第13話



 シュトラウスは顔を顰めた。

「臭ぇな……」

 傾斜のきつい上流が見えてきて、そろそろ沢登りも終わりを迎える、といった時だった。

 ユナイダム側の上流方向から、腐敗臭と血の臭いが僅かに漂ってきた。どちらかといえば風上から流れてきているので、まだまだ距離は離れているだろうとシュトラウスは感じた。

(先にアンデッドが出やがったか。……仕方ねぇ、そっちから片付けるか)

 そう判断したシュトラウスは、駆け足で臭いの元を辿っていく。

(一応、袋は持ってきたから証拠は取れるが……依頼が出てなきゃ足元見られるからなぁ。ボルダ山だし。いや、いっそのこと平野まで下って来てたって言うか? もしくはユナイダムまで行っちまうか? ……あ? この匂い……変だな。真新しくはないが、新鮮味もある……。人だけじゃなく、動物のも混じってるな。変な防腐処理でもかけてんのか? ……急ぐか)

 途中から急に香ってきた不思議な血の匂いを嗅ぎ、シュトラウスの心に不安と期待が入り混じる。

 そこからシュトラウスはナップザックを手に持ち、全力疾走に移った。

 木漏れ日が差す森の中を、陰から影へ。木々の間を影が縫うように走り、風だけが枝葉をザワザワと揺する。人間ではおよそ捉えることすら難しい動きで、シュトラウスは森を駆ける。

 そうして、後方に見えていた川を置き去りにした頃。

 新たな異臭がシュトラウスの鼻を突き刺す。

(くっせぇ! なんだこの臭い! 下水で腐った死体でも茹でてんのか!?)

 思わず足を止めたくなったが、剣とナップザックを右手で持ち、左手で鼻を摘みながらその方向へ進む。この臭いが不安を煽り、微かに聞こえてくる人間の声が、期待を掻き立てているからだ。

「なんじゃありゃ!?」

 かなり遠いが、ちょうど直線上にいる気持ち悪い色の巨大なスライムを見て、シュトラウスは思わず鼻声を上げた。

 しかも、タイミングが良いのか悪いのか捕食シーンらしく、スライムは触手で捕らえた獲物を喰らわんと伸びあがり、そのまま体内に取り込もうとしている。その、人間らしき生物を。

「おいおいおい待て待て待て!」

 シュトラウスは地面を抉る勢いで急ブレーキをかけ、ナップザックやランタンと共に剣の鞘を投げ捨てた。そして、剣を投げ槍の様に構え、体勢を深く沈めていく。

(根本を狙えば……ええい! 当たったら、すまん!!)

