「シュトラウス・ガイガー」の冒険

九十九一書

第1話

一節




 男は溜め息を吐いた。

「おーおー、派手に暴れちゃって、まぁ……」

 星明りに照らされた眼前に広がるは、夥しい数の人間の死体。折れた鉄製の剣や槍。至る所に突き刺さり、散らばった矢弾。薙ぎ倒された幾本もの樹木。所々焦げつき、黒く炭化した草花や大地。大地に至っては抉り取られた跡もあり、砂色に雑じって赤茶色の土が肉片のように露出している。

 人気の多い村から程近い平和な森林は、今まさに戦場と化していた。

「グルオォォォォッ!!」

 そこには、圧倒的な力の塊が居た。冒険者と呼ばれる、モンスター退治の専門家が束になっても討伐できない存在が。

 その存在――超級のモンスターは口にぶら下がっていた肉片と布切れを、咆哮と共に地面に振るい捨てた。

「ったく、元居た場所に居りゃいいものを……」

 男は周囲を確認しながら充分に動ける場所まで歩み出て、ゆっくりと剣を構える。なんてことはない、右手で持っている剣――ロングソード――を軽く前に出しただけの、よく見かける自然な構えだ。

 それに対し、モンスターはその体躯に見合った低く重い唸り声を上げ、威嚇する。ここはもう俺の場所だ、と言わんばかりに。

「……ギャラリーは誰もいなそうだな」

 男がもう一度周囲に注意を向ける。それが合図となった。

 その巨躯からは想像がつかないほど、スムーズかつ静かな突進。それにより、モンスターは男との距離を一挙に縮める。

 男はその動作に目を見開き、剣をレイピアの様に水平に構えなおした。

 その動きの意図を読んでか、モンスターは大タル程の頭に生えた立派な二本角で男の剣を巧みにいなし、彼方へと思い切り弾き飛ばした。

「これだからべヒモアはよぉ!」

 男は悪態をついて、モンスターの間合いから飛び退いた。

 ベヒモア。それが平和な森を地獄に変えたモンスターの名だった。

 全長五メートルは超えるであろう巨大な体躯。それを支えるに足るは、筋骨隆々の四肢。そこに深々と生える灰色の毛並みと、頭部から背中に亘って聳え立つ逆立った黒い鬣。その鬣からのぞくは、二本の立派な黄色い角。それと同じくらい鋭い眼光は、血に飢えたように赤く爛々と輝き、裂けるように広がった口には鋭利そうな牙が獲物を引き裂かんと並んでいる。

 その顔、その姿はまさに魔獣そのものだ。

 あまりに危険なため、冒険者召会と呼ばれる冒険者たちのギルドでは、上から二番目に危険な銀等級の魔獣として位置付けられてる。

 そして、男が相対するベヒモアは魔獣に相応しく知能も高い。先ほどの一連の流れも、冒険者と幾度となく戦闘を繰り返して学んだ動きだった。

 距離を取ろうとする男に対し、ベヒモアは逃がすまいと、更に一歩踏み込む。敵を仕留めるべく踏み出された右前肢が、大地を揺らさんばかりの轟音を立てた。

 相手が引いた時、自分の追撃は当たる。

 ベヒモアは学習していた。更には、己の力を強く振るえば振るうほど、脆弱な存在の命を掻き消せるということも。

 命を狩り取る左前肢。それは空間ごと切り裂くような風切り音と共に振るわれ、男にとって死神の鎌の一振りとなる――

 その瞬間。

 ガラスか結晶が割れるような、甲高い音が森に鳴り響いた。

 ベヒモアは動きを止め、困惑の色を隠せない瞳で自身の左前肢を見つめる。

 氷の結晶が砕けて、パラパラと小さな破片が地面に落ちる音は、そこからしていた。その、凍りついて破砕した左前肢から。

「痛かねぇだろ? ちょっと冷てぇかもしれねーけど」

 男は左掌をベヒモアに向けながら、気軽に話しかけた。その掌の先には、血の様に紅い魔法陣が展開されている。

 その光を見たベヒモアは低く唸りながら、じりじりと後ずさっていく。

 どんな攻撃を受けたか解らないが、人間でいう肘から先の腕が凍らされ、粉々に砕かれた。

 そして、目の前の人間の気配が変わっている。自分たちと同じ色の瞳で、こちらを刺すように見つめている。

 それらの事実に恐れを抱いたベヒモアは、毛を逆立たせながら後退を余儀なくされていた。

「吠えて逃げるかと思ったが、流石だな。まぁ……お互い様っつーことで」

 男は言い終えると同時に、左手の魔法陣をベヒモアの方へと向けた。その直後、魔法陣から閃光の様な光が放たれる。

 それにベヒモアが反応し、低く身構えた瞬間。

 ベヒモアの思考が、動きが、その周囲が凍りついた。

 ベヒモアを中心とした六メートル四方の空間が、氷結して一つの四角い塊と化している。

 その氷の棺桶に捕らわれたベヒモアは、一瞬で氷像の様な姿と成り果ててしまっていた。

 それにより、今までの冷たく張り詰めていた戦場の空気は、物理的な寒さと静寂に変わって森に伝わっていく。

「……じゃーな」

 男は短く宣言し、左手を握る。

 展開していた魔法陣はそれに合わせて砕けたと同時に、氷像の中心に大きな亀裂が走った。まるで巨大な杭を打ちつけたかのような亀裂は、一瞬で氷像全体に迸る。

 そうして、甲高い破砕音と共に氷像は粉々に崩れてしまった。

 それが星々から差す淡い光を乱反射させ、輝きながら森に散っていく様は、どこか幻想的で美しく見える。その中にベヒモアの姿がなければ、だが。

「ふーっ。……久々に使うとしんどいな。……まぁ、ちょうどいいか」

 静寂に戻った森の中、自分だけが残ったことを確認しながら、男は気怠げにそう言った。

「このまま戻れば大金ガッポリなんだが……しょーがねーよなぁー」

 男は名残惜し気にベヒモアの破片を見ていたが、やがて諦めたようにトボトボと自分の荷物を取りに向かった。

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