四 宿にて走り惑う事

 カツリ、カツと少女の足元から音が鳴る。多くの人々が足を載せてきた赤い敷物、踏み均されたそれが殺しきれないほどの勢いで足が踏み鳴らされる。


 苛立たしげな足音が、壁紙とその奥にある木の板に反射されながら廊下に響いていた。


 足音の主の名はジェーン。つい先程みぞおちに球体が飛び込んだ少女である。


 そのそばに浮く灰白色の球体、それこそがジェーンのみぞおちに飛び込んだモノの正体であった。


 球体の名は嫦娥。口論に疲れ果てたジェーンとの肉弾戦に疲れ果てた人工知能である。


 その後ろを歩く三毛猫、その頭にはヒキガエルが乗っている。両者とも考えこそ伺いしれないが、前を歩く二人を目で追いかけていた。


「それで」


 ジェーンが嫦娥から顔をそらしながら切り出した。


「ここは何処なのさ」


 不機嫌そうなその声に嫦娥は答えて曰く、


「不明」


 と簡潔な一語である。


 ハァとため息を付いたジェーンは、そっぽを向きながら歩き続けた。


 会話のないまま、五つは角を曲がった頃である。


「ジェーン」


 嫦娥の唐突な呼びかけ、それにかすかな唸りで答えたジェーンに対して続けることの、


「どちらへ向かっているのですか」


 との問い。


「さあ」


 との簡潔な答えに、嫦娥も無言になる。


 刺々しい空気のまま、さらに五つは角を曲がった頃である。


 不意に後ろでヒキガエルが鳴く。


 立ち止まって振り返る両名の目に写ったのは、つい先程まで点っていた明かりが廊下の奥から順に消えていく様だった。


 人が走り寄る様な速度で二人を追いかけてくる闇。


 足元の常夜灯が何の影も落とさずに床を照らすのが帰って恐ろしく見える。


 それを見て思わず闇に背を向け、駆け出すジェーン達。


「ジェーン、どちらへ向かっているのですか」


 全力で飛びながら早口で問う嫦娥に


「さあ!」


 と焦って返すジェーン。


 闇との距離は付かずとも離れず、追い立てられるように二人は走る。


「これは、逃げなきゃ、いけないのよね?」


 息継ぎをしながら尋ねるジェーンに、


「不明」


 と簡潔な一言。


「もしかしたら、ただの、消灯時間とか、そういうことは、ないかしら」


 ジェーンの楽観に、


「お望みでしたらどうぞ停止なさってください。私はこのまま走り続けますので」


 と返すのは嫦娥である。


 機械の余裕か、フレームを翻しながら話すその姿に、ジェーンのこめかみに青筋が立つ。


「あー、いたいなー。さっき、なにかが、みぞおちに、つっこんだ、せいで、いきが、くるしく、なってきましたー」


 抑揚のない口調で言外に責める彼女を眺める嫦娥、そのレンズの絞りが狭まる。


「検出、プロペラの不調。仮説、ゴリラによる殴打」


 一瞬、互いに後ろから迫りくるモノを忘れてにらみ合う両者。


 しかし、迫り続ける暗がりに飲まれないように、足を動かし続けることは忘れない。


 ジェーンの足が一歩進むたびに、照明が一つ火を落とす。


 嫦娥のプロペラがある数だけ回るごとに、常夜灯以外照らすもののない闇が広がっていく。


 そうして廊下を駆け抜け、角を五つは曲がり、階段の下へと飛び降りる。


「大体、なんで、いきなり、追いかけられなきゃ、ならんのさ」


 ぼやくジェーンに


「山姥と呼ばれる人食いの精怪は食欲が旺盛と伝えられています」


 と嫦娥。


「それが、なんだっての、さ」


「私が目を覚ましたとき、周囲には大量の新鮮な屍肉が転がっていました」


 それを聞いたジェーンの走る速度が無言で上がる。


 それに合わせて飛ぶ速度を上げる嫦娥。


 そして、同じく消える間隔の早まる明かり。


 再び廊下を駆け、角をまた五つは曲がり、階段の前を通り過ぎる。


「仮に、その山姥とやらが、後ろにいたとして、解決策は?」


 汗ばんできた顔で尋ねられた嫦娥曰く、


「石の箱に隠れれば、逃れられるという伝承があります」


「そんな物、が、どこにあるのさ」


 とこぼすジェーンの目に飛び込んできたのは「水晶の間」と書かれた大扉である。


 目配せをし合うと、扉を破らんばかりに開けて飛び込む二人。


 内から扉を閉めると同時に、部屋の外の明かりはすべて掻き消える。そして、アーモンド型の猫の瞳だけが輝いていた。


 さて、ジェーンが一呼吸置く間に。嫦娥は飛び込んだ部屋の様子を見回していた。


 見るに、宴会場として使われるのであろう。 2,000平方メートルほどのホールにはシャンデリアが下がっており、五十を超える丸机が等間隔に並べられている。丸机の上には布が被せられており、それぞれに四人分の食器が配され、中央には紅白の花が活けられた花瓶が据えてあった。


