第15話
五節
1
ネクシンは情報収集に追われていた。
主の計画では、アンデッドの情報と被害は全てユナイダム側だけに流れる手筈だった。
しかし現在、アンデッドがボルダ山に出現して人的被害を及ぼしているという情報が、プレトリットの冒険者召会によってスペントガルド領内に広められている。
「私は上から問題点を探る。お前は下からだ」
主には、そう言われている。
主の計画に問題は無かった。あるとすれば……。
そこまで考えて、ネクシンは自分に問題があったと言われぬよう、何としても情報の出処を探らねばならない、と内心焦っていた。
掴んでいる正確な情報は二つ。一つは、被験体や被害者が生還して冒険者召会に情報を流した、ということではないこと。もう一つは、冒険者召会が情報の出処を隠している、ということだ。
(何故だ? 冒険者が掴んだ情報なら、出処を隠す必要などない。それに情報の拡散、注意喚起には積極的だ。……ユナイダムの冒険者が何か掴んだのか? いや、あれを発見したとしても、人為的に創り出したという証拠は何も無いはず。……魔力核を解析できる魔術師がいるのか? いや、主の調べではそんな有能な魔術師はユナイダムにいないはず……。まさか研究所が? ……いや、それならば、その情報も拡散されるか)
ネクシンはそこまで考え、グラスに入った水を飲み干した。
その時、薄暗い店内に一人の男が入って来た。酒場の少し粗暴な雰囲気に似合わない、善良な商人を絵に描いたような小太りの男だ。
その男はキョロキョロと丸い木のテーブル席を見回し、誰かを捜している。
そこでネクシンが片手をすっと挙げる。それに気づいた男は、少し安堵した様子で足早に壁際を通り、カウンター席の端に座っていたネクシンの許までやって来た。
「お待たせしました、ロマ殿」
「座れ。情報は聞き出せたか?」
「いえ……やはり冒険者ではないと詳しくは――あっ、水を二つ頂けますかな?」
男はカウンターの向かい、少し離れた場所で酒のツマミを作っている店主と目が合ってしまったので、仕方なく水を注文した。
「すみません、何も頼まないというのも……。水ではなく、酒の方がよろしかったですか?」
「水で構わない。やはり冒険者でないと聞き出せないか……」
「そうですね、何人かに依頼をチラつかせて上手く聞こうとしたのですが――ああ、ありがとう。……誰が持ってきた情報なのか、冒険者が関係しているものなのか、情報を広めるに足る証拠があるのか……全て非公開だそうです」
男はウェイトレスが立ち去った後も声を潜めたまま、早口に言い切った。
ネクシンはそれを聞いて、軽く水を飲みながら考えを巡らせている。
そのうちに、男もグラスに口をつけてゴクッゴクッと勢いよく半分ほど飲んだ。
「……冒険者に聞いた内容なので信憑性は低いですが……それでもよろしいなら、追加の情報がございますが」
「構わない。話してみろ」
「はい。まず、アンデッドの情報と証拠を持ち込んだのは、やはり冒険者のようです。仮に私のような一般人が情報を持ち込んだら、まずは確認や探索の依頼が出るそうなんです。それが今回は出ていなかったと言っていました」
男がネクシンの顔色を窺いながら話しをするので、ネクシンは軽く頷いて続きを促した。
「次に、証拠の方なのですが……これは怪しい、と言っていました。嫌がる冒険者に銅貨を一枚渡して、話しを訊きに行かせたのですが、冒険者にも証拠は見せられないそうです。滅多にないことらしいのですが、冒険者が情報開示を求めた場合、召会側はその証拠や確度を提示するようなのです。ですが今回は、それをしない……」
「だから怪しい。何か裏がある、か」
「その通りでございます」
男は恭しく肯定し、話しを終えた。
「これ以上のことを調べるとなると、直接冒険者を雇うしかないか……」
ネクシンは呟くようにそう言うと、口元に手を当てて黙った。
(マチェンタの言う通り、部外者や一般人に与えられる情報はここまでだろう。これ以上のものは更に信憑性が薄くなる。だが、こちらはその真偽を判別できる。そこから出処を探るか。だが、肝心のアンデッド討伐依頼が出ていないのは何故だ? 既に誰かに頼んでいるのか……もしくは、あれの存在を知っていて、現時点では倒せる冒険者がいないから注意喚起に留めているのか……)
隣に座る男――マチェンタはネクシンの邪魔をしないよう、静かに水を飲んでいた。
その時、二人の背後に大柄な男が忍び寄って来ていた。
「よぉ、また悪だくみか?」
突如聞こえた軽い口調に、ネクシンたちは驚いて振り返った。そこには、飄々とした銀髪の男のニヤケ面がある。
「お前は……」
そう口にして、ネクシンは驚いた表情をすぐに消した。
「久しぶりだな。ん? いや……初めまして、おにーさん」
シュトラウスは黒いフード付きのマントを着た青年に、ニヤニヤしながら挨拶した。
