修繕師アリテは思い出は修繕しない
落花生
第1話遺産は誰のもの
「お前が殺したも同然だ」
小さな鍛冶屋に訪れた剣士の男は、店主の青年を睨んでいた。
王都の裏路地にある鍛冶屋は、いつもは静かなものだった。たまに年寄りやお忍びの人間が青年に道具を作ってくれ、あるいは修理をしてくれと依頼する。そういうときに、青年は炉に火を入れた。
鍛冶屋からは、その時にだけそれらしい騒音が響く。鋼や銀あるいは金を伸ばす音で騒がしくなるが、その音は決して耳障りなものではない。むしろ、歌のリズムのように心地の良いものだった。
その心地よさは、青年が卓越した鍛冶師であることを表す。未熟な鍛冶師であれば、こんなにも心地よい音は出せないであろう。そして、彼は自分の容姿よりも何倍も美しい物たちを作りだすのである。
そんな鍛冶師の彼が、一人の男が睨まれている。本来ならば、剣士という人種は鍛冶屋を尊敬する。自分たちの武器は、鍛冶屋がいなければ完成しないからである。
男だって、鍛冶屋の青年に剣を打ってもらったことがある。誰よりも素晴らしい剣を討つ彼のことを男は尊敬していたし、彼が望むならば有名にさせてやっても良いと思っていた。男はS級の冒険者で、それができる立場の人間だったのだ。
だが、そんなことを男は忘れ去っていた。
歴戦の剣士である男の眼差しは、怒りの感情が燃え上がっているは故に鋭い。並の人間ならば、彼に睨まれたら震え上がっていたことであろう。しかし、青年はおびえてなどいない。
青年は台の上に置かれた折れた剣を見つめて、無言でいるだけだ。その姿は、知人の形見を前にしている反応のようには思えなかった。
この剣が折れたせいで、一人の人間が亡くなった。この剣を打ったのは青年であり、いつもの通りに素晴らしい出来のはずだった。
それでも、時に運命は残酷だ。
どんなに素晴らしい武器であっても、形あるものはいつか壊れる。男にだって、それは分かっていたのだ。それでも、怒りを納められない。怒りを向ける矛先が必要だったのである。
「おい、何も思わないのか……。あいつは、お前の姉の婚約者だったんだろ。なにか言えって!」
男は、剣が置かれた台を強く叩いた。すでに何度も繰り返した行動である。側にいた魔法使いの女が、男を止めようとする。
「兄さん……やめてよ。剣が折れるなんて、よくある事なんだから。鍛冶屋の人に当たったってしょうがないじゃない……」
魔法使いの女の言葉に、男は食い下がった。
彼らの仲間の一人が、ダンジョンでの戦闘中に武器の不備のせいで死んだ。危険なダンジョンでは、それはよくある事故であった。
だからこそ、男が鍛冶屋を責めるのはお門違いというものである。けれども、男は責めずにはいられない。込み上げる怒りが、どうにも収まらないのだ。
魔法使いの女は、剣士の妹である。
そして、死んだ仲間に長いこと片想いをしている。仲間の婚約者は、鍛冶屋の姉であった。だが、姉は病弱で一日ふせっているような女である。何も出来ないような女に間違いない。そんな女に魅力などあるはずがなかった。
死んだ仲間の友人であった男だって、一度も婚約者の姉の顔を見たこともない。一日中臥せっているような弱い女が、冒険者の嫁という仕事を全うできるとは思えなかった。家事だって、鍛冶屋の弟に任せているという話だ。
そんな女に、やはり魅力などない。
女というのは、仕事が出来なければならない。鍛冶屋の青年は美しいから、その姉も美しいのであろう。
しかし、臥せっているだけの女など置物のようなものだ。そんな女への愛など一瞬に覚めるであろう。
一方で、剣士の妹は珍しい魔法使いである。冒険者としても腕が立ち、死んだ仲間とも信頼しあっていた。剣士は、自分の仲間は妹の魅力になびくと思っている。
臥せっている女よりも妹の方が、何百倍も魅力的だと信じていたからである。
男は、妹と同じパーティーで活躍をしている冒険者だ。幼少期から必死に鍛えて、冒険者のなかでも一握りしかいないS級冒険者となった。出身の町では冒険者になろうとする男を笑う者もいたが、今や男は故郷に錦を飾った人物である。
死んだ仲間もS級冒険者であったが、彼は男とは生まれからして違う。
死んだ仲間は、元が貴族の三男坊だ。家を継げないので騎士になるために育てられたが、父との不和が原因で家を飛び出したらしい。元より、一級の教育を受けた人間であった。
それだけで、並み以上の冒険者として成功していただろう。だが、仲間には剣士としての才能もあった。そうでなければ、最年少でS級冒険者まで登りつめられるものか。
将来は騎士になるように教育されたせいもあって、仲間には騎士道が叩きこまれていた。弱き者たちを助け、優しく接することが出来ていた。物腰も柔らかく、彼の魅力に惚れる女も多かった。つまりは、素晴らしい人間であったのである。
そんな素晴らしい人間と結ばれるのは、優れた人間でなければならないはずだ。剣士の妹の魔法使いは、S級よりランクが一つ下のA級である。しかし、強さも顔立ちも申し分ない。
仲間は、妹を好きになるはずだった。
いや、すでに妹のことを少しばかり気に入っているようにも思えた。だから、剣士は二人のことを応援していたのだ。
二人が結ばれたら、剣士と仲間は家族になる。そうなったときには、仲間が家を出る際に母親から譲り受けたという財産にも手が届いたかもしれない。
「……あいつは、財産をどこに預けていたんだ。俺達以上に、あいつと仲が良かったお前なら知っているんだろう」
仲間の母親が持たせてくれた財産は貴族にとっては微々たるものであっても、平民には大金だ。仲間は、それをほとんど使わずに取っておいたはずである。
仲間の生活は、清貧そのものであった。生活のなかで財産を使い切ったとは思えず、生活に不似合いな高価なものを自分のために買ったとも思えない。
「……財産が目的なら出ていってください」
鍛冶屋の青年は、折れた剣を分厚い革袋に入れる。革袋は、刀身で手を切らないようにするためのものだ。そして、それをそっと棚に入れた。
婚約者を亡くした彼は、悲しみを押し殺すように胸元を握りしめる。
「あの人は、財産を使い切っていたのだから」
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