サイコメトラー
東山蓮
サイコメトラー1
無性に何かが恐ろしくて眠れない夜がある。
明日自分が目を覚まさなかった時の家族の表情だとか、100万人に1人の確率で発病する不治の病に冒されていたらどうしようだとか、母が認知症になった時に自分がおむつ交換をしなければならないのだろうかとか、考えても仕方がないことばかりで頭がいっぱいになる。
朝になってみれば、「あんなしょうもないことで睡眠時間を削るんじゃなかった」と激しく後悔して、それでもまた繰り返す。
幼い頃から家族が自分より先に死んだことを妄想しては激しく泣いて両親を困らせていたから、17歳どころか死ぬまで9割方杞憂な想像をしては落ち込み、軽い不眠で生きていくのだろうと思う。
さて、最近はといえば「自分が『サトラレ』だったらどうしようか」と考え続けて眠れずにいる。『サトラレ』は創作の病であり、自分の考えていることが常に周りに垂れ流しになるものだ。現実には存在しないらしく(あくまでらしく。自分がそうかもしれないので)、もし「そう」であるかもしれないと悩んでいることを打ち明ければ、精神疾患と診断される。深夜になってから考え出してしまうと、そういった世間の対応すらも「『サトラレ』の人間の精神的ストレスを抑えるための方便」と陰謀論をふと掲げてしまう。
なぜこのような考えに至ってしまったのかというと、もちろん『サトラレ』について知ってしまったことだが、それ以上に、とあるクラスメイトのせいであった。
山口颯太は、率直に言ってしまえば「ネクラ」側の人間だ。
これは自虐ではなく客観的な事実であり、颯太自身、明るく人と話すことが出来ればと思うことはあれど、今更性格を変えるほどの気力はない。少し無理をして入った穏やかな雰囲気に定評のある進学校では、中学生のときのような弱い者いじめの空気は存在しておらず、ネクラな人間が存在していることを誰も気にかけない。
弁当は大抵ひとりで食べるし、平日のほとんどは家と学校を行き来するだけだと言えば両親は友達や恋人を作らないのかと聞きたそうにするが、颯太にとっては十分素晴らしい高校生活を送っている。
しかし、今日ばかりは友達は必要だなと心の底から猛省した。体育着を忘れたのだ。友達というものは損得勘定で得るものではないとわかってはいるが、それにしたって必要なものだろう。忘れ物の貸し借り、修学旅行の班、それから...。現実逃避をしても体育着は手元にない。普段であれば体育の一回くらい見学すればと諦められるが、今回ばかりは諦められない理由があった。
シャトルランである。
我が校では春と秋に二回行われ、骨折などドクターストップのかかった事情以外で休むと、後日選択した競技を和気藹々と楽しむ同級生を尻目に音楽に合わせてステップを踏むはめになる。
颯太はそれだけはどうしても避けたかった。
いくら周りの生徒が颯太のことなんかどうでもいい存在だと思っていても、一人でばたばたと体育館を往復するのは颯太のほうが耐えられない。
しかし体育着を借りる相手がいないとすればやはり今回は諦めるしかないか、いっそ目立つことを承知の上でワイシャツとスラックスのまま走ってしまおうか...。
後者でいこう、とロッカーを閉めると、男子更衣室が自分とクラスメイト(何故か制服のままこちらを凝視している)の二人だけになっていた。どうやら皆体育館に行ってしまったらしい。颯太を見つめるクラスメイトは、名前こそ知らないが、クラスの中でも率先して体育祭を盛り上げるタイプの生徒だということは知っている。簡単に言えば、あまり関わりたくない性格だ。颯太はワイシャツの腕を軽くまくりあげ、そそくさと更衣室を後にしようとしたが、叶わなかった。
「俺の着る?」
なぜか率先して体育祭を盛り上げるタイプのクラスメイトがほぼ他人と言っても過言ではない颯太に大きな助け舟を出してくれた。正直ものすごく享受したい親切だが、颯太のコミュニケーション能力ではここで一度下がるべきか素直に感謝して借りるべきか分からない。
「ぼ、僕ですか...?」
「え?うん...」
口をついて出たのは、さすがの自分でも訳の分からない言葉だった。ここには颯太と優しいクラスメイトのふたりしかいないのに、彼が颯太以外に話しかけているはずがない。人によっては、颯太が相手をばかにしているように聞こえる返事だ。
顔に熱が溜まっていき、目の前にいるクラスメイトから情けなくも視線を外した。
あまりの恥に、失礼なやつだと言われてもいいと吹っ切れ、「結構です」と体育館に逃げるべくきびすを返したが、視界が突然遮断される。次に視界の代わりとでも言うようにピーチティーの匂いが鼻に広がった。
「俺、今日は長袖の気分なんだよね。そっちは着ないからいいよ。」
そう言って、颯太がもごもごと言葉を探すうちに、さっさと着替えて更衣室を出ていってしまった。クラスメイト...関くんというらしい。彼には感謝をして着させてもらおう。運動ができるタイプでもないから半袖半ズボンはシャトルランといえど少し寒いくらいだが、借りたものに文句は言うまい。
チャイムがなるギリギリに体育館に到着したせいで関に感謝する暇はなく、体育教師の挨拶もそこそこにさっそくシャトルランが開始する。
このアナウンスとこの音、本当に絶望的だ。文科省の大臣になったらまっさきに差し替えてやりたい。いや、そんなことをしようとシャトルランが存在する限りはまた別の「絶望の音」が増えるだけだろう。馬鹿馬鹿しい。
というか関はなぜ颯太の体育着の忘れに気づいたのだろうか。別にあからさまに焦っていた訳でもないし、傍から見た颯太はただシャトルランが憂鬱で着替えたくないだけに見えていたに違いない。もしかしたら、考えていることがわかるのか?いやでも、そんな人が体育祭で実行委員という嫌われ役を買って出るか?理解できない。であれば「関がサイコメトラーである」という説は消え、代わりに「颯太は考えていることを周囲に垂れ流している」という説が最有力になってしまう。えっ嘘、そんなサトラレみたいな...。でも昔から嘘をつくとすぐに見破られていたし、三択クイズを出すと何故か100パーセント正解される。これは確定じゃないですか?