 ギチギチと圧縮され、限界を迎えた全身の筋肉の隆起が、剣の投擲と共に解放された。

 その凄まじい勢いは大型弩砲の様に空と枝葉を裂き、鋭い風切り音を立てながら一直線にスライムへと飛んでいく。

「!?」

 その場にいた誰もが――スライムですら――何が起きたのか解らなかった。

「だぁっ! はぁ、はっ……!」

 ウェリアは地面に落下した後、息も絶え絶えに腰の手斧を抜き、強引に千切るように触手を解いていく。

 触手は根本とウェリアの中間辺りで、鋭く切り裂かれていた。

「ウェリア!!」

 フレットたちはウェリアに駆け寄り、守るように四方へと展開する。

「……だいじょうぶだ! だ、誰が……俺を……助けてくれたっ?」

 ウェリアはパニック状態の心を落ち着かせるべく、深くゆっくりと呼吸しながら問う。

「わからない。剣を投げたのはゼリエスさんでもないし……」

「ああ、俺ではない。右から誰かが近寄ってきている」

 ゼリエスはスライムを正面に見据えて、大剣を構えながら言った。

「おぉおい!! 無事かー!?」

 シュトラウスが、けたたましい声を上げながらフレットたちに近づいてくる。

「あ……あの人は……この間の?」

 フレットたちの警戒度が一気に高まる。

 スライムが触手を伸ばし、千切れた部分をくっつけたこともあるが、得体の知れない冒険者が再びこの地に現れたからだ。

「……ウェリアを助けてくれた? から……敵ではない……はず……ですが……」

「距離を取りつつ、先程の場所まで後退。どちらも警戒しつつ、こちらからは手を出さない、

というのは?」

「そうですね、それでいきましょう」

 フレットはゼリエスの提案に即賛成し、仲間たちと共にゆっくり後退していく。

 それに合わせ、スライムは触手を左右に振りながら距離をじりじりと詰めてくる。

「気をつけろ。こいつには知能がある」

 間合いを測りながら殿を務めるゼリエスが、振り返らずに仲間たちに忠告する。

「……微量ながら、魔力反応も。おそらく、あの赤い球から」

 陽光の後衛である魔法使い、ドンストンも自信なさげに付け加えた。

「おーーい!! お前たち、この間の冒険者だろー!!?」

 フレットたちに聞こえていないと思ったシュトラウスは、更に声を張り上げた。

 それに反応したのはフレットたちだけではなかった。スライムも茂みに隠していたもう一本の触手を振るって、シュトラウスに返事した。

「よし、こっちに……あ、やべ。鞘も置いてきちまった」

 鞘で適当にいなしつつ、フレットたちと合流しようと考えていたシュトラウスの左手が何もぶら下がっていない腰に触れる。その間にも、スライムの触手は木々の合間を縫ってみるみる迫る。