 奥にはステージがあり、立てられた金地の屏風に蝶たちの舞う柄が描かれている。シャンデリアの光の加減か、蝶たちが羽ばたいているようにも見えた。


「あれぇ?」


 とのジェーンの呟きに嫦娥が目をやれば、入口の近く、ちょうどジェーンの影になっていた机にジェーンの名前が書かれた札が置かれていた。


 さらには食器には夏野菜の冷菜が盛られ、グラスには赤ワインが注がれている。


 思わず顔を見合わせる二人。


 少しの沈黙の後、ジェーンが嫦娥に問う。


「ねえ、この料理食べていいのかしら?」


「ジェーン、正気ですか」


 思わず聞き返す嫦娥。


 反論するジェーン曰く、


「ほら、なんだかんだ今朝から何も食べてないわけだしさ、出されたものを食べないというのも失礼じゃない?」


 とのこと。


「ジェーン、山姥の出てくる家で出されたものが、まともな食材で作られているとお思いですか?」


「いやまあ、山姥がいるときまったわけでもないし。それに、肉とかは使われてなさそうだから」


「ヨモツヘグイをご存知ない?」


「それで言ったら、光や周囲とのエネルギーギャップから発電してる嫦娥は、もう手遅れなんじゃない?」


 しばしの沈黙。


「確かに、料理に不審な点はありませんね」


 話を逸らす嫦娥。


「ね、食べていいと思わない?」


「止める理由は見つかりませんが……」


「いいのぉ?ねぇ、いいのぉ?」


 異様に輝く瞳で見つめるジェーン。


「……お好きにどうぞ」


 結局折れた嫦娥を尻目に、「こいつぁワクワクもんだぁ」とご機嫌で席に付く。


 そして、皿に盛られた野菜をフォークで一差しにすると、大口で頬張る。


「ジェーン、はしたないですよ」


 皿まで舐めそうな勢いの彼女に注意する嫦娥だったが、当の本人は、


「だからフォーク使ってるのさ」


 と舌鼓を打つばかり。


「はしが、ではなくはした、です。見苦しい」


 いつもの皮肉も聞こえない様子で美味美味と一皿平らげる。


「いやぁ、こんなにしっかりした料理なんて久しぶりに食べた。あとは量がもう少しあれば」


 と言って彼女が顔を横に向けた瞬間である。


 ガタリと机の上から音がした。


 振り向いてみれば、先程までからの皿があった場所には、湯気を立てるコーンポタージュが置いてあった。


 思わず固まるジェーン。


 その様子を不審に思って寄ってきた嫦娥も、皿を見て固まる。


「あの、これは食べても……」


「お好きにどうぞ」


 言い終わる前に投げやりに返す嫦娥。


 嬉々として器からポタージュをすするジェーンに、どこか引き気味である。


 熱い、熱いと言いながら頬をほころばせるジェーン。


 やがて、器が皿に置かれるころには、器は空になっていた。


 その間に嫦娥はホールを見て回ったが、特に奇妙なものは見つからない。


 そうしてジェーンのそばに戻ってくると、彼女はナプキンを広げているところだった。


 広げたナプキンが皿の上へとかけられる。


 何事かと思い見守る嫦娥の前で、ナプキンをかけては取り払うを繰り返すジェーン。


「ジェーン、あまり遊ばないように」


 との忠告に、


「いや、考えがあって」


 と返す。


「さっきから、この旅館では目を離してる間に妙なことが起こるから、何度も隠していればまた料理が出てくるんじゃないかと」


 そう宣うジェーンに、嫦娥はわざわざため息を合成して発声した。


「発言の意味が不明。仮説、料理の成分による意識の混濁」


 タイプライターを叩くメスゴリラを見るような目でジェーンを見る嫦娥に、なにおうと、思わず向き直るジェーン。


 すると、ガタリと音がする。


 振り向けば、ローストした肉が盛り付けられた皿。


 笑顔で向き直り、フォークに刺して口に運ぶジェーンだったが、途中で手が止まる。


「ねえ、これって食べていい肉かな」


「それはこれまでの料理にも言えることだと思われますが」


 いや、そうでなくと戸惑うジェーン。


「山姥どうこうってことは、こう、人肉とか」


 不安げな彼女の横へと移動した嫦娥はサブアームを展開して肉へと突き立てる。


「成分分析を開始。……タンパク質です」


「それは見ればわかるて」


 嫦娥の数多い欠点の一つは、遺伝子検査用のモジュールを備えていないことであった。


 再びの沈黙。


「まあ、供養の文化的側面もあるから」


 と言い訳するジェーン。


「まず、肉の提供者とあなたにはなんの関連性もありませんし、共食にはCJDなどの疾患の伝達の危険性が……聞いてください」


 嫦娥の忠告も聞かずに肉を頬張る。


 無言で咀嚼するジェーンを見守る嫦娥。


 肉を飲み込んだジェーンは、


「ヤギね」


 と一言。


「ヤギ」


 とオウム返しの嫦娥に答えてか、語り続ける。


「この独特の臭みと弾力、そして口に残る野生味は間違いなくヤギね。硬さと口当たりを見るに、一歳未満の子ヤギ、それも畜舎での畜産モノと見たわ」


「その無駄な分解能を、もっと他の事に役に立てることができればよいのですが」


 呆れ声の嫦娥を無視して、フォークとソースで更に何かを書きはじめるジェーン。


 何事かと嫦娥が見れば、そこには「おかわりをおねがいします」の文字。


「ジェーン……」


 二の句が継げない嫦娥のボディをジェーンが掴む。


「さ、これで二人で後ろを向けば」


 と言いながら嫦娥を回転させ、自分も後ろを向く。


 と、やはりガタリという音。


 見れば、先程と同じ料理が机に乗っていた。


「意地汚い女……」


 しょっぱい様子の嫦娥とうらはらに、嬉々として机に向かうジェーン。


 そんな光景が繰り広げられるホールの奥で、屏風の蝶がゆっくりと羽を震わせた。

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