第2話
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朝の日差しが鬱陶しくて、シュトラウスは目が覚めた。
(こいつ、カーテン引っ張りやがったな)
シュトラウスは隣で気持ち良さそうに眠る女性の手足を睨む。ブランケットからはみ出た、小麦色に日焼けた細長い右手足を。
(ったく……しょーがねぇな)
シュトラウスは心の中で悪態をつきながら、音を立てずに粗雑なベッドから立ち上がった。
自分側にずれていたブランケットを女性に掛けなおし、床に投げ捨ててあった女性の下着を静かにベッドへと拾い集める。そして最後に、忌々しげにカーテンをゆっくり閉めた。
シュトラウスは裸体のまま、小汚くて薄暗い部屋の真ん中辺りに置かれた丸い木のテーブルに近づく。多少のささくれが目立つ天板の上には三本の酒瓶が転がっているが、どれも空だ。残っていたら先にそれを飲んでしまおうと思っていたが、空になっていることが判ったので、今度は床に無造作に置いてある自分のナップザックに近づき、中を漁り始める。
そこから取り出したのは、鉄製の水筒だった。上部がネジ式に回り、蓋が分離する仕組みの物で、シュトラウスも当然のように蓋をコップ代わりに使おうとしている。だが、いくら傾けても中身は出てこない。
「ちっ」シュトラウスは軽く舌打ちをした。
(煙草は……、……煙草も昨日ので終いか。調子こいて、何本もやっちまったからなぁ。……仕方ねぇ、何か買ってくるか。……あ?)
シュトラウスは何の気なしに財布の紐を解いたのだが、そこにあるはずのものが無い。思わず横目で寝ている女性を睨むが、すぐにそうではないことに気づいた。
心のどこかで解っていたからこそ、買い物に行く前に中を確認していたのだ。全財産が銅貨一枚しか残っていない、ということを。
(ここの宿代が確か……銅貨二枚……だろ? 酒代は全部出したから……マジか)
一枚の銅貨と暗い財布の底を見つめながら、シュトラウスはボーっとする頭を回転させた。そうすればするほど、冷や汗も排出されてくる。
(今日の宿代、全部出せねぇのか! ……こりゃ、やっちまったな……)
シュトラウスは女性にお金を払わせることと、貸しを作ることを嫌う。今の状況は、その両方を満たしてしまっていた。
二日酔いとは違う気持ち悪さを味わった朝は数年ぶりだ。そう感じながら、シュトラウスは床に散乱していた服を着ていく。
白というより鼠色に近い、皺の目立つシャツ。紺色のズボンには解れや小さな穴が開いている。それらと同様に下着も粗雑な布で、下着姿でいるくらいなら全裸の方が良く見える。
というのも、シュトラウスは銀髪碧眼で彫りの深い顔立ちをしており、長身かつ筋肉質で見栄えの良い肉体を誇る。なので、粗末な服を着るくらいなら、裸の方がヨーロッパの彫刻の様で絵になる。
最低限の身なりを整えたシュトラウスは、ナップザックの横に立てかけてある剣を取ろうとした。だが、ふと何かを考え、手を止める。
(まぁ……半々だし、すぐさま稼いでこなくてもいいか)
そう思いなおしたシュトラウスは、木のテーブルの上の酒瓶を綺麗に立てて並べ始める。そして、テーブルの中央に銅貨を一枚置いた。
(悪ぃな。今度逢ったら何か奢ってやるから、勘弁してくれ)
シュトラウスは女性の気持ち良さそうな寝顔を眺めながら、心の中で詫びる。
その後、荷物をまとめたシュトラウスは、静かに部屋を去っていった。
(どうしたら楽に金稼げるかなぁー)
シュトラウスは宿屋から出たところで、伸びをしながら考えていた。
眼前に映るのは、朝の眩しい日差しを受け、人々の往来が盛んになった活気の良い街。
通りは石畳が整然と敷かれて舗装されており、そこに並ぶ建物も石材造りの物が多く見られる。そんな中世ヨーロッパの街並みを思わせる大通りは、仕事を始めた快活な人々の往来や声で溢れていた。