「ばっちぃ手でお触りしようとするんじゃねーよ。てか、やっぱ臭ぇ!」

 鞭の様に強かに打ち出される触手を、シュトラウスは右に左に華麗に避ける。その際、右手で口元を抑えるのも忘れない。

 そうしてそのまま回避しつつ、ゆっくり前進しようとしていた時、触手の動きがピタリと止まった。

「こっちだ! 合流しろ!」

 ゼリエスの声が轟く。

 シュトラウスはそれに即応し、軽やかにゼリエスたちの方へ向かった。

「悪ぃな、助かったぜ」

「いえ、こちらこそ。あれが何だか解りますか?」

 フレットたちはシュトラウスを味方と判断し、行動を開始していた。

「あんな気持ち悪りぃの知らねえよ。お宅らが追ってる奴じゃないのか?」

「私たちも、もっと普通のものばかりだと思ってました」

「そうか……。とりあえず、矢は効かねぇみてーだな」

「くっ!」会話の最中、ヤーデンはスライムに対して二の矢、三の矢を放っていた。

 しかし、触手で打ち落とされるか、当たっても貫通はせず、体内に取り込まれるだけに終わってしまう。だが、注意を惹くことには成功している。

「下がれ!」

 フレットの掛け声と共に、皆が後方の広場に下がっていく。

 殿の二人へは矢への報復と言わんばかりに、二本の触手による苛烈な攻撃が繰り出される。それをゼリエスは大剣でいなし、シュトラウスはひょいひょいと避けていく。

 そうして、皆が広場中央付近まで後退したところで、二人も広場に下がった。

「誰か、剣か何か貸してくれねーか?」

 広場に出て少し余裕ができたところで、シュトラウスはフレットたちに向かって武器をせがんだ。

「……剣を貸したら、さっきの攻撃をお願いできますか? あれを奴の赤い球に当ててほしいんですが……」

 フレットは半信半疑で聞き返した。

「さっきの? ……力任せにぶん投げたのが、ラッキーパンチになっただけだぞ? 矢で届かないなら、俺のも届かねーよ」

「剣は俺の予備を貸そう」

 触手攻撃が収まったことを確認したゼリエスは、腰に差していた自身のロングソードを渡すため、シュトラウスに近づいてきた。

「おう、センキュー……」

 ゼリエスに睨みつけるような鋭い眼差しで見つめられたシュトラウスは、目を逸らしつつ剣を受け取る。

「そういや、火は持ってきてないのかよ? アンデッド退治の必需品だろ?」

「持ってきてはいますが、この広場でも使えるかどうか判りませんよ? もし森に燃え広がってしまったら……」

「火ぃ消せるような魔法とか、消火剤バラまく方法とか用意してないのか?」

「その……ここまで大事になると思ってなくて……」

 フレットは申し訳なさそうに目を伏せている。

「そんなんじゃ死んじまうぞ? どーすんだよ、もう来ちまうぞ」

「俺たちが時間を稼ぐ! その間に策を練ってくれっ!」

 ヤーデンは悲痛な叫びと共に、射程内に入ったスライムに矢を浴びせ始めた。

 それを受け、フレットは焦りが滲み出た余裕のない表情でシュトラウスたちに訊ねる。

「……誰か奴の赤い球に届くような技か魔法は持っていませんか?」

「……ねぇな。あんたは?」

「……俺たちも使えない」

「なら……もう焼くしかないのか……!」

 フレットの呻きにも似た言葉に、ゼリエスは顔の皺を深めた険しい表情のまま、何も言わない。それを見かねたシュトラウスは、仕方なく提案する。

「まぁ、しょうがねーわな。あれをここの真ん中辺りに持ってきて、焼くしかねーんじゃねぇか? 飛び火させないように触手二本ともぶった切って」

「無茶言うなっ! どうやっておびき寄せるんだ! ……それに奴には知能があるかもしれないんです。簡単に引っかかるかどうか……」

「頭があろうがなかろうが、スライムなんかと知恵比べで負けるわけねーだろ。いろいろ試しながらやってこーぜ」

「俺も同感だ。どちらにせよ奴を逃がすわけにはいかない……スライム?」

「何かあいつについて知ってるんですか!?」

 聞き慣れない単語に、二人はすぐさま反応した。

「ちげーよ! 俺の故郷でああいうブヨブヨした身体のモンスターを、スライムって呼んでただけだっつーの」

「おい! もうっ、持ちこたえられそうにっ、ないっ!!」

 ヤーデンたちに襲いくる触手を、必死の形相で弾いていたウェリアから、限界に近い叫びが飛んできた。

「矢も半分切るぞ!」

 プローフがつぶさに周囲を警戒しながら、状況を報告する。

「こっちに下がって! 奴を広場の中央におびき寄せる!」

 フレットの指示を受け、三人はすぐさま後退した。

「魔力を帯びた攻撃なら効く。ウェリアの斧も、ヤーデンの矢も効果があった」

 ドンストンが手短に戦闘結果を伝える。

「魔法は効くっぽいな。この中で魔法が使える奴って、お前だけか?」

 シュトラウスの問いに、ドンストンは目を泳がせる。陽光のメンバーも同じ様に、気まずそうな態度を取っている。

「……私も使えます。一応」

 そんな中、フレットが小さく手と声を上げた。

「戦力を濫りにバラしたりはしない。生き残るために、奴を倒すために教えてくれ」

 ゼリエスの真摯な眼がフレットたちを見つめる。

「隠しておきたい、というのもありましたが……私の魔法が効くかどうか判らないんです」

「それ言ったら火も試してみねーと、だろ? ザルドのにーちゃんの言う通り、使えるもん何でも使って奴を倒そーぜ」

 シュトラウスの言葉に顔を見合わせた陽光の皆が、そしてゼリエスたちが頷いた。

「よっし、じゃあ剣に魔法かけてくれ。言い出しっぺの俺が囮にならぁ」

 シュトラウスは剣を手先で器用にクルクルと回しながら、数歩前に出る。

「……お願いします! ヤドリキ・マ・リョーク<<宿りし魔力>>」

 ドンストンの持つ短杖の先端が、詠唱と共に淡く光り輝く。すると、シュトラウスの持つ剣にも同じような淡い魔力光が灯ってゆく。それが刀身から剣全体に巡ると、握っている柄からも力強さや、ともすれば生命力のようなエネルギーの温かな波動を感じる。

