第9話
3
シュトラウスは懐かしかった。
(あの時は雨宿りの最中だったか……)
シュトラウスはフェインの後ろ姿を見て、そう想った。
活気と喧騒に満ちた大通りを歩いてフェインの家に向かう道すがら、シュトラウスはいろいろな質問をフェインに投げかけていた。
それに対し、最初はしどろもどろ答えていたフェインだったが、シュトラウスが気楽に話しかけてくるからか、徐々に言葉数が増えていった。
「ハーシー……お前のパパは、どんな人だったんだ?」
「優しくて、怒ってるの見たことない、です」
「俺に無理に敬語は使わなくていいって。ママは?」
「お母さんも、優しいです。あ……えっと、料理が上手……」
「そっか。妹は? いくつ下だ?」
「僕が十歳だから、三つ下。エリサっていうんだけど、ちょっと人見知り? なんだ。でも、凄く良い子なんだよ」
「そうだな。今も一人でママの看病してんだもんな」
その言葉にフェインは「え?」という表情でシュトラウスを見上げている。
「俺はちょーっと耳が良いんだ。だから、おねーさんたちとの話しが聞こえちまったのさ」
「そうなんだ……」
そう答えたフェインの瞳には、尊敬に近いような不思議な感情が浮かんでいた。
「周りの……家族以外の大人とかは、どんな人たちなんだ? ほら、知り合いとかに聞いて、召会に来たんだろ?」
「みんな、良い人です。僕がお父さんを捜してるって言ったら、手伝ってくれたり、助けてくれたり……冒険者召会の人たちも、怖そうに見えたけど……みんな良い人でした」
「なるほどな……。……お前は疲れたりしてねぇか? 調子悪かったりするか?」
「……大丈夫」
「そっか……」
シュトラウスはフェインの歩幅に合わせ、かなりゆっくりと歩いていた。それを知ってか知らずか、フェインは少し早足でシュトラウスの前を歩こうとしている。
いち早く父親の話しを聞きたいためか、気を遣ってのことか。
疲れが滲み出て、目の下に少し隈が出ているフェインの顔を見つめながら、シュトラウスはそう思っていた。
「フェインはなんか好きなもんとかあるか? 何してて一番楽しい?」
「僕は……」
フェインは悩みながら前を向いた。
「友達とかと遊んだりしてて、なんか楽しい遊びとか……好きな子とかは?」
「……友達とか、あんまりいないんだ。だから、家でお母さんの手伝いしてることが多い」
「おぅ……そうか。偉いな」
「……お父さんがたまに持って帰ってきてた、いろんな数字とかが書いた紙を読んでもらうのが好きなんだ。数字とか文字とか見てると面白い」
「なるほど、そっち系か」
「あ、こっち。ここ曲がって、ちょっと行くと僕の家」
そう言うと、フェインは小走りで大通りから抜けた曲がり角まで駆けていく。
それにシュトラウスがのんびりついて行くと、フェインは民家が両脇に立ち並ぶ路地の突き当りまで走って向かっている。
民家も大通りの建物と同じく石材造りだが、二階建てのものが多く、そのほとんどに外階段が付いている。大きさはどの家も均等に作られており、日当たりも悪くない。
なので、路地の突き当りに合わせて建てられたような少し平らな一軒家は、他の家に比べて不格好に見えた。
フェインは一軒家に続く石段を登り、その不格好な家の前に立った。
「ただいま。エリサー」
フェインは鍵を開けると、妹を呼びながら奥の部屋に向かった。
「邪魔するぜーぃ」
続いて家に入ったシュトラウスは、室内をぼんやりと見つめる。
部屋の中央にある木のテーブルは立派だが、水が飛び散ったままの汚れた台所や、あちらこちらに動かされたままの木のイスが四つと、リビングは少し散らかっていた。
だが、家自体は壁や床などにひび割れなどない、しっかりとした石造建築だ。部屋はリビングに加え三部屋有り、広さも申し分ない。風呂とトイレもあるし、家具や食器などの日用品も揃っていることから、貧相な暮らしぶりではなさそうだ。
(妻が病気になって、今以上の金が必要になった……ってところか)
「ガイガーさん、妹です」
「……エリサです……」
奥の部屋からフェインに隠れるように一緒に出てきた、フェインを可愛らしい女の子にしたような三つ編みの少女は、か細い声でシュトラウスに挨拶した。
フェインもそうだが、エリサも同年代の子供に比べて少し瘦せている。心労に加え、ここ数週間まともな食事を摂っていないからだ。
「シュトラウスだ。よろしくな」
シュトラウスは右手を軽く上げ、ニッと笑って挨拶した。
「お前たちのパパについて話しがあって来たんだが……まず、ママはどんな具合だ?」
「お医者さんは珍しい病気って言ってた。お父さんも。でも、治らない病気じゃなくて、薬を飲んでれば良くなるって」
「そうか。ママは喋れるか?」
「……ちょっと待ってて」
エリサは静かに母親の許へ向かった。
話すなら三人いっぺんに話してやった方が良い。シュトラウスはそう考えていた。
「今は大丈夫」
エリサが奥の部屋――寝室から顔だけ出してそう言ったので、シュトラウスはフェインを促して寝室に入った。
そこには、フェインたちの母親がベッドの上で寝ていた。
