軽薄な参謀将校
銀河連邦共和国宇宙軍大佐ウィリアム・ジョン・タビントンの寝室に彼がいる時、在室者数はほぼ必ずと言って良い程偶数である。
彼が乗り込む戦艦ウォースパイトの乗員は第三艦隊司令部要員を抜いても四三一名。その内の三、四割程度が女性兵である。地上軍と違い高度に機械化された宇宙軍の艦船勤務は女性兵からの人気も高く、地上軍に徴兵されるならと宇宙軍に志願する女性は数多い。
引き締まった体躯、やや浅黒い肌は健康でエネルギッシュな印象を抱かせる。三五歳と言う印象をあまり抱かせない程に若々しく顔立ちも良く、くっきりした目元は愛嬌を感じさせる。そこに彼の性格が合わされば、敬虔な宗教信徒が泡を吹き、そうでなくても嫉視か羨望の対象となるレディキラーが誕生すると言う訳である。
もし彼が女の尻を追いかけるのに夢中なだけの軽薄なプレイボーイであれば、大佐の階級を得る前に軍を放逐されていただろう。それを人事局に決断させなかっただけの能力を彼は持っていた。
まだ二六歳で一介の中尉に過ぎなかった時、彼は軽巡洋艦ソルトレイクシティの艦長だった。帝国との国境部では小競り合いが頻発していたが、“まやかし戦争”と言われる小康状態が続いていた時である。
両軍の交戦下にあった惑星オーバーハウゼンへの物資輸送船団の護衛に当たった空母搭載の艦上偵察機が接近する帝国軍艦隊を発見した。その数は百隻に達し、対する連邦軍は一個
予想だにしない軽巡の動きに帝国軍艦隊は混乱し、砲火を浴びせかけたがそのほぼ全ては虚空に吸い込まれるばかりで命中しない。この時ウィリアムは自ら舵を取り、超人的な操舵で敵弾や魚雷の悉くを回避していった。
たった一隻に遊ばれているとあっては帝国軍艦隊は顔を真っ赤にしてこの一隻を叩き潰そうとしてくる。連邦宇宙軍のデリー級軽巡は攻撃力を犠牲に速力を限界まで向上させており、その通常時の直線的な最大速力は帝国軍のフリゲート艦ですら凌駕する。敵艦隊の陣形に飛び込んで混乱させるやり方で敵を翻弄しながら時間を稼ぎ、この間に通報を受けて出動した増援部隊が到着するまで敵の注意を引き続けた。帝国軍がソルトレイクシティへの攻撃を諦めた時、シールドは破られ、艦の各所は軽砲による破孔だらけになっていた。
大破しながらも輸送船団を無傷で守り通し、惑星への物資輸送を成功させた功績は極めて大きく、ウィリアムは連邦軍最高位の勲章である議会名誉勲章を授与されると同時に昇進して大尉となった。
この後も統合参謀本部や戦隊司令、任務部隊参謀と言った出世の花道を歩き、三七歳で大佐まで昇進している。この間には帝国軍との大規模戦役であった“四八年戦役”でも第五一任務部隊参謀として活躍した。だがその肩書に比して私人としての彼の評価は高くない。
私生活では結婚と死別を経験している。彼が現在のような自堕落な性格を持つに至ったのは前妻の死の経験ゆえと言われているが、彼自身がそれについて何も語らないので実際どうなのかを戦艦ウォースパイトの乗員たちは知らない。男性クルー達は嫉妬と羨望が混じった目でこの男を見ているが、当人がそれを気にしているとも思えなかった。
旗艦と言う事もあってか過剰なまでに磨き上げられた艦内を歩き、ウィリアムは参謀会議室に足を踏み入れた。身だしなみも髪もしっかり整えた清潔な姿は、目の下の隈が隠し切れない室内の将校たちとはえらい違いである。
既に数人の幕僚たちが集まり、会話を交わしている。ウィリアムが大股に席の一つに歩み寄って腰を下ろすと、彼らは複雑な視線を向けた。敬意と反感を咀嚼し切れないその目線には一切目もくれず、ウィリアムは特有の愛嬌を湛えた目で第三艦隊作戦部長ファン・ギムン代将を見据えた。
「それで、帝国艦隊の動きはどうなっているんです?」
ファンは参謀副長との会話を止め、ウィリアムに向き直った。その目線には慇懃無礼な参謀に対する本能的な反感が滲んでいる。
「フレッドランド星系に艦隊を集結させている。数は四個軍団、およそ七万隻」
ウィリアムは低く口笛を吹いた。
「それだけで第三艦隊の全戦力に匹敵しますな」
「統合参謀本部は大統領に第二艦隊の動員を提言した。加えれば帝国軍に優位に立てる」
「そうなれば帝国軍も増援を送るでしょう。互いに兵力を逐次投入し合って消耗戦に陥るだけだ——これまでと同じく」
最後に付け加えた言葉がファンを刺激した。口元が跳ね上がり、その言葉は蛇毒を思わせる。
「では貴官が作戦を考えるが良い。参謀本部の考えより優れた作戦を出してみろ」
ウィリアムは鼻で笑って腕を組んだ。
「それがチェイニー将軍に絶対に採用されるってなら、考えますよ」
引き攣った笑みで作戦部長は目を見開いた。
「調子に乗るなよ、大佐」
周囲の会話は全て消え失せ、室内の空気は絶対零度まで凍り付いている。このまま手が出ると思われた時、
「やめないか、代将、大佐」
参謀長ハロルド・バーンズ少将が片手を挙げて制止した。
「ここは子供じみた喧嘩の舞台ではない。見苦しい真似はやめたまえ」
「しかし閣下——」
「敵の攻勢が迫っている。頭を冷やせ」
ファンの反論を封じてバーンズは席を立つとウィリアムに迫り、手にしたデータパッドを立ち上がった大佐の胸に押し付けた。
「それ程自信があるなら、貴官が作戦を考えてみろ」
最大限の愛嬌を塗布した顔でウィリアムは端末をゆっくりと手に取り、目を通した。情報部や偵察隊が入手したデータが映し出されている。
「サー——」
「なにも出せないようなら掃海部隊に突き出してやる」
どこまで本気か分からない言い方をしながらバーンズはウィリアムの制服の胸に付いた議会名誉勲章の略章を指で突いた。
「その勲章に値する仕事をしろ」
笑顔でそれに言い返そうと首を回したウィリアムだが、参謀長はもはや彼に一顧もくれず踵を返していた。
周囲の参謀たちの視線はウィリアムに集まっている。そのほとんどが彼の態度に対する非好意的な目線だった。目線の集中砲火の中でウィリアムは表情を変えずに機械的に敬礼すると、周囲を見回して部屋を出て行った。
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