第21話



 シュトラウスは目を開けた。

 その視界は、暗視スコープを覗いたような見え方に変化している。

 シュトラウスの場合、物の輪郭などもはっきりと見えるので、どちらかと言えばモノクロの映像を見ている感覚に近い。

「ゴホッ! ……埃っぽ」

 シュトラウスは少し咳き込んだ後、自分の身体に付いた泥、粉塵、ベヒモアゾンビの肉片、そして氷の膜を払った。

「……その状態で近づいてきて、生き物食ったりできんのか?」

 立ち上がったシュトラウスの前方――洞窟の入り口方面――には、こちらに向かって這い寄って来ている巨大な肉塊があった。それは、頭部を爆散されたベヒモアゾンビの骸が、まるで頭を探しているかのように近づいてきている姿だった。

「やっぱゼリエスじゃなく、俺が適任だったな。まぁどっちにしろ、楽にしてやるか……」

 シュトラウスの紅い眼光が暗闇に灯る。そして、左手には紅い魔法陣が。

 次の瞬間、洞窟内に極低温の吹雪が迸った。

 その奔流に呑まれたものは抗う術もなく、瞬く間に凍結していく。傷口から滴る体液から、ぶら下がる肉片まで、何もかもが。塵芥すら凍てついていった。

(汚ねぇ血でも、血は血か……。吸っといて良かったぜ)

 そう思いながら左手をプラプラと振っていたシュトラウスは、ベヒモアゾンビの氷像に近づいて右拳を固める。

 ガシャァァァァンッッ!! と凄まじい破砕音が洞窟内に反響した。もし、外の崩落が完全に収まっていたら、外まで響いていたかもしれない。

「よし、これで再利用できねーだろ」

 シュトラウスは氷像に見事な正拳突きをかまし、満足気に顔を顰めてそう言った。その足元には、無数の氷の破片が散乱している。

(……というか、俺がこーやって倒したやつは再利用されてないか。……まぁ、いいや。あとは奥か。ぶっ壊して……どっかに抜け道とかありゃいいが……)

 分かれ道を見ながらそう考えていたシュトラウスは、左の道を進んでいく。

(ベヒモアはこっちから来てるから、こっちが新しいとは思うんだが……ん? そうとは限らねーか)

 壁にできた真新しい傷や、油や火の臭いを確認しながら、シュトラウスは歩を進めた。

(……大したもんは無さそーだな)

 ベヒモアゾンビが居た部屋には、鉄製の固定器具や台座、太い鎖などが散乱していた。

 おそらくベヒモアゾンビを作る際に、各パーツを固定するために使ったのだろう、とシュトラウスは室内を眺めながら考えた。詳しい接着、接合方法はよく知らないが。

(あいつが魔法薬かなんかでくっつけたんだろ。……支配する、とか言ってたが死霊系魔法は使えたんかな? まぁいいや。隣、見てくるか)

 パッと見て、壊すものも抜け道のようなものも無かったので、シュトラウスは戻って分かれ道の右側を進むことにした。

「やっぱ、こっちがスライム工場か……」

 右側の道の奥の部屋は、広さこそほぼ同じだが、中身はまるで違っていた。

 部屋の中央に据えられた巨大な培養槽。壁際には長机や椅子が数脚、均等に並んでいる。その近くには人間用の固定器具に台座、ロープや鎖などが多数置かれている。

 その対面にはガラス瓶やフラスコ、調剤に使う擂鉢、秤、ナイフ、針といった様々な実験器具が放置されていた。

 どれも腐臭や血の臭いが染みついていそうなほど使い古された様子だが、臭いは漂ってこない。それらに今も微かに残る、独特な薬品の臭いの影響か。それとも、何らかの魔法が施されているのか。今となってはシュトラウスには判らない。

「さて……お掃除といきますか」

 シュトラウスは険しい表情で室内を見回した後、そう呟いた。

 凄惨な実験の痕跡がそこかしこに残った、忌まわしき部屋。

 書類などの記録は残っていないので、この場所をそのまま負の遺産として遺すことはできる。恐らくアンデッドも発生はしないだろう。そうなれば、ボルダ山一帯を巡る扱いも変わるかもしれない。良い方向にも、悪い方向にも。

 だが、シュトラウスにはここを放置することなど、できなかった。

 シュトラウスは両掌に展開した紅い魔法陣を、祈る様に合わせた瞬間。キィンッと甲高い金属音が部屋中に響き渡った。

 その後、シュトラウスは真っ暗な白銀の部屋で破壊の限りを尽くした。

 培養槽、机、椅子、実験器具。それら全てに怒りをぶつけるかの如く、殴る、叩く、蹴る、投げ捨てる。それを何度も何度も繰り返した。

 氷が砕ける暴音が鳴り止むと、そこは床一面に氷の破片が散乱するだけの広い部屋に変わり果てていた。

「ふーっ……キレイになったな」

 心なしかスッキリした表情のシュトラウスは、白い息を吐いた。

「あ……しまった。探してからやった方がよかったか……」

 そう言ってシュトラウスは、めんどくさそうに壁沿いを歩いていく。

 だが、部屋中の物を先に壊したことが幸いしたというべきか、お目当てのものは苦労せずに見つけられた。

 シュトラウスは他の場所よりも不自然に四角く縁どられた、線の入った壁の前に立つ。

「結果オーライかどうか、なっ!」

 シュトラウスはそこを思い切り蹴飛ばした。すると、まるで窓ガラスを蹴破ったかのように、その部分の壁だけが綺麗に刳り貫かれ、砕け散った。

「大当たり―。……よしよし」

 その先に風の流れを感じたシュトラウス・ガイガーは、そのまま外へと続く隠し通路の奥に消えていった。

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