「センッッキューー!!」

 剣が光を帯びたと同時に、触手も翻っていた。

 魔法展開の隙を狙われた形だが、シュトラウスはその先端を一瞬で捉え、感謝の言葉と共に豪快に弾き斬り飛ばした。

「しゃい! どんなもんじゃい!」

「凄い……!」

 魔力光を曳いた凄まじい剣閃と、それを振るう雄々しい姿に、フレットたちから感嘆の声が漏れた。

 ゼリエスたちに比べるとその剣術はお粗末なものだが、威力はゼリエスと同等、もしくはそれ以上に感じられたからだ。

「千切れた触手に火を点けてみる! そのまま頼みます!」

 フレットは希望が見えてきたことから、笑みを零しながら言った。

 冷静に考えれば、この場には銅等級冒険者が三組もいる。相手が新種のアンデッドだからといって、やってやれないことはない。

「よしっ、頼むぞ……燃えてくれ……!」

 フレットは腰に付けたポーチから丸い瓶を取り出し、少量の油を触手に垂らす。そしてマッチに火を点け、そこに落とした。

 ボッと音を立てて触手の表面に炎が走る。

 フレットが中も燃えているかどうか確認しようと剣を構えた、その時。

 耐え難い悪臭と共に触手は黒炭の様に変化し、グズグズと燃え崩れていく。

「やったぁ!」

 フレットの様子を遠目に見守っていたプローフは歓声を上げた。

「火も魔法も効く! ……あとは私の魔法を試してみるのと、どうやってこっちにおびき寄せるか、か」

 フレットは喜びも束の間、少し不安げに呟いた。

「とりあえず、やってみよーぜ! ……あれに目があるかは謎だけど」

 プローフは引き続き周囲を警戒しながら、フレットに近づいていく。

「そうだな……!」

 フレットは気持ちを切り替えながら、皆の戦闘を見つめた。

「やっぱり、銀髪とゼリエスに援護してもらいつつ、じゃないか?」

「ああ。あの二人の力は群を抜いている……」

 同じ銅等級とは思えない。最前線に立つ彼らの戦いぶりを見て、フレットはそう感じた。だが、だからこそ自分もあそこに行かなくてはならない。自らのために、陽光のために。

 フレットは己を奮い立たせ、声高に言い放った。

「ゼリエスさん! 銀髪さん! 援護をっ! あと、絶対に私の方を見ないでください!」

 スライムはもう広場前の茂みまで来ている。そこに向かってフレットは走り出した。

「この距離ならっ! ――っ!」

 シュトラウスたちに伸びていた触手が、接近してきたフレットに反応して戻ってきた。それがフレットのマントを掠めた。

 掠める程度で済んだのは、ゼリエスが更に一歩前に出て根本から触手を叩き斬ろうとしたからだ。

 それによりスライムは触手を引っ込め、防御態勢に移ろうとしている。

「やれっ!!」

「ライテル・テン・カリン<<輝ける陽光>>」

 ゼリエスの合図と共に、フレットは右手を突き出し呪文を唱えた。その瞬間、右掌から眩い光の玉が生じ、前方に向かって炸裂する。

 それを見た瞬間、シュトラウスたちは神経を張り巡らせた。魔法が効かなかった場合、誰に反撃が来るか判らないからだ。

 しかし、その警戒は杞憂に終わった。

 スライムは一瞬硬直した後、凄まじい勢いで触手を手当たり次第に振るっている。それはまるで、眼がついている生物のような反応に見える。

「効いてる……効いてるぞっ!」

 フレットは思わず笑みを浮かべながら後退する。

「凄ぇな、光属性の魔法なんて珍しいじゃねーか」

 フレットの援護についていたシュトラウスも、一緒に後退していく。

「名前負けですよ。戦闘ではこれくらいしか役に立ちません」

「オッケーオッケー! ……なんだが、ちょっと警戒させちまったみたいだな」

 シュトラウスの言葉通り、スライムは暴れていた触手を茂みに引っ込め、静かにこちらの様子を窺っている。

「このまま逃げるとは考えにくいが、それも視野に入れておいてくれ」

 ゼリエスが後退してきた二人に近づき、そう言った。

「だがよ、飛ばれでもしない限りこっちが有利だぜ? 上に逃げれば岩場、後ろか下に逃げれば川がある。どっちにしろ燃やし放題だぜ」

「確かに、その通りですね。そこまで追い立てるというのも――」

「来るぞっ!」

 ゼリエスが叫んだ瞬間、触手がシュトラウスたち目掛けて振り下ろされた。

「ちっ!」また斬り飛ばしてやろうと前に出たシュトラウスだったが、舌打ちと共に咄嗟に避ける。

 振り下ろされた触手は今まで二本だったものを束ね、一本の太い形状となっていたからだ。その太さは、周辺に生えている木の幹と変わらない程のものだ。

 皆が触手の先端に気を取られていると、今度は根本がみるみる太くなっていき、その代わりに本体はどんどん萎んでいく。そうして赤い球を伴った巨大な瘤は、見る間に触手の中間辺りに移動し、そこに本体ともいうべき球状の姿が再現された。萎んだ元本体は、細長い触手に変化して、ねちゃりと地面から放れた。

