星を見る青年

 惑星イェーガーシュタットは温厚な気候に恵まれ、沿岸部から望む惑星を囲むリングと夕焼けは観光客からも人気の景観である。惑星全土が肥沃な土と青々とした草原に覆われ、高山も少なく耕作に極めて適した土地だった。銀河帝国においても有数の農産量を誇り、今以上にこの惑星への食糧依存度が高い時には“帝国の食糧庫”とも言われていた。

 美麗なリングと恒星に照らされて煌めく海と大地を望む衛星軌道上にはひっきりなしに多数の宇宙船が飛び交う。民間輸送船や貨客船がほとんどで、中には警察の巡視船など政府機関の船舶も混じっていた。

 艦首に無数に備えられた主砲。両舷にも備砲を装備し、細かなミサイルランチャーや対空砲を数え上げるとその数は百を優に超える。

 銀河帝国海軍が誇る新鋭重戦列艦、グナイゼナウ級が四百隻以上列を成し、その周囲を装甲戦列艦や軽戦列艦らが固める。銀河帝国海軍における戦列旅団の標準的な編成であった。

 第十七戦列旅団。その旅団長は少将リヒャルト・エルヴィン・フォン・アイゼンシュタイン伯爵令息である。弱冠二五歳にして少将の位を得た、帝国海軍の若き“重騎兵リヒャルト”であった。

 若年にして上官の戦死と武功により昇進を重ねると言うのは戦時においては決して珍しい話ではないのだが、平均すればほぼ毎年以上のペースで昇進を重ね、二五歳にして少将の位を得ると言うのは並大抵の話ではなかった。彼の父親が元老院議会に名を連ねる伯爵であると言う事を考慮しても、である。

 金、の字が相応しい黄金色の髪は豪奢に広がり、獅子の鬣を彷彿とさせる。顔は概ね好青年と呼べる出で立ちであった。だがその柔和さを感じさせる顔の中で磨き上げられた柘榴石を埋め込んだかのように紅く輝く瞳が異質な光を放っている。常人では到底真似のできない鋭い眼光は、彼が豪邸や宮廷ではなく戦いの中でこそ輝く人間である事を雄弁に物語っていた。

 第一七戦列旅団旗艦を務める重戦列艦“デアフリンガー”の艦体中央部の構造物上に設置された艦橋からは小火砲が並べられた艦体のみならず眼下の惑星イェーガーシュタット4の青々とした地表と惑星を囲む円盤のようなリング、行き交う船の数々が一望できる。リヒャルトは五分ほど前からずっと窓の側に立ち、その景色に見入っていた。

 旗艦の周囲を数百隻の艦船が囲み、一様に恒星の光を受けて黒光りしている。ひっきりなしに行き交う宇宙船の数々は、宇宙にまで到達した人類の文明の活発さを無音の内に証明する。そして小惑星や塵が無数に集まって構成され、その一部が惑星の影によって途切れた巨大なリングは、人類の営み以上に巨大な宇宙の雄大さを物語っていた。

 リヒャルトは宇宙が好きだった。この無限に広がる世界が大好きだった。新しい星系に行くたびに、一つとして同じ景色の無い世界が彼の視界を楽しませる。それはまるで星々を巡る冒険のようで、彼が子供の時得られなかった多くのものが、今や彼の手の中にあった。

 「閣下」

 後ろから彼を呼ぶ声が、リヒャルトの意識を急激に現実へと引き戻した。幻想的な光景から電子機器と明度が抑えられた黒塗りの艦橋へと視線を移すと、軍人としての威厳に重きを置いたデザインの黒色の海軍服に身を包んだ士官が敬礼し、佇立している。階級章は彼が中尉の階級にある事、左肩の懸章は彼が副官としての業務を果たしている事を示していた。