母親はエリサが歳をとり、綺麗になったような顔をしているが、病気でやつれていることを除いても、薄幸そうに見える。
「ちょっと失礼するぜ、奥さん。あーあー、そのままでいいって。辛かったら声も出さなくていい」
「……すみません、ありがとうございます」
無理やり起き上がろうとしていた母親はシュトラウスの厚意に甘え、再び横になった。エリサはすかさず母親に布団を掛けなおしている。
「お前たちも座って、楽に聞いていいぞ。……さて、んじゃ軽く自己紹介からな。俺はシュトラウス・ガイガー。ハーシーの依頼を受けた冒険者だ」
シュトラウスはエリサがベッドとベッドの間に置いてある椅子に座った後、壁に寄りかかりながら話し始めた。
フェインもシュトラウスに座るよう促されていたが、彼は首を振り、立ったままシュトラウスの近くで話しを聞いている。
「ハーシーの依頼は護衛だった。モンスターとかからパパを守る、ってやつだ。……パパは何かを誰かに届けようとしてたみたいだが、残念ながら俺は詳しく知らねぇ。ハーシーはそこらへん、何か言ってたか?」
「ううん。お父さん、眼鏡を掛けた後の仕事は、何してるか話してくれなかった」
フェインの言葉に母親も頷いている。
「その、眼鏡を掛けた後ってのは、どーいう意味だ?」
「え? ……眼鏡を掛ける前は、いろいろな仕事をしてたんだ。目が悪いし、力もないから、って。でも、仕事で仲良くなった人に眼鏡を作ってもらってから、その人の仕事の手伝いをすることが増えたんだ。その仕事は難しいから、上手く説明できないって言ってた。でも、いろんな人と会う大事な仕事だ、って」
「なるほどなぁ」(そーいや、そうか。こっちじゃ金持ちが掛けてることが多いもんな)
シュトラウスは納得しながら頷いた。
「仲良くなった人、には会ったことないし、どこにいるかも分かんないよな?」
「……うん」
フェインは母親を見た後、暗い顔で答えた。
「そうか、参ったなぁ」
シュトラウスは腕を組み、しょうがない様子で呟いた。
「……ガイガーさん! 父さんを捜すの手伝ってください!」
「おいおい、冒険者は何でも屋さんじゃあねーんだぞ? それに、雇うってんなら金もかかるぞ?」
「……お金なら、必ずお支払いします。ですので、何卒……ご協力を……」
母親はエリサに支えられながら起き上がりつつ、両手を合わせて祈る様に懇願した。
「あのなぁ、ただでさえ病気を治すのに金がいるってーのに、それ以上をどうやって出すんだよ? 俺が悪い人だったら、どーする? 依頼を受けたふりして借金の形にフェインやエリサを連れて行くかもしれねーぞ?」
シュトラウスの言葉に母親は苦しそうに俯いた。
「僕が働いて絶対に返す! それに……おじさんは悪い人じゃないよ!」
フェインが母親の代わりに返事をした。その潤んだ眼に、強い意思を宿らせて。
シュトラウスはその答えに、頭を掻きながら苦笑いした。
「そーいう話しじゃねーんだが……あぁ、まぁ……そういう話しか。……よっし! あんまり病人イジメるのも趣味じゃねーし。受けてやるよ、その依頼!」
その言葉を聞き、ウェルス一家の顔が明るくなる。
「報酬は銅一枚。これはまぁ、追々でいいとして。お前たちに二つ約束してもらう。これが守れなきゃ俺は依頼を受けない」
シュトラウスは三人共頷いていることを確認した後、人差し指を立てながら話しを進める。
「一つ、俺に依頼できたことを運が良かった、と肝に銘じること。誰かが助けてくれるなんてことは滅多にない、ってちゃんと解ること。一つ、俺の言う事を聞くこと。この二つだ」
「その……言う事とは……?」
子供二人が頷く前に、母親は弱々しい声で質問した。
「一つ目はしっかり守れてるな。俺みたいな良い奴ばっかじゃないから、信用ならねぇ奴に何でも言う事を聞くって言っちまうと、酷いことになるからな。んで、俺のは命令とかじゃねぇし、聞きたくないと思ったら聞かなくていい。その代わり、そこで契約は終了だ」
「解りました……よろしくお願いします……!」
母親は弱々しくも決意を込めた返事をする。
「よし、じゃあ早速言う事を聞いてもらうか。まず、俺を呼ぶ時はシュトラウスさんか、おにいさんだ。んで、フェインは俺と買い物。エリサはママの看病。奥さんは……お名前は?」
「ああ、すみません……! ジュリアと申します」
「ジュリアか。良い名前だな。病院にはジュリアかハーシーの名前を出せば通じるか?」
「おそらく……。何度も診ていただいているので」
「なら話しは早いな。フェイン、病院の場所は分かるか?」
「うん。父さんと行ったことあるから」
「うし、じゃあ行くぞ」
シュトラウスはふわっと壁から離れると、フェインを手招いた。
「あー、ジュリアは寝てるように」
寝室から出た直後、シュトラウスは顔だけ戻して一言付け加えていった。
その後ろを、フェインがちょこちょことついていく。それを見送ったジュリアは、安心したように微笑んでいた。
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