第8話



 シュトラウスの勘は外れた。

 てっきりフードの男か、その手先が仕掛けてくると思っていたので、シュトラウスは馬車が到着した国境の街――ポートガルド――からイスアンデルに向かうふりをして野宿をし、誘い出されてくるのを待っていた。

 軽く食料と酒だけを買って、これ見よがしに焚き火もしていたのに、誰も何も現れない極々平和な夜だった。

(なんだよ……マジで来ねーな。見張られてる気配もねーしなぁ。……もう警戒しなくてもいいかぁ?)

 そう考えながら翌日の朝を迎え、日中に日陰を選んで歩き、そして夕暮れ。

 シュトラウスはポートガルドとイスアンデルの中間に位置する街、アンザスに入った。

 アンザスはスペントガルド領内で最も王都に近いため、華やかな賑わいに溢れた街だ。なので、そこにはシュトラウスが求めているものも、大いにある。

 アンザスに入った夜は、酒場で夜更けまで浴びるように酒を呑み、そこで知り合った常連客たちと一緒に煙草を自作しては、息つく間もない勢いで吸った。

 その翌日は昼過ぎまで眠り、起きては酒を呑み、少しふらつく足取りで賭博場に向かった。

 窓が少ないこともあるが、夕暮れ時に差し掛かる前にも関わらず、場内は薄暗い。更には、アルコールと香木が混じった淫靡な匂いが漂っている。

 その雰囲気にシュトラウスはニヤリとしながら、意気揚々と燭台が灯されているテーブルに着いた。

 プレトリット王国ではユーダーというカード賭博が流行っており、シュトラウスも当然嗜んでいる。その気配を察したディーラーは、シュトラウスを含めた三人の客に目配せした後、スムーズにカードとコインを配っていく。

 そうして始まった初戦の手札は良く、引きも良い。シュトラウスは周囲の様子見も兼ねて、掛け金を吊り上げることもせず大人しく勝ち、そのまま波に乗って連戦連勝。コインの山を築いていく。

 そこからシュトラウスは調子に乗って全額を突っ込んだ勝負を始める。それに周囲が委縮しはじめると途端に手が悪くなり、稼いだ小金がみるみる溶けていく。このままでは終われないシュトラウスは、自らの金を賭けた勝負に出る。負けたら一文無しになる、その土壇場。強運で最強の役を引き込んだシュトラウスは、それがバレないよう必死に演技をして勝利を掴み取った。そして、テーブルに山積みになったコインは、賭博場を出る頃に金貨へと姿を変えていた。

 それからシュトラウスは最高の気分で酒場に向かい、上機嫌で女たちに酒を奢り、万能感に酔いしれた。

 そして、ついてきた女を宿で抱き、そのまま夜を明かし、昼まで眠り――

 そんな生活は五日目で終わりを迎えた。言うまでもなく金が尽きたからだ。

(今回は払えたが……やべ)

 シュトラウスは銅貨が一枚しか残っていない財布を覗き込んでいた。

(あっっちゅーまに使っちまったな。まぁいいか)

 そう気楽に考えながら財布を閉じ、自作の葉巻をふかしながら、昼下がりの街中をぶらぶらと歩く。

 アンザスはイスアンデルに比べ、露店や行商人の数が多い。スペントガルド領の人々が王都に向かうには、ほぼ必ずと言っていいほどアンザスを経由する。そのため交通量も多く、交易が盛んになっているからだ。

 道路もしっかりと舗装されており、大通りはもちろん裏路地まで石畳や石垣で整地されていて、道幅も広い。その分、建物が少なめになっているが、それらの隙間に犇めくように、商人たちが思い思いの、色とりどりの商いをしている。さながら、巨大な市場で形成された街のようだ。

 歩いているだけで飽きないどころか、見て回るのに一日かかりそうな街を巡りながら、シュトラウスは目に付いた雑貨や軽食と水を買えるだけ買った。

(やっぱ、この街は楽しーな。……金がありゃあ。また今度来よ)

