3分10秒小説『メメント盛り』

 絶賛ダイエット中の私、ランニング後に蕎麦をすするが何よりの楽しみ。それだけを頼りにダイエットに励んでいる。

 蕎麦、コンビニのなんかでは済まさない。ちゃんと蕎麦屋で食う。立ち食い屋ではない。暖簾に出汁の色が移っているような老舗の蕎麦屋。


 何を頼むか……悩んだふりして壁の品書きを見る。が、決まっている。ザルの小盛だ。天ぷらなんて言語道断。でも見て検討はする。その習性は簡単には消えない。

 その日も”ざるこも”を頼もうと視線を壁に這わしていたのだが突如、頭上に”?”


 小 大 得 メ

 盛 盛 盛 メ

 百 百 百 ン

 円 円 五 ト

 引 増 十 盛

     円

     増


 特盛りの横で異彩を放つ”メメント盛”の文字。なんだこれ?前からあったっけ?


 メメント・モリ――意味は知っている。確かラテン語で”死を忘れることなかれ”だ。


 しかし、どういう意味だ?知っている意味との整合性について、しばし悩む――


 なるほど!そうか、今を生きなきゃ駄目ってことだな?

 死を忘れるなってことは、つまり今を生きる心を大事にしろってことだろ?言わば僕たちは日々”今”をおざなりにして、”未来の為に”と念じながら心を押し殺しているわけで、その押し殺した心が仮に100に達してしまったら、それは人生を1回分失ってしまったということになるんじゃないか?と壁の品書きは言っているのだ。

 死は生の終端に置かれているわけじゃなくって、常に生の裏側に張り付き生と同時進行している。


「すいませーん」

「あい」

「天ぷらそば、メメント盛りで」

「あいよ」


 木彫りのようなおばあさんが、これまた木彫りのようなおじいさんに注文を伝えた。後悔は無い。

 メメント盛、特盛の向こう側に書かれているということは、さぞかし多い量なのだろう。来たら写真を撮っておこう、インスタ用に。


「お待たせ」

「えっ?」

 ㇳッとテーブルに置かれた天ぷら蕎麦、どうみても普通盛りだ。思わず壁の品書きを確認する。メメント盛、特盛の隣に書かれている。ん?そういえば下に追加料金が書かれてない。


「あのーすいません」

「はい?」

「メメント盛りって、もっとこう量が多いものが来ると思っていたんですが――」

「はー」

「これ普通盛りと同じ量じゃないですか?」

「そうよ」

「ちなみに料金のほうは?」

「料金は掛からんのよ。あんた、意味分かって注文したん?」

「意味ですか?メメント・モリの?はい、一応は」

「じゃあそういうことよ」

 おばあさんは、肩で小さな風を寄越して、奥へ引っ込みんでしまった。目で追った先で、おじいさんと合流し一対の置物となる。


 蕎麦をすすってみた。味はいつもと同じ。


 ダイエットを諦めた訳じゃないし、この小さなアクシデントを欲望の言い訳に利用した訳じゃない。

 多分、何か分からないけど、うん――次食う時は何盛だろうがきっと、メメント盛の味がするだろう。

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