第5話



 シュトラウスは暇で死にそうだった。

 若葉色の二頭の馬は水を飲んだり草を食んだりして、自由に休憩している。

 御者はその近くで手綱を持って見守っている。シュトラウスと一緒に。

 草原の中を流れる、澄んだせせらぎ。その流れを見聞きして心を落ち着かせるなど、シュトラウスにはできない芸当だった。

 ガニ股で腰を下ろす、いわゆるヤンキー座りで川を眺めていたシュトラウスは、とうとう限界を迎えた。

「なぁ……なんか来たら絶対起きるからよ、荷台で寝かせてくれよ」

「駄目だ。何度も言わせるな。俺の目の届くところにいて、俺たちを護衛しろ」

「もぉいいだろぉ? 馬ちゃんたちは充分休憩したから荷台に繋いどいて、俺は寝る。あんたは御者台で座ってる。これでいこうぜ」

「駄目だ。それに、もう陽が沈んだ。より警戒する必要がある」

「警戒ったって、何が来んだよぉー」

 こうしてシュトラウスたちは押し問答を繰り返しながら、夕陽と星が同居する時間を過ごしていた。

「わかった! じゃあ……腕はどこで磨いたんだ? 元冒険者だったりするのか?」

「……やっぱりお前、判ってたのか。あいつも見る目があるじゃねぇか。……言えん」

「なんでだよ! 今、言う流れだったじゃねーか!」

「声を落とせ! もう夜なんだぞ。見つかりやすくなる」

「んだよ、ここにそんなおっかないモンスターなんて居ないだ……」

 シュトラウスは話すのを止めた。御者が自らの口に手を当て、「喋るな」のハンドサインを出しているからだ。

 御者が気づき、次いで馬も気づいた。暗闇に何か潜んでいることを。

「馬が驚いて逃げないように繋いどけ」

 シュトラウスの指示に御者は頷いた。どうやら、一人だけで逃げる気はないらしい。

(まぁ、まだ判かんねーが……。相手の数が少ないのにも気づいてるからか? しかも……モンスターじゃねぇな。人間か)

 相手は二人。一帯の草むらはシュトラウスの腰辺りまで青草が伸びており、よほど大柄な人間でなければ身を隠せる。その草むらの中、正面に一人。そして、背後の川岸に点在する大小様々な岩が作り出す、立体的な足場の岩陰に一人。シュトラウスたちから見て左だ。

(この距離でオッサンにもバレてるってことは、大した奴らじゃねぇな。他には……)

 シュトラウスは御者の動向にも注意しながら、もう一度五感を駆使して周辺を索敵する。

 岩場の陰に一人。砂利の音を上手く殺して動いている。

 川岸に接する草むらに一人。こちらも草むらを揺する音や、衣擦れを上手く消している。

(だが、草が不自然に揺れちまってるな。暗くなってるから気づかれないと思ってるんだろ。ちょっと甘いねぇ)

 右手に広がる草原、気配なし。

 俺たちが通ってきた獣道、その先の平地……草原……街道……気配なし。

 一応、川の中。気配なし。

(さて、どうすっかな。オッサンが馬繋いでも動く気配がねぇし。……隙を探ってるのか、様子を窺ってるのか、本隊を待ってるのか、か……。めんどくせぇな)

 シュトラウスはそう思い、無造作に御者に近づく。

「馬繋いだか? やっぱ気のせいだったわ。せっかく暇つぶしになるかと思ったのによぉ」

 シュトラウスの言動を咎めようと睨んでくる御者に、シュトラウスはポンポンと自分の胸を軽く叩き、「任せろ。合わせろ」とハンドサインを送る。

「んじゃ、俺は中にいるから、なんか来たら知らせてくれ。まぁ、来ねぇと思うがな」

「……勝手にしろ」

 二人はやや大きめなトーンで会話した後、御者は御者台に座り、シュトラウスは幌の中へと入った。

(抑えてたつもりっぽいが、殺気立ってたねぇ。おー、怖。……殺っちまうってことは、何が……誰が来るのか解ってんのか?)