 リヒャルトは機械的な動作で答礼した。彼が手を下ろすと中尉もその敬礼を解いて一枚のデータパッドを差し出す。

 「“モルトケ”より入電です」

 頷いてリヒャルトはデータパッドを受け取った。

 その真紅の瞳が文字を判読するために動き、やがて二五歳の少将は画面から目を離して中尉に差し出した。

 「集結命令だ」

 「いよいよ始まるのですか」

 リヒャルトは肩をすくめた。

 「そうらしい」

 「旅団に出動命令を下しますか?」

 副官はリヒャルトの発言を先取った。彼は二手三手先を考えて行動ができる、優秀な男である。

 金髪の青年少将は、その形の良い口元を微かに歪めて頷いた。それを肯定と受け取った副官は敬礼して艦橋後方に立つ一人の男に声をかけた。

 「参謀長殿、艦隊に発進準備を」

 「へいへい、副官殿」

 打って変わって間の抜けた声が艦橋に響いた。立つと言うより壁にもたれ掛かっていた将校が歩み出で、彼に艦橋スタッフの注目が集まる。

 「と言う事だそうだ」

 軍人らしからぬ態度はとても栄えある銀河帝国海軍の参謀将校とは思えない。だがその彼に士官たちは全幅の信頼を込めた視線を向けていた。それが重荷のように肩を揺らし、参謀長は改めて口を開く。

 「全艦機関始動。星系間航行準備」

 艦橋の総員が敬礼し、途端に騒がしくなった。

 「各連隊に伝達、機関始動」

 「総員出動準備態勢」

 「惑星管制局に通達」

 「針路を確保せよ」

 「各艦ジャンプ航行準備」

 「第二種戦闘配置にて総員待機せよ」

 将校らが慌ただしく動き回る中、リヒャルトは参謀長に歩み寄った。やけに頼りなく細い髭、貧相な見た目は海軍将校と言うよりもくたびれた農夫に見える。だがその能力を見込んでリヒャルトは司令部に招いたのだった。

 「後は頼む」

 「閣下、まだ行き先を伺っておりませんな」

 参謀長の言葉に歩き始めた青年旅団長の足が止まった。気づけば航法担当士官と通信士が彼の指示を待って視線を向けている。彼らに向き直って、リヒャルトは柘榴石のような瞳を輝かせた。

 「フリートラント星系だ」

 参謀長は敬礼し、艦橋の士官たちに向き直った。

 「よし。目標フリートラント星系。全艦ジャンプ航行準備」

 「了解、全艦針路セット。フリートラント星系座標アルファ。全艦ジャンプ航行準備」

 「データリンク操舵に移行。旅団旗艦に接続」

 「ジャンプドライブにエネルギー充填」

 「機関始動、異常なし!」

 「各部チェック急げ」

 「五二連隊、データリンク完了。異常なし」

 主機関が始動している事を示す微かな振動が艦橋にも伝わってくる。

 艦橋を出たリヒャルトはすぐに艦橋タワーの側部に備えられたラウンジへと向かった。司令官が指示を出せば、後は参謀たちが必要な事はやってくれる。

 旗艦デアフリンガーの中でもリヒャルトはこの場所が好きだった。満天の星空の世界をこの部屋の中で独り占めできる。既に艦隊は加速を始め、景色は少しづつ動き始めていた。周囲を囲む僚艦が等速で加速し、青々とした惑星とリングの景色が後方へと移動し始めている。

 「まもなくジャンプに入る。総員第二種配置にて待機」

 艦橋からのアナウンスが流れた。

 リヒャルトの視界の中で惑星の景色は既になく、遠くの星ですら動いているように見える。既に秒速数百キロの速さにまで艦隊は加速していた。前方に一瞬だけ亜空間門をこじ開けて亜空間サブスペースを経由する事で艦隊は実質的に光速の数万倍の速度で通常空間の間を移動する事ができる。

 惑星イェーガーシュタットの青い光は後ろへと去り、視界には満点の星空と周囲を囲む艦隊だけが映る。データリンクによって各艦が動いているように見えない程一糸乱れず航行する中、青白いノズル光が尾を曳いて艦隊が前進している事を証明していた。

 一瞬だけ赤黒い空間の裂け目が見えたと思った途端、直前までの漆黒の星空は消滅して艦は振動した。亜空間門を強制的に開くために通常空間には強い重力震が起きる。重力震による影響を避けるため、数千隻の艦隊の亜空間への突入は秩序だって行われる必要がある。

 振動が収まった時、窓の外の景色は赤と黒の絵具を無秩序に混ぜ合わせたような光景が広がっていた。赤黒い魔界のような光景が斑模様に入り乱れ、絶え間なく不定形に変わり続ける景色は、眺め続けていれば狂気に取り込まれるような恐怖感がある。帝国医学会はこの亜空間内を一分以上眺め続ける事を推奨していない。

 この若き金髪の少将にとってもこの無限に続く魔界を眺めるのは好きになれたものではなく、踵を返してラウンジを立ち去った。

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