「なるほど、そうやって移動するわけか」

「感心してる場合ですかっ!」

 フレットが慌てて叫んだ瞬間、スライムはでんでん太鼓の様に触手を振るってくる。

 広場に出たところでブオンブオンと触手を振るわれた結果、逆にシュトラウスたちが茂みの方へと追い立てられてしまった。

「皆、散れっ!! このまま中央に押しやる!!」

「了解!!」「オッケー!!」

 ゼリエスの号令のような一声に皆が反応し、スライムを囲むよう四方に散る。

「何やってんだ? あれ……」

 スライムはシュトラウスたちの行動に合わせ、すぐさま触手を伸ばしていた。

 だが、攻撃や捕獲のためではなく、誰もいない茂みを弄っているように見える。それを終えた二本の触手が先端に掴んでいたものは、人間や獣の亡骸だった。

「やっぱり奴に投げ飛ばされてたのか。……まさか!」

 フレットはスライムが再び亡骸を弾として使い、こちらに放ってくるのでは、と予想した。

「なっ!?」

 実際は、まるでその逆。

 スライムはそのまま二体を自らに取り込んだ。取り込まれた亡骸は、酸の鍋に放り込まれたような溶解音と水泡を立て、スライムの中に溶けていく。

 スライムの身体は喜びで波打つ様にうねり、赤い球は瞬きするように明滅している。その反応後、水泡は茶色いガスとなって体外に勢いよく排出された。

「うぇ……」立ち込める醜悪な刺激臭に、シュトラウスは鼻をつまみながら思いっきり顔を顰めた。

 スライムはシュトラウスたちに悍ましい捕食シーンを見せつけると、次の獲物へと触手を伸ばそうとする。

「これ以上喰わせるわけにはいかない! やるぞっ!!」

「これ以上嗅がされたら鼻が馬鹿になっちまう!」

 方向性は違えど、アンデッドを吸収させたくないという思いを同じくするゼリエスとシュトラウスが、すぐさま対処に移る。

 スライムはアンデッドを吸収したことにより、明らかに肥大化していた。

 その衝撃に気圧された陽光たちは固まっていたが、シュトラウスたちの声を遠くに聞いて、突き動かされるように走り出す。今ここで食い止めなければならない、という使命感に。

「おい! 糞団子! キモいニオイばっか垂れ流しやがって!」

 そう言いながら、シュトラウスは広場中央に向かってズカズカと歩み出て、スライムと対峙した。

 それに反応したスライムは、触手を両脇の茂みから出し、挟み込むようにシュトラウスへと振るう。

「よっ、ほっ、はっ。あらよっと」

「……凄いな、あの人」

 二手に別れて回り込んでいる最中のフレットは、心の底から感心していた。

 スライムはアンデッドを吸収したことにより、体積だけではなく戦闘能力も増していた。繰り出される触手は太くなり、振るう速度も速くなっている。

 それだけではないかもしれない。触手の本数増加や、追加された能力などによる危険度の上昇は、容易に想像できる。

 それなのに、シュトラウスは率先してスライムの前に立ち、囮と分析を引き受けている。彼は言動こそ軽いし大雑把だが、冒険者としては間違いなく格上だとフレットは――陽光の面々は気づいた。

「隙ありぃ!」

 曲芸のように難なく触手を躱していたシュトラウスが反撃した。

 先程と同じように先端を斬り飛ばす一撃だったが、魔力強化が解けてしまった剣では半分程度しか斬れない。

 スライムの触手が太くなったこともあるが、やはり内部の粘液に刀身が触れると切れ味が鈍ってしまう。もし、そのまま無理に斬ろうとするならば、途中で刃が止まってしまう恐れもある。

