第28話彼はどうして許したか



 ユッカは、顔に痣を作ったアリテの手当てをしていた。


 痣こそ派手だが、骨が折れたり歯が折れたりしているということはない。ギリギリの手加減をされている怪我である。自分の力を知り尽くしている暴力に、ユッカは唇を噛みしめた。


 手加減というのは、ある程度の実力がなければ出来る事ではない。そして、ファルはそれを完璧に制御できるほどの実力があった。


 ここまでの実力がありながらも非戦闘員のアリテの痛めつけるのは、冒険者のやることではないとユッカは思う。冒険者は、力と武器を持っている。だからこそ、それで日常を壊してはならない。それは、盗賊や野盗と同じ人種だ。


 力を持っているからこそ、自分を強く律すること。


 冒険者になると決めた日に、ユッカが最初に教わったことでもある。


「ごめんな、アリテ……」


 アリテは、謝ってきたユッカに首を傾げた。


「この怪我は、あなたのせいではありませんよ。守れなかったとは思わないでください。守らないで欲しい、と私は願ったのですから」


 違うのだ、とユッカは言った。


「同じ冒険者が、暴力なんか振るって。俺たちは金のためにも働くけど、町の人の暮らしを守りたいとも思って戦っているんだ。獣とかモンスターとかと戦って、平穏っていう奴を守りたい。そして、武器を持たないような一般市民には手を出してはいけない。そう教わったのに、同じ冒険者がアリテに暴力を振るったことが申し訳ないんだ」


 泣きそうになっているユッカに向かって、アリテは両手を広げた。どうすればいいのか分からないでいると、アリテはユッカを抱きしめる。


「あなたは……良い子です。その心を見失わないでください。ファルは見失ってしまったけれども……あなたは違う人間でいてください」


 抱きしめられた体温が温かくて、ユッカは悲しくなった。


 アリテを守れなかったことが、今になってとても悲しくなったのだ。本人が守らなくても良いと言っても、ユッカはアリテが殴られるところなんて見たくなかった。傷ついて欲しくなかったのである。


 ユッカは、アリテに軽々しく暴力を振るったフォルを許せない。あんな人間が、S級冒険者であってはいけない。


「でも……俺はあいつ……。ファルには敵わない」


 S級というだけあって、ファルの実力は本物だ。B級の冒険者であるユッカでは、絶対に敵わないであろう。


「どうして、あんな奴と知り合いなんだよ。いきなり首を絞めてくるだなんて、まともじゃない。あんなのがS級なはずもない……」


 アリテの頬を塗れたタオルで冷やしながら、ユッカは独り言のように呟く。何もかもが信じられないが、一番信じられないのは暴力的な男がアリテの知り合いであることだった。


「私にも色々あるんです。一言では、とても言えません」


 ここまで来ても、アリテは何も言わない気でいるらしい。しかし、目の前で友人が痛めつけられたらユッカだって黙ってはいられなかった。


「だったら、一言でなくていいんだ。教えてくれ。俺は、絶対にアリテの味方でいる。全世界の人間がアリテを責めても、俺が守る。約束するから、教えてくれ」


 ユッカの言葉に、アリテは目を見開く。


 そして、あきらめたような儚い笑顔を浮かべた。


「恋人がいたんです。その恋人と同じパーティーだったのが、フォルたちでした。恋人は、元々は貴族の家柄でしたが親と折り合いが悪くて……。手切れ金をもらって、家とは縁を切った人だったんです」


 貴族の身分を捨てて、冒険者になった。


 ロマンに溢れながらも厳しい道を選んだ人間。


 アリテの恋人とは、そういう人だった。


「手切れ金は、私たち庶民からしてみれば大金と言える金額です。フォルは、その財産が丸々残っていると勘違いしているんですよ。恋人は無駄使いするような性格ではありませんでした。だから、そういうふうに考えてしまったのでしょう」


 ユッカは、引っかかるものを覚えた。


 話しぶりからして、恋人は天涯孤独の身であったのだろう。どうして財産が仲間である自分のものだとファルたちは言っているのだろうか。


 法的には、財産は誰のものでもない。


 アリテは恋人だが夫婦ではなかったので、彼にすら権利はないのだ。


「もしかして……誰にも権利がないから自分たちのものだって言っているのかよ」


 ユッカは呆れてしまった。


 ファルというのは、とんだ強欲の持ち主だ。アリテの恋人を仲間に引き入れたのだって、最初から金目的だったのではないかと疑ってしまう。


「……アリテ。お前の恋人って」


 殺された、と過去のアリテは言った。


 その殺人を許した、とも彼は言った。


「そうです。……私の恋人は殺されました。けれども、犯人はファルではありません。彼は、強欲であるが故に殺人は侵さない。殺人は、あまりにもリスクがありすぎる」


 S級の冒険者であるファルが殺人を犯せば、極悪人のような扱いを受ける。逃げたとしてもいたるところに指名手配犯としてチラシが張られてしまうのだ。それぐらいに、力の持った人間の暴走は危険視されているのである。


「私には、恋人を殺した犯人がすぐに分かった。分かったから許して、この町に逃げてきたんです。私にとって、この町は……現実逃避のための場所でしかなかった。ユッカ、あなたのことだって」


 アリテの眼差しは、申し訳なさそうだった。


 ユッカは、アリテの鼻をつまんだ。


「現実逃避って、なんだよ。アリテは、しっかりと現実にケリをつけているだろ。恋人が殺されたんだから、前の場所にいたくないのは当たり前のことだと思うし。それに、犯人を許したっていうのは凄いことだと思う」


 ユッカは、アリテの頭に手を伸ばした。そして、不器用に彼の頭をなでる。年上の頭は小さくて、少しだけ温かい。


「アリテは凄い。でも、凄すぎるから……少し凄くなくなっていいと思う。もしも、この町からも逃げたくなったら、何時でも言えよ。絶対に、俺が守るから!」


 最初の出会いから、随分と時間が経っていた。アリテとは友人になったし、剣を打てない彼を否定するつもりもない。どんなアリテだって好きだと言える。


 けれども、今日はあえて最初から言っていた言葉を口にする。


「俺は、アリテに剣を打ってもらう。そして、A級の冒険者になって……アリテを有名な鍛冶師にしてやるんだ」


 若者の輝きは、どんなときだって曇らない。


 その純粋さに、アリテは自分でも知らない内に涙していた。


「えっ……。俺って、なにか悪いことを言ったか?」


 慌てるユッカに対して、アリテは首を横に振った。


「ユッカ……ありがとうございます。……私は、とても卑屈になっていたんです。犯人の方が正しいような気がしていて、許すしか手がないと思った。自分たちの方が悪いと思っていたんです」


 それは、どういうことなのだろうか。


 ユッカは不思議に思った。


 アリテの言葉は、恋人を殺された人間のそれではない。被害者の関係者が自分たちの方が許されない、などと考えるなどはあり得ないだろう。


「なんで、恋人を殺されて卑屈になるんだ。犯人の方が正しいなんて、ありえないだろ!」


 アリテの恋人は被害者だ。


 大きく傷つけられたアリテだって、被害者のはずである。


「ユッカ。私の恋人は……」


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