走りの苦しみから逃れるようにお得意の支離滅裂な脳内独り言で頭をいっぱいにしていると、脛が痛み喉がパリパリになっていることに気がついた。現在の回数は54回。男子生徒の中では下位の方ではあるが、既に数人がやめているし大丈夫だろうと走る足を止める。止まった瞬間に吹き出す汗と息切れを何とか抑えながら壁に寄りかかって、54と記録シートに書いた。
60。
既にやめている男子生徒はみな長袖長ズボンで、人に借りたものを着ていながら自分の格好が少し恥ずかしい。
80。
数人残った女子生徒を応援する女子生徒の声が聞こえ、かっこいいなとぼんやり考えていた。男子生徒の方は半分以上残っていたが、長袖長ズボンは一人しかいなかった。
100。
女子生徒はみな走り終え、男子生徒もいよいよ数人だけだ。その中にやはりひとりだけ長袖長ズボンの関がおり、友人らしき生徒らが「バカすぎるだろ」と野次を飛ばしていた。誰も自分を見ていなかったが、反射的に胸元に糸でぬわれた「関 大地」の名前を隠すように握る。
125。
シャトルランは終了し、最後まで生き残った3人もその場に倒れ込んだり流して走り出したりと各々のクールダウンを行う。
しかし無慈悲にも音源が止まった瞬間に招集され、倒れ込んで胸で息をしている生徒は友人らに「大ジョブっすかユウスケサン!」などとからかわれ、強制的に起き上がることを余儀なくされていた。
整列して話を聞いていると、ふと汗をダラダラ流し、先程はきちんと整髪されてセンター分けをしていた髪の毛がヘタれた関が目に入る。はらりと垂れた髪を煩わしそうにかきあげ、腕を使って首の汗を拭っている。どう考えてもシャトルランをする今日、気分で長袖長ズボンを着るべき人ではない。
その瞬間、半袖半ズボンは寒いと少しでも不満を抱えてしまった自分が、幼稚で自己中心的であることに気がついた。ひとにあっさりと善意を分け与える関にとって当たり前の行動が、自分にとっては特別なことのように思えてしまっていた事実に耐えられない。
そしてその晩は、自分が「サトラレ」である可能性を改めて考えて学校を休む方法を考えては却下し、関への無礼を思い出しては消えさせてくださいと念じた。そして自分の経験値の低さが最悪の形となって深夜の思考タイムをより絶望的なものにした。汗でぐちゃぐちゃになった関のセンターパートが崩れ、ぱらぱらと額に張りつく髪の毛が頭に浮かんで離れていかない。
もし、自分が『サトラレ』で周りの人びと...いや、関に。颯太の考えていることが伝わってしまったら本当にまずいことになる。逆に周囲に伝わって、うわあいつキモいわ〜と言われても関にさえ届かなければ良い。決定的な証拠がない限り、「なんかキモいって言われてる人」くらいで留まることが出来る。逆に関だけに直接伝わってしまえば、と浮かび上がった考えに身震いをして意識が遠のいた。多分颯太は、死を選ぶ。
だからどうか頼む。今のまま、たとえ『サトラレ』で考えていることが垂れ流しだとしても、気にならないほど無関心で「サトラレのやつがなんかキモいこと考えてら」と当事者意識を持たずに右から左に流してください。
これだから恋愛経験のない人間はダメなんだと無意味に咳払いをして、寝返りを打った。
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