「どーしたよ? ご自慢の鞭はそんなもんか? ……お?」

 シュトラウスが挑発するように剣を左右にフリフリさせていると、広場中央、シュトラウス側に人型の残骸が次々と投げ込まれてくる。

「おやおやー? 美味しそうなものがいっぱい落ちてるぞぉ?」

 シュトラウスは大げさなリアクションを取りながら、残骸へと歩み寄っていく。

 それに釣られるように、スライムもズリズリとシュトラウスの後を追い始める。

 彼を狙っていた二本の触手のうちの一本も、斬られた部位を再生させた後、周囲を見回すように忙しなく左右に動いている。

「ほぉーら、どんどん増えてくぞー?」

 シュトラウスは狙いが少し逸れてしまった残骸を、剣を箒の様に使ったり、蹴飛ばしたりして中央へと集めていきながら、挑発を続ける。

 その隙をスライムは見逃さず、触手の一本をシュトラウスに素早く振るう。そしてさらに、もう一本細い触手を生やし、地面を滑るように這わせて残骸へと伸ばした。

「お手付きはお止めくださーい!」

「今だっ!」

 シュトラウスが自身に迫る触手を回避し、残骸を回収しようとした触手を思い切り斬りつけた時、フレットの指示が走った。

 スライムの核であろう赤い球へと向けて放たれる、魔力強化された矢。それが光の尾を曳いて一直線に赤い球に伸び、吸い込まれるように突き刺さる。

 そうしてそのまま、スライムのゲル状の身体を赤い球ごと貫けば倒せる。フレットたちはそう考えていた。そう、貫ければ。

 矢はスライムの身体を貫き、赤い球に到達しようとした瞬間に急制動していた。そしてそのまま、あっけなく消化されていく。

(あの急激な止まり方……。たぶん、コアの周辺に膜か壁……魔力障壁みたいなのがあるんだろうな)

 その様子を比較的近場で観察できたシュトラウスは、そう予測する。

 そしてそれはフレットたちも解っていたのだろう。立て続けに二の矢、三の矢が正確にコア目掛けて放たれていた。

「突撃!!」

 矢の連射と同時に、ゼリエスたち同門三人衆も茂みから飛び出し、スライムへの突撃を敢行する。

「気ぃ取られてる場合かぁ!?」

 シュトラウスはスライムの意識がゼリエスたちに向いたことを鋭敏に察知し、先ほど斬りつけた方の触手に追撃を入れた。

 再生が追い付いていない細い触手への横一文字の斬撃は、剣に魔力強化をかけずとも、いともたやすく触手を断ち切った。

「あーあ、また汚物が増えちまったよ」

 シュトラウスはそう言いながら、切れた触手を剣で突き刺して残骸の山へと放る。

「さて、どうすんだい?」

 スライムに前後があるとするなら、前方のシュトラウス、後方のゼリエスたちによって挟撃されている形となる。

 そこでスライムが取った手段は、三本の触手を引っ込めることだった。

「!?」警戒したゼリエスたちが足を止めた。

 スライムはブルブルと小刻みに振動している。

 それが止んだ瞬間。ゼリエスたち目掛けて触手が一本、槍の様に突き出された。槍というよりも、その太さと勢いはまるで破城槌の様だった。

 ゼリエスは咄嗟に大剣を盾にして防御するも、耐え切れずにそのまま後方の茂みまで押し飛ばされてしまう。

「うっげぇ!!」

 シュトラウスにも同様の攻撃が伸びていた。

 しかもそれを、シュトラウスは避けることができなかった。彼の背後には残骸が集められている。避けてしまえば、それが一気に吸収されてしまうからだ。

 だからシュトラウスは避けずに、剣と身体を使って強引に弾き返すように体当たりし、触手の軌道をずらした。その結果、自分は残骸の山に突っ込んでしまった。

「糞野郎……許さねえ……!」

 残骸に触らないよう、剣を杖代わりに使って器用に起き上がったシュトラウスは、悪態をつきながらスライムを睨んだ。

「ちぇぇぇぇい!!」

「くっ! 我々の剣では斬れぬっ!」

 ゼリエス側では同門の二人――ハモニとミストリが同時に斬撃を浴びせていた。

 しかし、更に太くなっている触手相手では、ロングソードに魔力強化が施されていようとも断ち切ることができない。

「こっちへっ!」

 シュトラウスが自分側の触手の追撃に備えていた時、茂みの中から声がかかった。

「守ってやるから出てこい! すぐ魔法をかけろ!」

 触手を打ち払いながら、シュトラウスは大声で指示を出す。

 それを聞いたドンストンは、慌てて茂みから飛び出てきた。

 触手は本数が減り、その代わりに太さと勢いが増している。だが、その方がシュトラウスは戦い易いと感じていた。その一番の理由は、前述した諸々の変化のせいではなく、別方向の敵を複数狙うことによって、触手攻撃にタイムラグのようなズレが生じていたからだ。更には、動きも単調になっている。

 といっても、その僅かな差を感じ取れる者は、この場に二人しかいない。

(空間知覚とかじゃないんだな。あ、そーいやさっきフラッシュ効いてたし、普通に視認してんのか)

