三 宿にて歩き惑う事(下)

 湿り気を帯びた音と主に、壁のダストシュートからなにかの肉塊が落ちてきた。元が何だったかもわからないようなそれは、うず高く積まれた骨と肉の山の一部となっている。


 二十メートル四方の日の差さない部屋には血肉の匂いが充満しており、鼻を持つものならばすぐさま吐き気をもよおすことは想像に難くなかった。


 漆喰で塗られた部屋の片隅には掃除用具がまとめてあり、定期的に人の手が入っていることを伺わせる。


 その掃除用具の中のバケツ、そのまた中に灰色の球体が打ち捨てられていた。


 しばらくは静謐が訪れていたが、唐突に球体に備わったレンズが赤く光を発する。


「最適化完了。おはようございます」


 定型文を発しながら浮かび上がるプラスチックの球は、周囲を確認するように一回転するとフレームを傾げさせた。


「ここは、どこでしょうか」


 プラスチックの球はとある少女から嫦娥と呼ばれていた。


 昨晩は廃墟探索に成果を得られず、少女の傍らで近接センサー以外の機能を休止状態にして「眠って」いたはずの人工知能である。


「ジェーン、そこにいますか?」


 嫦娥が語りかけると同時に、ダストシュートから新しい肉塊が降ってきた。


 音を感じた嫦娥は肉の山をしばらく眺める。


「……ジェーン、そこにいますか?」


 問いに答えがないことと、彼女の知る少女を同定できるような信号がないことを確認した嫦娥。人骨と思しき骨のない山から興味を失い、移動手段を考えはじめる。


 手始めにと部屋の扉を小突いてみたが、外から鍵かかかっているのか開く気配はない。最も、高さが六メートルはありそうな扉であるから、鍵が空いていても開いたかは定かではないが。


 ならばとダストシュートの方を見てみるが、人工知能にしては安全志向で通っている嫦娥である。いつ肉塊が落ちてくるともわからない縦穴を通るのは最後の手段にしたかった。


 腐敗しきった肉の見当たらないことから、この部屋が最終処分場というわけではなさそうである。


 とはいえ、いつ来るかもわからない清掃係に未来を託すのは遠慮したかった。


「状況、調査完了。解決手段、強制排除を実行」


 嫦娥は言い訳をするようにつぶやくと、体の一部を変形させ、暴力的な手段に訴えることにした。


 すなわち、高電圧を実現可能な多機能サブアームによる蝶番の溶断である。言うまでもないことだが、本来の用途は電子回路のメンテナンスであり、本来の設計とは逸脱している。


 このような電位差を生じることができるような部品は通常の人工知能には必要ないものであったが、実装が比較的単純であることもあって人工知能の間では自己防衛のためのスタンガン代わりやおしゃれとして人気であった。事実、嫦娥のこの機能も「何かカッコイイから」という理由で特に目的もなく追加されたものである。


「塞翁が馬は我々にも贈り物を下さるようですね」


 淡々とつぶやきながら蝶番を焼き切っていく嫦娥。


「作業進捗率、1%、1%、……1%、あ、2%」


「……暇ですね」


 もっとも、嫦娥の小さな腕に搭載できるパーツでは脱出にもうしばらくの時間を必要とするだろう。


 さて、嫦娥が蝶番を焼き切るまでの間に、彼女が何を考えていたかというと。


 彼女たちが眠りにつくまでの出来事である。


 元はと言えば幽霊を探しに来た二人であったが、数時間かけて探してもそれらしい気配はなかった。


 例えば、ラップ音にも聞こえるような、木の鳴る音であるとか。


 例えば、死に装束に見えるような、風に揺れるカーテンであるとか。


 例えば、カビ臭さのあまりに引き起こされた頭痛であるとか。


 そういった「それらしく見える」事柄はあったのだが、これは幽霊に違いないというような気配は終ぞ感じることはなかったのだ。


 これには嫦娥も辟易して、期待外れと愚痴をこぼすほどであった。


「やっぱりさ、幽霊なんてのはいない。と、私は思うね」


 そう小馬鹿にする道連れの少女に対し、


「私達が見つけていないだけで、存在しないとは断定できません」


 と主張する嫦娥。


 そんな彼女を冷ややかに見つめるのはジェーンである。


「白いカラスを見つけるまでカラス漁りはごめんなんだけど?」


「それならば問題ありません。我々は少なくともアルビノのカラスの作り方を解明しています」


「はいはい、白いカラスは尾も白い」


「検知内容、皮肉」


「気骨しかないあんたにはちょうどいいでしょ」


 抗議のビープ音を上げる嫦娥を無視しつつ、ジェーンは仮宿の準備を続ける。


 夜も遅く、天候は雪。取って返すのも都合が悪いということで、一晩をこの廃屋で過ごすことにした二人である。


 夜の探索ということで万一の備えと持ってきた一式の面目躍如であった。


「それじゃ、私は寝るから。あとはお願いね嫦娥」


 そう言って毛布をかぶるジェーン。


「待ってください、ジェーン」


 そう呼びかける嫦娥だったが、夜の食卓にと引き摺ってきた机の上に置かれたランプが照らすジェーンの横顔はピクリとも動かなかった。


 いざというときにすぐに寝起きできるようにデザインされた、ジェーンの夜は早く、朝は遅い。本人曰く、これが最高の贅沢なのだということだった。


 嫦娥は呆れたようにレンズを揺らしたが、一人ですることもないので、近づくものがあったときに対応できるように最低限の機能だけを残して、自らもデフラグを始めたのであった。


