サイコメトラー2
幼い頃から、攻撃されて傷ついた人より、困っている人になにか手助けできる人間になりたいと思っていた。
簡単に言えば、敵に誘拐されて監禁を受けるヒロインを救う仮面ライダーより、お腹を空かせて泣いている見ず知らずの生物に自分の顔を差し出すアンパンマンになりたいということだ。前者と後者は似ているようではっきりと違うのだと大地は考えている。
そのため小さいころの夢はアンパンマンだったが、紆余曲折あってどうしてもアンパンマンは断念しなければいけなかった。大地の目指すアンパンマンは、職業として「アンパンマン」をしなくてもできると気がついたためでもある。そして17歳の今は国立文系から公務員を目指す高校生だ。
実はアンパンマンを諦めたのは大地にとっては本当に最近で、具体的に言えば高校入試の試験日だった。大地の住む都道府県の高校入試は、基本的に出願する高校に直接出向いて一斉に試験を受けるしくみである。
そしてそういった受験生にとっては一種のモチベーションに繋がりそうな受験のしくみが唯一災いとなって降りかかるのが、県立山村高校だ。
先輩に聞いた話だが、大地の志望校である山村高校の教室棟の時計は一年度に一度、それはもう恐ろしい狂い方をするのだという。何度新しい時計に替えても、電波時計にしても、電子時計にしても無駄だったそうだ。そして今年は、年度末である三月初旬の現在でも、一年間生徒や教師の誰もキモい狂い方をした時計を見ていない。だから受験生は必ず自分の時計を持ってくるように指示を受ける。
やべ〜、どこにしまったっけ。
緊張からか、ふと持ち物確認をしようと山村高校がてっぺんにある上り坂の入口でリュックサックをあさると、どうにも時計が見当たらない。あれがないと、今日がそのXデーだったときに太刀打ちできなくなってしまう。
メインの収納場所、ない。
サイドのポケット二個、ない。
サブの収納場所、ない。
鍵を入れてる薄い収納場所、ない。
筆箱の中身を取り出しても、財布の中を見ても無かった。
よりにもよって今日やらかすかね。
平静を装っても小刻みに手が震え出していた。基本的に中期や後期のないこの県で、受験する高校をこの県立高校一本に絞っていたためでもある。アテや中卒じゃないと叶わない夢のないまま、中卒になってしまう可能性も大いにある。そしたら後期募集をかける私立...いっそ通信制の高校で勉強するのも良い。まあ別に、死にはしない。「死ぬこと以外かすり傷」理論でいけば、3年間を予期せぬ場所で過ごすことは両足の複雑骨折くらいに留まるはずだ。
逆にこれ以上のこと、つまり時計が狂うようなことはないという神のお告げだろうと逸る心臓に言い聞かせる。ワンチャンを信じて山村高校の入試の本部である会議室に立ち寄って事情を説明しても良い。
もはや諦めもついて登り始めた坂の三分の一ほどに差し掛かったその時、ぜえはあという受験の朝には滅多に聞かないであろう吐息とともに、大地はカバオくんにされてしまった。
「はぁ、時計、ですよね。僕の使いますか?」
背の低い...ハンドボール部でも高身長なほうの大地から見た値だからそんなことはないかもしれないが、第一中の制服を着た男子生徒に声をかけられた。真顔でまじめにしていれば、キレてんじゃねえよと顧問にキレられる大地とは違い、いかにもヤマコー(山村高校の略称である)を受けそうな雰囲気だった。G-SHOCKの、大地が持っていたものと色違いの腕時計を差し出される。
「や、さすがに借りれねえっすよ。だって予備ないでしょ?」
おひとよしにも程があるだろと心の中でこっそり付け足した。
「僕は実は腹時計が完璧でッ!だから時計とか正直あってもなくても同じなんですよね!じゃあ、入学説明会で会おうね!」
ギクリと体が固まり、続いて何かを一生懸命考えて顔が赤くなる。そして天啓を受けたとでもいうようにそれらの挙動不審がふきとんだようにそうまくし立てられる。ぐいと押し付けられた時計に圧倒されていると、男はさっさと登り坂を上ってしまっていた。大地の呼び掛けを一切無視して。
