第10話



 フェインは今日も病院に来ていた。

 その名は、フランデル医院。イスアンデルで長年開業している、街医者だ。

 どのくらい長く居を構えているかは、所々劣化して薄く擦れたり、色褪せたりした壁や床を見れば分かる。それらの様子を見るに、院内のもの全てに年季が入っていると言っても過言ではなかった。フェインを除いて。

「せんせー、これはこっちですか?」

「ああ、そうじゃ。あと、それはそっちな」

 院内唯一の医師であるフランデルは書類仕事をしながら、フェインに空いている方の手で指示を出した。

 それを受けてフェインは、出しっぱなしにしてあった医療器具や資材をテキパキと整理整頓し、掃除もしている。

「あー、ええよええよ、そこまでせんでも。よっこいせ」

 フランデルは先程の患者のカルテを書き終え、立ち上がる。

「もうすぐ暗くなるから、今日はもう帰りなさい。おーい、メイラ! フェイン君の薬を持ってきてくれ!」

「はーい! ちょっと待ってくださいねー!」

 廊下を挟んだ奥の部屋から、女性の明るくて張りのある声が返ってきた。

「その……先生。薬のお金なんですけど……」

 凝った身体をほぐしているフランデルの背に向かって、フェインは申し訳なさそうに話しを切り出す。

「金? ああ、心配せんでええよ。あの冒険者からキッチリ貰っとるわい。どっこいしょ」

 フランデルはなんてことない様子で再び座って机にむかうと、カルテの整理を始める。

「え? だって、ここで働いてお金を稼げって……」

「なんじゃ、聞いとらんのか? 足りなくなったら、お前さんの給料から差っ引けって言っとったぞ?」

「シュトラウスさん……」

 フェインはその言葉を聞いて固まっていた。

 その脳裡には一緒に買い物をし、家事まで手伝ってくれたシュトラウスの笑顔が浮かんでいた。出発する前に「心配するな」と言って頭を撫でてくれた手の冷たさも、タバコの匂いも、頼もしい背中も。

「じゃから、お前さんはそんなこと気にせず、ここで元気に働いてくれとればいい。お前さんは物覚えが良いし、気が利くから助かっとるよ」

 フランデルが穏やかにそう言った時、診察室にフランデルと似たような白衣を着たショートヘアの女性が入ってきた。

「先生ー、薬、用意しましたよー。フェインくー……。先生! フェイン君泣かして! 何したんですか!」

「なにっ!? わしゃ何もしとらんぞ!」

 フランデルが驚きのあまり振り返ると、フェインが涙をポロポロ零していた。

 それを見た看護師のメイラが屈んで、フェインの頭を優しく撫でている様子は、確かに自分が何かしたように見える。そう思ったフランデルは、バツが悪そうな顔で白髪頭を掻いた。

「あー、フェイン! 男がいつまでも泣いてるんじゃない! 母親の病気は良くなる! 父親のことだって、あいつに任せておるんじゃろう?」

「うん……うん……!」

「先生、そんな言い方しかできないから子供に嫌われるんですよ」

「お前は黙っとれ! 嫌われてなどおらんわっ!」

 フランデルは唾が飛ぶ勢いで吠えた。

「自分でも気づいてないみたいだから、このおじいちゃんに何言われても気にしないであげてね。はい、お母さんのお薬」

 メイラは諭すように優しく、フランデルにもはっきりと聞こえるように言うと、薬の入った白い布袋をフェインに持たせた。

「……ありがとうございます。……ちゃんとします……!」

 フェインは涙を拭いた後、メイラから布袋をしっかりと受け取った。

「さ、ちゃんと気をつけて帰るんじゃぞ」

「はい……!」

 フェインはしっかりと頷き、二人に見送られながら廊下に出た。

 そのまま挨拶してから、真っすぐ玄関まで行こうと思ったフェインだが、迷うように何歩か歩いてから足を止めた。

「……僕は先生のこと、嫌いじゃないです」

 フェインが振り向いてそう言うと、フランデルはきょとんとした後、皺の深い顔を真っ赤にして大声を上げる。

「うるさい! さっさと帰らんかいっ!」

「今日もありがとうございました! 先生、メイラさん、また明日!」

 フェインは笑顔のまま、小走りで病院を後にした。

「まったく……! だから子供は嫌いなんじゃ……!」

 まだ顔を真っ赤にしながらフランデルは呟いた。

 院内にはその顔を見ながら愉快そうに笑うメイラの明るい声が、しばらく響き渡っていた。

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