 シュトラウスは心の中でアンザスに別れを告げ、街道に続く道に出た。

(このまま歩いて行きゃあ、明日の朝には着くだろ)

 茜色に染まるなだらかな街道を散歩するように歩き、疲れたら見晴らしの良い丘で野宿をする。静寂と焚き火をツマミに酒を呑み、最後の一本となってしまった葉巻を吸う。吐いた煙がゆっくりと星空に昇ってゆくのを眺めながら、シュトラウスは夜旅を満喫した。

 そうして、のんびりと歩きながらイスアンデルへと戻ってきた。

「結局、ほとんど誰とも会わずに着いちまったなぁ」

 朝日が差し込む均整の取れた街並みを眺めながら、シュトラウスは雑貨屋で買ったランタンに話しかけた。夜道で人に遭った時に、これ見よがしに使おうかと思って購入したのだが、また当てが外れた。

「まぁいいか。オモムキがあるしな」

 白樺色の丸い木枠が付いた、鳥籠の様にも提灯の様にも見えるランタンは、剣の柄頭に吊るされて、こくこくと頷くように揺れている。

(さて……今から金受け取って、宿探してひと眠りして、夜は……って感じだな)

 シュトラウスはアンザスで一夜を共にした女性からプレゼントされた、臙脂色のベストを摩りながら、今後の予定を立てていた。その内ポケットには契約書が入っている。

 大雑把な流れを決めた後、大通りからイスンデルに入ったシュトラウスは、冒険者召会までゆらゆらと歩いていく。

 朝から活気が良いのは、この規模の街ならばどこも似通っている。だが、大通りに溢れてくる人の数と往来は、他を圧倒している。事実、早朝だというのにイスアンデルに向かう馬車とも何度かすれ違った。

 こう見ると、やはりイスアンデルはどこの街よりも人流が多く、栄えているとシュトラウスは思った。流石は城下町だ、と。

 スペントガルド領主が住まう城には、今シュトラウスが歩いている大通りから城門まで直通した道路――通称、城路――を真っすぐ行けば辿り着ける。ちなみに、城路まで出れば遠くに城が見える。

(城……ねぇ。そーいえば、ここの領主は権力振りかざすタイプじゃねぇな。こーやって交易とか商売に力を入れてるから、上手く発展してんのかね)

 シュトラウスはそんなことを考えながら、城まで続く長い道をぼんやりと眺めた後、大通りから一本外れた路地に入る。少しだけ薄暗くて土煙の立つその道を真っすぐ進むと、お目当ての冒険者召会への近道になるからだ。

(さて、ちゃんと報酬が貰えりゃいいが……)

 シュトラウスは一抹の不安を抱えながらアーチをくぐり、召会内へと入ってゆく。

「あ!」召会員はシュトラウスと目が合った瞬間、声をあげた。

「あ?」シュトラウスに心当たりはない。

 いや、そういえばこの前来た時より、随分身なりが整っている。それで自分をイイ男と再認識したのかもしれない。

 シュトラウスがそう思ってしまう通り、彼はアンザスで服を新調したおかげで前より羽振りが良く見える。臙脂色のベストの下も、皺が目立たない清潔感漂う白いシャツに変わり、濃紺色の長ズボンをスラッと履きこなす姿は、モデルの様にも見える。

 シュトラウスは微笑みながらごく自然に肩で風を切り、颯爽と受付カウンターまで歩いていく。そして、気さくに召会員に声をかけようとした、その時。

 召会員は受付の外まで出てきて、近くの冒険者たちに話しかけた。

「あの人がガイガーさんよ。今入ってきた、銀髪の」

「なんだい、俺がどうかしたのか……な?」

 受付近くに集まっていた女性冒険者たちの視線もあったため、少し気取った声で人だかりに声をかけたシュトラウスだったが、その中から最初に自分の方へ飛び出してきたのは、下の毛も生えていなさそうな少年だった。

「と……お父さんは……」

「お父さん……!?」

 シュトラウスは驚愕した。自分に子供がいるなど、ありえない。

(どこかの女が俺とのガキだと勘違いしやがったな!? くそっ! めんどくせぇ予感がしやがる!)