「ヤドリキ・マ・リョーク<<宿りし魔力>>」

「よぉーし、よく頑張った! 休憩してていいぞ」

 プローフのショートソードを除いて、全員の武器に強化魔法を唱えていたドンストンは、魔法をかけ終わると同時にその場でへたばった。

 そこにシュトラウス狙いから急カーブした触手が迫る。まるで良い獲物を見つけたかのような、生き生きとした動きだ。

「おいおい、フェイントはもっと上手くやらなきゃなぁーあ!」

 シュトラウスは、スライムがドンストンを狙うだろうと予想していた。なので、それに備えて剣を両手持ちにし、振りかぶって待ち構えていた。

 全体重に加え、勢いを乗せた渾身の一撃が触手に振り下ろされる。そのギロチンの様な一撃は触手をキレイに両断し、斬られた先は弧を描きながら宙を舞った。

「援護!!」

 シュトラウスがドヤ顔で触手の三分の一を斬り裂いた時。スライムを挟んだ反対側では、ゼリエスが轟令と共に突貫していた。その姿勢は巨大な四足獣に見えるほど低く、まるで猪の猛進に似ていた。

 巨猪の淡く光る鉄色の牙が、大地を削るように迫る。そして、スライムの身体を思い切り突き上げた。

 一歩、更に一歩。ゼリエスは大地を踏みしめ、強く深く押していく。

 スライムはすぐさまゼリエス側の触手を手元に戻し、ゼリエス目掛けて振るう。だが――

「はぁぁぁぁ!!!!」

 決死の四連撃が、触手の軌道を大きく逸らす。ハモニとミストリが初太刀で触手先端を叩き落とし、二の太刀でフレットとウェリアが根本付近を圧し斬った。

 その間に、もう一歩。ゼリエスの切っ先が、遂にスライムのコアの防御膜に届いた。

 ゼリエスの踏み込みに危機を感じたのか、スライムは全ての触手を引っ込め、形体変化をしようとする。本体の体積を増し、そのままゼリエスを取り込もうという算段だ。

 その瞬間、スライムの上に丸い瓶がフワりと舞った。

 続いて、カシャァン! と甲高い音が森に響く。

 宙を舞う瓶は綺麗に射抜かれて、油とガラス片の雨となった。

 その降り注ぐ液体が何なのかも解らず、スライムは自分に刺さった大剣ごとゼリエスを呑み込むべく、大きく震えている。先程と同じく、大きな形体変化の予兆だ。

 スライムは自らの立てた算段通り、アメーバの様に広く伸展して獲物を取り込むと同時に、守りを固めようと考えていた。

「いきます! ライテル・テン・カリン<<輝ける陽光>> !!」

 フレットは大声を張り上げながら、ゼリエスに飛びつく勢いで広がりゆくスライムの中に飛び込み、眩い閃光を炸裂させた。

 広場が白く染まった。まるでそこに、小さな太陽があるかのような熱さえ感じる。

 その魔法によって、液体が一瞬にして炎に変わったことに驚き慄いたスライムは、のたうち回るように震え、伸展を繰り返す。それに合わせ炎は染み込み、勢いを増すばかりだ。

「よっしゃあ! 大成功だぜ!!」

 広場に油瓶とマッチを全て投入したプローフが勝鬨を上がる。

 次いでヤーデン、ドンストンと、歓声が伝播していく。

「やった! やりましたよ! 皆さん!!」

 ゼリエスに抱えられた状態で茂み近くまで退避していたフレットは、眼前で燃え盛り、悪臭と共に炭と化していくスライムを見て、勝利を確信した。

「ああ、見事な連携だった。ありがとう、みんな」

 ゼリエスは大剣を拾い上げ、刀身に付いた火とヘドロを払った後、口の端を波状にしながらそう言った。

 その視線は、喜びながら抱き合っている陽光のメンバーの微笑ましい姿から、ハモニ、ミストリの安堵した表情へと移っていく。そして最後に、周辺の木々を拾って焚き火を作っている男の方へと向けられた。

「あー、くっせぇくっせぇ。……ん? ははっ、ナイスナイス」

 シュトラウスはグニグニと燃え上がるスライム越しに、こちらに握り拳を突き上げているゼリエスの姿を見つけた。なので、それに応えてサムズアップする。その顔に、はにかんだ笑みを浮かべながら。

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