ちなみに、ネクシンが着ているものは特別目立つものではなく、旅人や冒険者などが普通に着るような市販品だ。
「……誰かと勘違いしてないか? 俺はお前のことなど知らないが」
「そうか……それじゃあ思い出す努力でもするかぁ。馬車の旅……ボルダ山……」
シュトラウスがそこまで言うと、パチィンッと乾いた音が鳴る。ネクシンがテーブルに銀貨を強かに打ちつけた音だ。
「今回の報酬だ。席を外せ」
「はいっ、畏まりました! ありがとうございます、すみません失礼します」
驚いたマチェンタは即座に従順に銀貨を受け取り、立ち上がって一礼した後、いそいそと店から出ていった。
「酒、お前も……って、金なかったわ」
シュトラウスは周囲の軽い注目など気にせず、マチェンタが座っていた席に着き、彼が残した水を一気に飲み干した。
「何故、俺だと判った?」
「声。と、口元。後ろ姿の雰囲気。また金になるような仕事を持ってそうな気がしてな」
ネクシンの特徴といったら、整った顔立ちと切れ長の目、冷淡な口調くらいだ。それ以外は、どこにでもいる金髪碧眼のプレトリット人と大差はない。
(……この男は無能そうに見えて、頭の回る有能な男ということか。一人で銅等級冒険者になったのは伊達ではない、か。……いや……)
「……部隊での仕事ならあるが」
「俺はチームで動かねぇからな。誰かと……この間の御者とかと組んでもいいぜ?」
「いや、いい。……ボルダ山にアンデッドが出没しているのは知っているか?」
「アンデッド? ああ。有名になったな」
「有名になった……?」
「おう。ここだけの話し、俺は冒険者召会に話しが回る前から知ってたんだよ」
「なに……!?」
ネクシンが驚愕した表情を浮かべると、シュトラウスは余計ニヤニヤした顔を見せる。
「やっぱ、ちゃんと顔を合わせて話した方が楽しいな」
「召会が隠している理由も知っているのか?」
「いや、そこまでは知らねぇ。だが、遭遇した冒険者は知ってる」
「誰だ?」
ネクシンは食い気味に訊いた。
「それは教えらんねぇなぁ」
「銀貨一枚」
ネクシンは少し苛ついた声音で交渉に入った。
それに合わせ、シュトラウスは少し普通の表情に戻して、話しを切り出す。
「それ以上の仕事か、お前のボスに会わせてくれよ。そこで、いろいろ知ってることを話してもいい」
「俺は誰にも仕えてなどいない」
「そーいうの、いいから。今回も上からの指示で調べてんだろ?」
無言。それが肯定の意味になってしまうことは、ネクシンにも解っていた。
「まぁいいや。じゃあ、酒奢ってくれよ。それでどんだけ知ってんのか、くらいは話すぜ」
「……いいだろう。好きな物を頼め」
「お前は? ……だろうな。んじゃ……おーい、こっちこっち、ルード二つ頼むわ」
「おい、俺は飲まないと――」
「わーってるよ。俺が二つ飲むんだよ」
シュトラウスは手をひらひら振って、ネクシンの言葉を遮った。
「さて、じゃあ自己紹介から始めるか。俺の名前は覚えてるか?」
「……ガイガー……」
「よーし、そうだ。俺の名前はシュトラウス・ガイガーだ。ユーの名前は?」
「……ロマ」
「……それだけ? ……まぁいいか。それで、アンデッドに遭った冒険者について知りたいんだったな」
ネクシンはそれに頷き、目配せする。
「あー、はいはい。乾杯が先ね」
十数秒の沈黙の後、シュトラウスは「どうも」と言ってウェイトレスから木のジョッキを二つ受け取った。その中には、泡立った琥珀色の液体が入っている。
「かんぱーい」
シュトラウスはネクシンの前に置いたジョッキに、軽く自分のジョッキをぶつけた。その後、口元で威勢良くジョッキを傾けてルードを呷る。
「ぷはーっ! 美味いな!」
一口で半分以上飲んだ後、口角に少し泡を付けたシュトラウスは景気の良い声を上げた。
「実際に会って聞いたのか? 人伝か?」
「……実際に会った。知ってる。半分はな」
「半分は?」
ネクシンは怪訝そうな声で訊いた。
「ああ。ボルダ山に出たアンデッドを倒したのは、ユナイダムの冒険者なんだよ。銅等級のチームが死ぬ気で頑張って倒したんだ」
「その部隊の名前は?」
「お前が本当の名前を教えてくれるんなら、教えてやる」
ネクシンに睨みつけられて、シュトラウスは笑っている。
「んで、あとの半分だが……お前もこれを調べてるんじゃねーか? なんで召会は情報を隠してるのか、ってことをよ」
ネクシンはそれに答えず、黙ったまま話しを促す。
シュトラウスは残りのルードを一気に飲み干した後、話しを続ける。
「アンデッドが出たのは事実だし、それはちゃんと公表してる。だから気にする奴は少ないんだが……っつーよりも、そもそも召会を疑う奴が少ねーんだが。まぁ、それは置いといて、出たっていう証拠だけ隠してる。なんでだ? ユナイダムの冒険者が倒したから、証拠が挙がってないのか? それなら、そう公表すりゃあいい。面子を重んじるっていうのも、召会にはなさそうだしな。ボルダ山だし」