シュトラウスはその様子を眺めながら、怠そうに歩き始めた。
通りの左右に並ぶ店は、八百屋や肉屋といった食料品店をはじめ、日用品を取り揃えている雑貨屋や服屋が多い。そこにちらほらと武具、道具屋が並んでいる。やはり、物を売る商売が一番多い。
いくつか露店も見かけるが、この街は店を構えているところが大多数だった。
(何度か行商人やったことあるが……上手くいかなかったな。客のニーズが分からねぇし、分かる酒とかやろうもんなら、俺が飲みたくなっちまうし)
行商人はそういった、しょうもない理由で却下していた。
他には、裁縫屋、加工屋、大工、鍛冶屋といった職種が目に付く。
(手に職つけるのも悪かねぇ。が……根無し草の俺には却下だ)
シュトラウスが最も長く街に滞在する場合。それは今回のように放蕩暮らしに明け暮れる時のみだった。
(あとは……流れの医者、薬師、錬金術師……吟遊詩人? ははっ、どれもむいてねぇ。……魔術師は重宝されるし儲けも良いが……論外だな)
大通りに等間隔に設置された街灯に目を向けながら、そんなことを考えていたシュトラウスは、大通りを外れて日当たりの悪い裏通りに入った。
シュトラウスは所々凸凹になった石畳の道をふらふらと歩いているが、向かう先は決まっているような足取りだ。そうして迷うことなく辿り着いた先には、黒漆喰が目印の厳かな施設が建っていた。
(てなると、やっぱこれしかねぇよな)
その施設の名は、冒険者召会スペントガルド支部。
冒険者召会とは、人々を守るためにモンスターなどを狩るといった、狩猟や傭兵活動を生業とする冒険者を取りまとめる組織である。
業務内容は依頼の請負、報酬額の設定、冒険者の派遣指示や補助などを行っている。
そしてここは、プレトリット王国スペントガルド領内唯一の冒険者召会だ。領内の冒険者関連の依頼は、ここが一手に引き受け、取り仕切っている。
シュトラウスは扉の付いていないアーチ状の入り口から、慣れ親しい様子でその中へと入ってゆく。
窓から差し込む陽の光以外に、黒漆喰の広い内壁を照らしているのは、天井から吊るされた発光石の燭台の白い灯り。それと共に室内を満たすのは、香木の香りと僅かに混じった鉄の匂いと、外とは違う少し張り詰めた空気。
内装は食堂に似ていて、丸や四角の木のテーブルとイスが数脚ある。それらが間隔を空け、疎らに配置されている。どこの召会でもよく見かける、ありふれた環境だ。
そこに座る、剣や槍、軽鎧などで武装した男たちを見かけるのもここでは当然の光景だが、シュトラウスにはなんだか懐かしく感じた。
そんな自分を怪訝な表情で見る周囲の目は気にせず、シュトラウスは肩に剣を担ぎ、そこに薄汚れたナップザックを引っ掛けた状態のまま、受付横の大きなコルクボードの前まで真っすぐ歩いていく。
よく磨かれた乳白色の石の台が天板となったカウンターが受付になっており、各種書類の見本がペーパーホルダーに挟まれ、要件毎に整理整頓されて置かれている。そして、その書類が貼られている受付横の大きなコルクボードが依頼掲示板だ。
(どれどれ、一番金になるのは……)
報酬金額のみを確認しながら、シュトラウスは掲示板を眺めていた。すると、横――受付カウンター側から気まずそうな女性の声が聞こえてくる。
「あ、あの……すみません、冒険者志望の方ですか?」
「ん? 俺は冒険者だぞ? ……あぁ!」
シュトラウスは何故そんなことを訊かれたのかすぐに気づき、担いでいた剣を下ろしてナップザックの中身を漁り始めた。
「ちょっと待てよ……。……え? ……やべ、失くしたか……? あぁ! あったあった! 偉いぞ、俺!」
シュトラウスは独り言を言いながらナップザックを引っ掻き回した末、財布と同様に薄汚く見える茶色の小包を取り出した。
「これに入れといたんだよなー。ほら!」
