……」

「この辺りは山脈で囲まれていますから、このオークツの洞窟を通るのが一番近道で効率がいいです。……どうしたんですか、シザクラさん。頑なにここを避けたがってますけど、もしかして危険なところなんですか?」

「いや、行商人とか、初心者の冒険者とかも通るルートだからここはそこまで危険じゃない。と思う。深いところに潜ったりしない限りは」

「では大丈夫ですね。魔法使いの私がいますから。シザクラさんはどーんと構えておいてくださいっ」

「この前まで制御できないやばい魔法ブッパしてた君が言うそれ?」

 とにかく、目的地である港町アンカルトに向かうには、どうあがいてもこのオークツの洞窟を通るしかなさそうだった。シザクラは大きくため息をつく。心配なのは、魔物じゃない。個人的な理由だ。

「私、実はダンジョン攻略って初めてなんですよっ。ちょっとわくわくしますねっ」

「はぁ、お子様は呑気で羨ましいなぁ。ダンジョンじゃなくて洞窟だけど、普通に油断したら危ないから気を緩めないように」

「はーい。わかってます。あとお子様じゃありません」

「はいはい。わかったよ、フィー」

 とんがり帽子のつばを撫でてやると、フィーリーはむっとしていたが振り払うことはなかった。だからシザクラも、それをやめて微笑みかけた。

「頼りにしてるぜ、相棒」

「……こちらこそです。相棒」

 握った拳と拳をぶつけ合った。相変わらず彼女のそれは、シザクラの拳より一回り小さい。


  2


「これがダンジョン……。何だか感動です。初めて見た……」

「洞窟の入り口ね。それもちっちゃくて、通り道代わりにされてるやつ」

 崖のところにぽっかりと空いた洞穴。ちゃんと人の手が入っており、馬車でも通りやすい大きさだ。この分なら通る道はそれなりに整備されているだろう。魔物は普通、人の通り道を避ける。これなら遭遇することはなさそうだ。

 懸念すべきは、アンガルト側への出口へのちょっと長い距離と。予期せぬアクシデントか。主にフィーリーの好奇心絡みで。子供のわくわくは侮れない。いい意味でも悪い意味でも。

「……さてと。じゃあ入るよ。余計な寄り道はなし。こういう洞窟はわき道にそれると入り組んでるからね。わかった?」

「承知です。子ども扱いしないでください。洞窟を通るくらい、軽いもんですから」

 ……そうだといいけれど。もう不安な予感しかしない。シザクラは震えそうな右手を、さりげなくフィーリーから隠した。

 オークツ洞窟の中へ。思った通り、人が通る道は整備されている。崖になっているところにはちゃんと転落防止の柵が立てられ、馬車の車輪が引っかからないように道に石なども除けられている。

 それよりも、やはり目を引くのは。

「わぁ……! これ何ですか⁉ 光ってます! 石が! 明るい! 綺麗です……!」

 地面や壁、天井に埋め込まれている大小様々な水晶が光を帯びて光っている。赤、青、白、緑……色とりどりの光が目映くて、綺麗だった。

「人の通り道になるわけだね。こりゃ、圧巻だ」

 光の魔石を使わなくてもこれなら足元は大丈夫そうだ。シザクラの不安も少しは紛れた。手を必要以上に握りこまなくて良さそうだ。

「良かった、地図のデータがある。でもやっぱり、人の手が入っていないわき道に逸れると危ないね。好奇心で入って行かないように」

「わかってますよっ。でも本当に綺麗なところですねぇ。この水晶って、どうして自ら発光しているのでしょうか」

「君とおんなじ。水晶に微弱な魔力が宿っててね。地面からの自然を魔力に変換して光ってるみたい。あたしが普段使ってる光の魔石もおんなじ原理だね。あれは、太陽光を魔力に変換してるものだけれど」

「これも魔法、ですか。まだ魔石に、全て役目を奪われてしまったわけではないんですね……」

「……そうだね」

 やや嬉しそうに微笑んで水晶を見上げるフィーリーの肩にぽんと手を乗せてやる。

(君の好きは、無駄じゃないよ)

 そう言いかけて、はっとなった。これは、あの子に言われた言葉だ。その夕焼けが差した笑顔が、鮮やかさが。焼き付いていたその光景が一瞬で過った。

「……シザクラさん? どうかしました?」

 ふと我に返ると、フィーリーが下からシザクラを覗き込んでいた。慌てて歩き出す。

「な、何でもない。それよりほら、行くよ。ここ結構長いんだから。魔物が出るかもだし」

「これだけ人が通っている形跡がある場所には出ませんよ。この前のが例外なんです。……そういえばシザクラさん知ってました? こういうところの奥って、結構なお宝が眠ってることが多いんですって。昔の人が隠したままの財宝とか、もしかしたら魔法に関わる書物なんかもあるかも」

「君ねぇ、さっき言い聞かせたこと忘れた? あたしたち、その財宝とやらを盗みに来た墓荒らしじゃないんだからね」

「わかってますよぉ。言ってみただけです」

 整備された道を進む。そこら中に光る水晶があるおかげで洞窟の中でも歩きやすい。道しるべのように進む先を示してくれている光もあった。

 基本的に一本道だが、時折枝の分かれ目のように派生した空洞がある。そこも水晶が点々と光っているものの、深さがどこまでかは窺い知れない。

 そこに深い闇を見たような気がして、シザクラは生唾を呑む。意識するな。通り過ぎるだけだ。

 不意に。悲鳴が聞こえた。シザクラは身を竦ませる。明らかに、人間の、男の悲鳴だった。明らかにわき道の、狭い裂け目のどこからか聞こえてきた。が、反響しているせいで方向はいまいち掴めない。

「……今の。人の悲鳴でしたよね、絶対」

「そ、そうかな? 気のせいじゃない? 隙間風との音とか」

「いえ、絶対に人の声でした。こっちからです」

 確信を持った様子で、彼女は分かれ道の先を指差す。

「本当にこっち? あたしわかんなかったけど」

「私、耳が良いんです。サキュバスの血のせいかわかりませんけれど。絶対こっちでした」

 彼女は自信満々に言う。そしてその人が入らないような脇道に逸れる気も満々のようだった。

「えー……マジで行くの? この先に? さっきも言ったけど、こういう洞窟のわき道は入り組んでて危険だし、何が潜んでるのかわかんないんだよ?」

「急に早口になってません? あなただって、誰かが大変なことになってるとしたら放ってはおけないでしょう。それとも……怖いんですか?」

 フィーリーがいたずらっぽく笑いかけてくる。むっとした。シザクラは彼女が差したわき道へと率先して入っていく。

「こ、怖くねーし。やってやろうじゃん。ちゃんとこの洞窟の地図のデータは全部あるみたいだし、迷わないでしょ。大丈夫でしょ。大丈夫、大丈夫」

「……何か、自分に言い聞かせてませんか、シザクラさん」

 疑惑な目を差し向けてくるフィーリーは無視して、シザクラは「怖くない怖くない」と心の中で自分に言い聞かせながら整備されていない道へと逸れていった。

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