 そう考えながら、シュトラウスは剣を片手に不審者たちを待っていた。だが、しばらくしても襲ってくる気配はない。

(隙を探ってる線は消えたか……)

 シュトラウスは、のそのそと御者台に顔を出す。

「おーい、なんか来たかー?」

「来ない……!」

 御者はシミだらけの顔に、鬼の形相を浮かべて答えた。

「おー、おっかねぇ。あちらさんにバレちまうぞ?」

「なぜ来ないんだ?」

「距離も詰めてこねぇし、まぁ……様子を探ってるだけか、本隊が来るのを待ってんのか……どっちかだろうな」

 シュトラウスが呟くように言うと、御者は後者の方に反応して顔色を変えた。

「こっちから仕掛けてみるか?」

 シュトラウスの提案に、御者は腰に佩いた剣をさすりながら黙って考え込んでいる。

 その様子を見ながらシュトラウスは大方、襲われた時のみ対応しろ、とフード男に言われているのだろうと予想していた。

「……いや……この状況で逃さずにやれるか……?」

「二人ぐらいなら余裕だったんだが……タイムアップだな」

「え?」御者が怪訝そうな声を出す。

「岩場の方。それと後ろの草むら。何人増えたかは判らねぇが、本隊が到着したっぽいな。たぶん囲まれてるぜ」

 岩場の方に二人。馬車後方の草むらに四人。元々いた二人を加えれば、計八人がシュトラウスたちを囲んでいた。

 シュトラウスはそれを正確に見抜いていたが、御者には告げずに質問する。

「どうする? やるか? 逃げるか?」

 御者は額に脂汗をかいて、必死に考えている。

 こんな大人数に襲われるとは聞いてなかったか、とシュトラウスは同情に似た視線を送った後、仕方ないので助け舟を出すことにした。

「俺に任せてくれれば、悪いようにはしないぜ?」

「……どうするつもりだ?」

「さっきと同じだ。とにかく俺に合わせりゃいい。上手くやれよ?」

 御者が返事をする間もなく、一人の男がシュトラウスたちの前に姿を現した。

 それに合わせ、シュトラウスも御者台からヒラリと飛び降りる。

 焦げ茶色のマントを羽織り、腰に剣を佩いた冒険者然とした男の姿が、シュトラウスの目にはくっきりと見えていた。

 だが、御者にはマントを着た人間ぐらいにしか見えていないので、いち早く剣を抜こうとしている。それをシュトラウスは片手で制止した。

「ここで何をしている?」

 男は距離を保ちつつ、固い声で問いかけてくる。

「待ち合わせだよ。そっちこそ、なにもんだよ?」

「ここの平穏を守っている者だ。待ち合わせと言うが、誰を待っているんだ?」

「旦那様、としか言えねぇよ。この辺りで何が起こってんのか知らねぇが、俺たちは無関係だと思うぜ?」

「何故そう言える? その旦那様とは誰だ? 今どこで何をしている?」

「俺たちは旦那様に雇われてるプレトリットの冒険者だ。今日は護衛として初めてここに連れられて来た。旦那様は逢引中だ」

「逢引? こんなところでか?」

「お前、それは言っちゃあならねぇぜ。人にはいろんな趣味や事情ってもんがあるんだよ」

「……」言わんとしていることが伝わったのか、男は苦い顔をしている。

「今度はこっちの番だな。俺たちが疑われたってことは、この周辺で良からぬことを企んでる連中がいるってことか?」

「……その通りだ」

「じゃあ、その話しを聞かせてくれねぇか? 事によっちゃあ、旦那様たちのお邪魔に行かなきゃならねえ」

「……」男は視線を泳がせ、どうするか考えている。

「なんなら、後ろの連中と相談してきてもいいぞ。あと七人いるだろ?」

 シュトラウスはダメ押しに、あっけらかんと男たちの人数を言い当てた。

「……気づいていたのか」

 男は驚いた様子でそう言うと、口笛を吹いた。

 その合図を受け、男の仲間たちが馬車の周囲から限りなく音を立てずに出てきた。

 その中でも特に音を立てずに現れた者は、人間ではなかった。シュトラウスがそちらに振り向くと、そこには全長三メートルは超えているであろう蜥蜴を二足歩行させ、人間の形体に近くしたような生物が立っていた。