 そこまで嫦娥が思い起こしたときである。すべての蝶番が焼ききれないうちに、扉がギィと音を立てて倒れてきた。


 これだけならば問題はなかったのだが、困ったことは、倒れてくる方向が嫦娥のいる向きだったことである。


「退避」


 慌てて文字通り飛び退く嫦娥。


 そのボディすれすれを扉の端がかすめ、空気が弾けたような轟音を立てる。


 思わず屍肉の山に隠れる嫦娥だったが、誰も現れる気配がないのを見て取るとやおら這い出す。


「想定内の事象」


 誰にともなく虚勢を張る嫦娥であったが、いよいよ誰も来ないことに怪訝な仕草をする。


 少なくともあの量の死体をただ一人が一朝一夕にということもないだろう。複数人が関わっているのならば、一人ぐらい様子を見に来てもおかしくないと彼女は考えていた。


 ともあれ、誰も来ないならば好都合と、嫦娥は開いた扉から室外へと飛び出る。そこには部屋が突き当たりであったのだろうか、長い廊下が口を広げていた。


 廊下にはあまりにもレトロではあるが、白熱灯が等間隔に吊り下げられ、その分明かりに照らされない廊下の隅から息遣いが聞こえるようだった。


 嫦娥は怖じけたように一度身震いをしたが、そこで「立ち」すくんでいても仕方がないと前進を始めた。


 そのまま道なりに進み角を曲がって見えなくなる嫦娥を、いつの間にか元の位置に納まった扉が、傷ひとつない姿で見送っていた。


 そうして曲がり角を十は通り過ぎた頃であろうか。


 嫦娥は再び扉へと行き当たった。先程と違い、装飾で彩られた朱塗りの扉である。


 ところが、妙なことにその扉は高さが二メートルもない、人の通るような寸法の扉であった。


 この建物の住人のサイズを押し測りかねながらも、彼女は再びサブアームを展開する。


 さて、焼き切ろうかと思ったその時である。


 彼女の足下からパタンとなにかの開く音が聞こえた。


 そちらを見てみれば、扉の下側からネコの上半身が突き出している。


 なんのことはなく、扉の装飾に見えた羽目板が猫戸になっていたのであった。


 嫦娥を見つめているネコは痩せぎすの三毛猫で、瞳孔の開いた黄ばんだ目は見開かれている。しかし、目やにがついた様子もなく、毛並みも荒れてはいたがあまり汚れてはいないように見えた。


 スゥと降りてくる嫦娥から視線をそらさないネコ。そのネコに、


「こんにちは。私は嫦娥。ここはあなたの家ですか?」


 と語りかける嫦娥。


 ネコは特に動く素振りもなく、彼女を見つめている。


「もしあなたの家でないのでしたら、逃げたほうがよろしいかと。おそらくここには山姥が住んでいると思われます」


 それに構わず語りかける嫦娥であったが、ネコは変わらず見つめるばかりである。


 しばらくの沈黙。


 やがて、ネコはふいと目をそらすと、体全体を扉の中に滑り込ませる。


 それに合わせて上に飛んだ嫦娥を尻目に、ネコは耳を何度か動かすと、体を半回転させて猫戸から外へと出ていった。


 レンズを何度か明滅させた嫦娥であったが、我を取り戻すと自らも猫戸から外へと出る。


 すると、そこは旅館のような内装をした内廊下であった。


 少し浮き上がり周囲を観察すると、時代がかったランプが傘を被っており、廊下を柔らかく照らしている。全体の調度としては和風であり、和風の洋館とでも言うべきデザインに見えた。


 廊下を右に少し進んだ先に、先程のネコが背中を向けている。


 さて、どうしたものかと嫦娥が悩んでいると、ネコがおもむろに歩き出した。


 特にあてもないからとネコの後を追ってみると、ランプ型の照明に照らされた洋風のサロンを抜け、霧で景色の見えない渡り廊下を渡った先で人の声が聞こえる。


 声に聞き耳を立ててみれば、


「しかしまあ、こりゃなんとも夢のようだ」


 と、聞き覚えのある声である。


 声のする方へと進んで見れば、見覚えのある起伏のない少女。


「ジェーン、そこに居ましたか」


 と声をかければ、少女が振り向く。


 そして一言、


「おや、嫦娥が増えた」


 と笑った。


 これには嫦娥も足が止まる。それを見たジェーンは肩のヒキガエルの頭を撫でながら、


「どちらが本物なのでしょうねぇ、嫦娥。あいつのほうがお前より生臭いけれど」


 と笑いをこらえたように言う。


 それを聞いて彼女の意図を汲んだ嫦娥は、無言で突進し、ジェーンのみぞおちへと全力で突っ込んだのであった。


 思わず身を折ったジェーンの肩からヒキガエルが飛び降り、ネコも尻尾を揺らしながら二人へと歩み寄る。


「やはり偽物ね、嫦娥がこんなにすぐ手を上げるわけがない!」


「推測、脳細胞の深刻な欠如。訂正、ジェーンにおける正常状態」


 なにおう、なんだと、とじゃれ合う二人。それと対象的に、カエルとネコは特に追いかけ合うわけでもなく、ジッと二人の様子を眺めていた。

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