摘まみ出したもの、それは銅色のプレートだった。小さくシュトラウスの名前も刻んであるので、ドッグタグの様にも見える。
「わぁってるよ! ほれ」
シュトラウスは少しジト目でプレートを見つめている召会員の女性に近寄り、プレートを眼前に持っていった。それに合わせ、プレートも淡く光っている。
「あ……失礼しました、疑ってしまって」
銅色のプレートこと、冒険者証。これは冒険者召会に所属している者の証である。
これには偽造・盗難防止のための魔法細工が施されており、名前を刻んだ本人が意思を持って握ると発光するようになっている。
その他には救難信号の送受信や、功績を確認する機能などが内蔵されている。
ちなみに階級は一目で判るように、使用された鉱石の価値順で五段階に分けられている。上から、金、銀、銅、鉄、石、の順だ。
「丁度良いや。来てる依頼の中で、金が一番高いのってどれ?」
「今は掲示板に貼ってあるもので全てですので、内容共々ご確認下さい」
「こっからイチイチ探すのめんどくせぇよ。なんかないの? オススメクエスト」
冒険者証を目の前に持っていった時のキョトンとした仕草が可愛かったので、シュトラウスは召会員に絡んだ。整った品のある顔立ちに、セミショートのボブヘアが良く似合っている。少し細身だがスタイルも良い。上半身だけしか見えないが、数々の女性を相手にしてきたシュトラウスには判る。
召会員の方は冒険者に絡まれることなど日常茶飯事なので、軽くあしらいたいが、シュトラウスは銅等級冒険者なので無下に扱うこともできない。
「銅等級以上の方が受ける依頼でしたら今は出ていないと思いますので、それ以外の……魔物を討伐した数に応じた、出来高制の依頼が来ていたと思いますが」
「雑魚を何体も狩るのなんか、かったるいよー。報酬が良いのを寄こしてくれたら、君に何か奢ってあげられるんだけどなぁ」
受付カウンターに両肘をつきながら絡んでくるシュトラウスに、明らかにめんどくさそうな笑みをしながら答える召会員。
その会話に、一人の男性が混ざってきた。
「お金になる依頼をお探しですか?」
シュトラウスが声に反応して振り向くと、そこには丸眼鏡を掛けた細身の男性が立っていた。それ以外に特徴はない、どこにでもいる金髪碧眼のプレトリット人だ。
召会員だったら本紫色のシャツに濃紺色のズボンという制服姿なので、男は何かの依頼をしに来たのだろうとシュトラウスは予想した。
「おう、できれば楽なやつがいいな」
「それは丁度良い。今、まさに出そうとしていたんですよ。楽にお金が稼げる依頼を」
男は優しそうに微笑みながら、そう言った。
「馬車の護衛を冒険者さんにお願いしたいんです。といっても危険な魔物がいる場所に行くわけではなく、どちらかというと野党などに襲われた時のため、という意味合いが強いと思われます」
「その、思われますっていうのは? あんたが依頼主じゃないのか?」
「あ、すみません。私は雇い主から依頼を出してくるように言われた、小間使いのような者ですので……」
不思議そうに訊いてきたシュトラウスに、依頼人は苦笑いを浮かべて答えた。
「ふぅん、そっか。で、報酬は?」
「前金で銀――」
「ストップ! ……まず、この紙に書こうか」
シュトラウスは周囲の視線を気にしつつ、依頼人に依頼用紙を差し出した。
それに少し驚いた様子で、依頼人は記入し始める。
「んー、綺麗な字だな。いいよ、まず報酬金額から書こうか。……! 受ける! 引き受けようじゃあないか。この銅等級冒険者、シュトラウス・ガイガーが」
シュトラウスはニヤニヤしながら依頼人の肩を組んで、大仰な口ぶりでそう宣言した。
その二人の様子を、召会員は不審そうな眼でじっと見ていた。
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