「亜人との混成か。じゃあ、ユナイダムの奴らか?」

 シュトラウスの問いかけに男は答えない。彼は亜人の動向を気にしているようだ。

「別に怪しいもんなんて載ってねぇだろ? 俺の荷物が転がってるだけだ。中も見ていいぞ」

 シュトラウスは後ろの亜人に良く聞こえるよう、大きめに声を出した。

 すると、すぐに馬車の後方から亜人がシュトラウスたちに近づいてきた。

「彼の言っていることは本当だ。不審な物は見られない」

 蜥蜴の様な亜人――ザルド人――の彼は、深緑色の鱗でも隠し切れない筋骨隆々の体躯に良く似合う、重く低い声で告げた。

「そうですか……分かりました」

 男は息を短く吐くと、態度と表情を和らげた。

「念のため、証を見せてもらっても?」

「おう。……そっちも、ちゃんと光ってんな」

 シュトラウスが首から下げた冒険者証を握った時、男も冒険者証を掲げていた。互いの冒険者証が暗闇に揺れる蛍の光のように明滅している。

「尋問のような真似をしてしまい、申し訳ありませんでした」

 冒険者同士の確認をした男は、申し訳なさそうに話しながら互いの顔が見えるくらいの距離まで近づいてきた。

 男は端正で裕福そうな顔立ちに金髪碧眼だったので、一見するとプレトリット人の貴族のようにも見える。

「内容が内容だけに、簡単に警戒を解くことができなかったもので……」

「構わねぇよ。それより、その内容ってやつを聞きてぇんだが」

 シュトラウスの問いに、男は周囲から近づいてきた仲間たちにアイコンタクトを取ってから答えた。

「はい、わかりました。まず、あなたの言う通り、私たちはユナイダムから来た冒険者部隊です。標的は――」

 そう言って男――フレットは事情を話し始めた。

 少し前からボルダ山周辺にアンデッドが出現するようになってしまったので、フレットたちはその討伐任務を引き受け、捜索にあたっていた。

 アンデッドとは生者を憎み、その生を奪い取ろうとする醜悪なモンスターだ。なので、出現報告があったら冒険者召会に即座に討伐依頼が出される。

 ユナイダム連合王国はボルダ山を挟んで、プレトリットの丁度反対側にある人間種主体の国家だ。そのため、放っておけば国内への被害が出ることを考慮したユナイダム側は、迅速に対処するべく二組計八人の銅等級冒険者部隊を派遣した。

「――という訳で、警戒態勢で声をかけたんです。もしかしたらアンデッドを発生させている人物がいるかもしれない、という可能性もあったので」

「なるほどねぇ……」

 シュトラウスはもう一度、それとなく御者を見た。その表情は変わらず、初めて聞いたような顔で眉間に皺を寄せている。

「ちょっと二人で話してぇから、馬車の護衛を任せてもいいか?」

「ええ、構いませんよ。私たちも今後の相談をしたいので」

「悪ぃな。じゃあ、ちょっと頼むぜ」

 シュトラウスは渋々同意した御者を連れ、見晴らしの良い河原の方まで移動した。

「本当に馬車は大丈夫なのか?」

「大丈夫だよ! あの人数が乗るかよ! それよりも、だ。俺たちの旦那様を助けに行くかどうかが問題だ。お前、旦那様になんて言われてる?」

 シュトラウスは徐々に声のトーンを落としながら御者に訊いた。

「……ダンナには、戻って来るまで動かないことと、怪しいものが近づいてきたら殺れ、と言われている」

「他は? アンデッドとかモンスターのこととか聞いてたか?」

「何も聞いてない。アンデッドなんか、冗談じゃねえぞ……」

 しわくちゃな顔が不快そうに歪んでいるのを見る限り、御者は嘘をついていないだろう、とシュトラウスは判断した。

(この分だと、フード男が何をしに行ったかも聞かされてねぇな。となると……)

「んじゃ、もうちょっと待ってみるか」

「もうちょっとって、なんだよ?」

「旦那様が戻ってくるか、アンデッドか何かが出てくるまでだよ」

「……そう、だな。それがいい」

 御者は納得したように、うんうん頷いている。

「よし、決まりだな」

 面倒事には巻き込まれない方がいい。そう結論を出した二人は、馬車に戻った。

「ん? どした?」

「何かがこちらに近づいてきてます。……一体です」

 シュトラウスの問いに、フレットは早口で答えた。

 それに軽く頷き、馬車の側に付いたシュトラウスは、自分でも探ってみる。

(……一人なのは間違いねぇが、どういうことだ……?)

 このタイミングで戻ってきてしまうと少し面倒だと思っていたシュトラウスだが、それよりも一人で戻ってきていることに気が取られた。

「人間だ」

 ザルドの亜人が短く報せる。それを聞き、フレットの仲間たちは互いに間を空け、陣形を取ろうとしている。

「……っと、いけねぇ。待ってくれ、大丈夫だ。任せてくれ」

 向こうも警戒して近づいてきている。下手にぶつかる前にシュトラウスは歩み出た。

「俺だ! 大丈夫だ! 今、他の冒険者と一緒にいるんだ」

 シュトラウスはフードの男に見えるように軽く手を振りながら、草むらを掻き分け近づいていく。

「どういうことだ? 何故、冒険者がここにいる?」

「俺もお前に訊きてぇことがある。だが、まずは俺の話しに合わせて冒険者たちと話せ。お前は俺たちのご主人様だ。いいな?」

「……どういうことだ?」

 シュトラウスの話しを聞いた男は、フードを被っているにも関わらず、明らかに困惑した雰囲気を出していた。

「冒険者たちに深く詮索されたい、ってんなら俺は口を挟まねぇで聞いてるが?」

「……分かった。お前たちの話しに合わせる」

 フードの男は空気を読み、口裏を合わせることにした。

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