「……ああ、そうだな」
ネクシンはリアクションを求められたので、渋々口を開いた。
「じゃあ、なーんでだ? ヒントは非公開、ってところだな」
ネクシンが何かしら答えなければ話しを進めない、といった雰囲気でシュトラウスはネクシンの前に置いてあったジョッキに手を伸ばしている。
「……。……証拠はあるが、見せられない不都合なもの。ということか?」
「ピンポーン、大当たり! だと思うぜ。じゃあ不都合なものって、なーんだ?」
「……既に出た犠牲者の遺品、もしくは一部」
「まぁ悪くない推理だ。犠牲者が既に何人も出ていることを召会は隠したい。でも、それがプレトリット人って判るほどの証拠なのか? 頭とかだったら判っちまうかもしれねーが、それだったら加工すればいいだろ? しかも場所がボルダ山なら、こっちに落ち度があるとは言えねえ」
「……その通りだ。加工云々は俺には分からないが、できるのならばそうしない手はない」
「だろ? じゃあ他にあるとすれば……?」
「もったいぶらずに話せ」
「こっから先は酒だけじゃ話せないんだよなぁ。裏も取った高価な情報ってやつでしてねぇ」
シュトラウスはニヤニヤしながら酒を美味そうに飲んでいる。
「本当に裏を取ったんだろうな?」
「ああ。なんなら俺の話しを買った後に、そいつらに訊きに行きゃあいい。さっき半分っつったのは、俺がそいつらのことをよく知らねぇのと、憶測も少し混じってるからなんだよ」
「憶測とは?」
「俺が直接……見てないってことだな」
(見てない、ということは……やはりこの男、いや、召会があれの証拠を持っているということか。だとしたら隠している理由は何だ? あれの存在を知っているなら、たとえ倒していても安心できないはず……)
「ロマさーん? そろそろ酒がなくなっちまいますよー?」
「……いくらだ?」
ネクシンは苦虫を嚙み潰したような顔で訊いた。
持ち合わせは少ない。だが恐らく、シュトラウス以上に有益な情報を持っている人物を捜す時間はない。主より先に、確かな情報を入手しなくてはならないのだから。
「金貨五枚」
シュトラウスは躊躇なく言い切った。
「金貨五枚だと……!?」
銀貨に換算すると、五十枚だ。この間の依頼で支払った報酬の十倍を、しれっと要求されている。
「……吹っ掛けすぎじゃないのか? これならば自分で調べる」
「いーや、妥当だと思うぜ? なんせ、どこにも出回ってない不都合な事実、ってやつだからな。あぁ、ユナイダムでは分からねーが」
(……召会があれの情報を持ってる可能性は高い。ユナイダムでは、ということは、討伐者が触れ回っている可能性があるということだ。それさえ判れば、主にそれを報告すればいいだけだ。だが、隠している理由が解らない。それは主にお任せすればいいのか? しかし、可能性が高いという憶測だけを持ち帰って、理由も証拠もありませんと報告するのは……俺の信用に関わる。下手をすれば、他の奴らのように切り捨てられる危険性が……)
「だから直接ボスと話したいんだよなー」
考え込むネクシンを見て、シュトラウスがほんの少しだけ呆れた口調で言う。
「……金貨は一枚しか持ち合わせていない。それと、ここの酒代では――」
「安い! 安いねぇ。お前が可愛い女の子だったら考えなくもなかったんだが。……まぁ、それだけならボスにお目通りさせてもらうっていうのを条件に入れさせてもらうぜ」
「……何故そこまで上の存在に拘る?」
「金が欲しい、後ろ盾が欲しい、裏社会のコネクションが欲しい。冒険者と裏稼業、どっちも命張るんなら、手っ取り早くガッポリ稼げる方を選ぶだろ?」
「なるほど……」
(確かに合理的だ。短絡的で俗物的でもあるが。それでも生き残ってこれた、この男の実力、嗅覚、知恵……。金と女さえ与えておけば、上手く飼いならせるか?)
「さて、そろそろ返事が欲しいんだが?」
シュトラウスは空になったジョッキをくいっと見せて、そう告げた。
「明日……もう一度同じ時間に、ここに来い」
そう言って、ネクシンはテーブルに銀貨を一枚置く。
「その時に情報を買う。金貨一枚か……五枚かで、だ」
ネクシンはそこで更に銀貨一枚を並べて置く。
「これは口止め料だ。俺が買うまで、その情報を誰にも言うな」
「明日まで、ね。妥当な時間設定だと思うぜ」
シュトラウスは人差し指で銀貨を一枚ずつ自分の方にスライドさせながら頷いた。
「……一つ訊きたい。情報を早く知った方がいい理由は何だ?」
「……バレちまうと、いろいろな交渉や取引に使えなくなっちまう。例えば、冒険者召会とかと、だな」
シュトラウスはネクシンの顔をジッと見つめながら、ニヤっと笑って答えた。
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