「お父さんを知りませんかっ!?」

「……なに?」

 話しが見えない。そう思い、思わずシュトラウスが目を細めると、少年はビクッとして怯えている。

 すると、それを見かねた女性陣が寄ってきた。

「ガイガーさん、ちょっといいですか?」

「ああ。……なんだよ、ありゃ」

 シュトラウスは召会員に受付まで連れられてきた。少年は少し離れて、テーブルの近くで女性冒険者たちと話しをしている。

「お訊きしたいんですが、あなたの依頼人のハーシー・ウェルスさん、今どちらにいらっしゃいますか?」

「ハーシー? ……知らねえな」

 そう言った後、シュトラウスは懐から封筒を取り出して、中の契約書を召会員に渡した。

「それを受け取ったっきり会ってねぇ。それで報酬は受け取れるんだろ?」

「そう……ですね」

 召会員は暗い顔をして、契約書の内容とサインを確認している。

「……なぁ、あいつの親父って……」

「……そうです。ハーシーさんのお子さんの、フェイン君です」

「そうか、そうきたか……」

「報酬金は今すぐ用意します。ですので、何でもいいですからハーシーさんを捜す手がかりになるようなこと、思い出してはもらえませんか?」

 召会員の縋るような上目遣いが、シュトラウスに刺さる。

「思い出す……ったってなぁ」

「お願いします!」

 そう言い残し、召会員は受付の裏へと入っていった。

(これはこれで……めんどくせぇことになったなぁ)

 シュトラウスは受付に肘をつきながら、横目でフェインの方を見た。フェインは女性冒険者たちに励ましの声をかけられながら、不安そうにこちらを見ている。

 すると、シュトラウスがフェインを見ていることに気づいたのか、女性冒険者たちからの視線も一身に受ける。

(まるで俺が悪ぃことしたみてーじゃねーか)

 バツが悪くなったシュトラウスは前を向いた。

 依頼書の束などが収納されている受付の棚の裏から、硬貨を木のトレーに置く音が小さく聞こえる。もうすぐ召会員が戻ってくるだろう。

(どーしたもんかなぁ……。覚えてねぇ、知らねえの一点張りでいい気もするが……なんだかなぁ)

 後方の話しを全て聞いてしまっていたシュトラウスは、どうにも心にモヤモヤしたものを抱いてしまった。

「お待たせしました。確認をお願いします」

「おう、大丈夫だ」

 シュトラウスは召会員から差し出された木のトレーの上に置かれた、銀貨三枚を確認した。その後、財布を取り出して銀貨をしまうかどうか、迷った。

「何か思い出せましたか?」

 固まっているシュトラウスに、召会員は不安気に訊いた。

「あー、まぁ……な。チラッと聞こえたんだが、あいつの母親、病気なのか?」

「……はい。今は妹さんが看病しているそうです」

「そうか……。はぁー、しょうがねぇな。任せろ」

 シュトラウスは心の靄を流し出すように深く息を吐いた後、暗い顔をした召会員に眉間に皺を寄せたまま笑いかけた。そして振り返り、こちらを見つめていたフェインと目を合わす。

「今からお前ん家に案内しろ。それが親父のことを話す条件だ」

 フェインの目は点になったが、すぐにコクコクと力強く頷いた。

「なぁ、やっぱこの報酬、もうちょっと預かっといてくれねーか?」

「え? どうしてですか?」

 シュトラウスの突然の申し出に、召会員は少し驚いた様子で聞き返す。

「ちょっと訳があってな。あの子、助けてあげたいんだろ?」

 シュトラウスにそう言われると、召会員は暗い顔のまま力強く頷く。

「よし! じゃあ、ちょっと行ってくるわ」

 そうして、笑顔を見せたシュトラウスはフェインと一緒に冒険者召会を後にした。

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