自分でやらかしたことを助けてくれた相手に失礼な感想ではあるが、竜巻に遭った気分だった。そして話している最中、遭遇したことのない人種を目の当たりにしたせいでじっと男の顔を見つめていたが、一度も目が合わないままだった。何となく、それがなんだか惜しかった。
自業自得で困っていた人にも親切にできる、まさに大地の理想であるアンパンマンだった。自宅で家族にその出来事を報告すれば、母には「信じらんない。時計は返したの」と責められ、妹は「アンパンマンってより超能力者じゃん」と勝手にサイコメトラー先生とあだ名をつけられていた。妙に語感が良かったので、大地もアンパンマンはやめて密かにサイコメトラー先生と呼び改めた。
そして同時にアンパンマンは職業ではないと気がついてしまったわけだ。
そしてサイコメトラー先生との再会は、そこから一年後となる二年生の四月だった。
生徒同士がうっすらと顔見知りになってきた頃で、性格や気質で入学時より簡単に友人ができる。真面目な優等生であったサイコメトラー先生は、あまり友達が多いタイプではないようだった。いつか話しかけようと機会を伺っていてもなかなか捕まらない。登下校は直行直帰、昼食は自分の友人に捕まってしまうし、そもそも二年にもなって「入試の時さ...」と話を持ち出して良いものなのか。
なんとか三年になる前には声をかけねばと機会を伺い続けると、突然その機会というものはやってきた。
二年の秋、シャトルランをする日を選んで神が用意したとしか思えない好機にらしくもなく緊張していた。
絶対に、忘れてきている。
ちらりとサイコメトラー先生もとい山口颯太に視線を寄越すと、制服姿のまま硬直していた。何事もありませんよといったすまし顔のままブレザーを脱ぎネクタイを外すも、それからできることは何もない。
ここで自分は行かねば誰が行くのだと考えてもなかなか勇気が出なかった。普段は見ず知らずの女子に貸すこともできるし、なんならそのために毎回持ち帰って洗濯してもらっているが、相手がサイコメトラー先生となるとやはり違うものか。
「お前おせーよ」とどつかれたが先に行くように言い、ついに男子更衣室に山口颯太と二人だけになっていた。
結果として、ジャージを貸すことには成功した。何を着たいかと問えば遠慮するだろうと思い、今日はシャトルランだから問答無用で半袖短パンをぶん投げた。
「え...え...?」と困惑した様子だが、返されては溜まったものではないのでさっさと着替えて大股で更衣室を後にする。
チャイムが鳴ってから列の一番後ろを見ると大地が無理やり貸したジャージを着ている山口颯太がいたので気分は良かった。借りを返せたからだと思う。
その日のシャトルランは去年に続いて最後まで走り続けることが出来たし、弁当はスープジャーにカレーが入ってたから約束された最高の一日をもっと最高にできた。
あとで山口からは「友達が追加されました」という通知と共に、「助かりました。ありがとうございます」「明日返します」とLINEが入っていた。それに「了解」と適当なスタンプで返事する。
そして今年一番の気分の良さに今でスマホをいじる妹にサイコメトラー先生と喋ったと報告すると、「時計返してないのにジャージは貸した?それ絶対、無くしたか壊したから罪悪感感じてんだって思われてるじゃん」と呆れられ、はっとした。
時計、返してなかったな。
なんなら時計のこと全然忘れてた。いや時計を忘れてたのではなく、それを返すという行為そのもののことを。ていうかいつか話しかけようと機会を伺っていたのは、自分的にはなんのためだったのだろうか。
もはや半年前の春のことなど思い出せない。
いつか返そう返そうと思っていたことと話しかけなければという義務感が競り合い、いつの間にかその義務感が突き抜けてしまっていた。
とにかく明日は、別に二人きりにならずとも時計を返してやろう。ジャージを受け取ることは、忘れてしまっても良いかもしれない。
開きかけていた山口とのトーク画面を閉じ、時計をリュックサックにしまうべくリビングを後にした。
サイコメトラー 東山蓮 @Ren_East
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