第四章

 玄関の施錠が外れる音がした。夏菜ななが帰宅したようだ。部屋のドアの向こうで冷蔵庫に食材を詰め込む音が聞こえる。

 宮崎夏菜と半同棲のような状態になってから半年が経つ。天神西通りでスカウトしたのが彼女と知り合ったきっかけだった。細身で高身長、切れ長の目からは勝ち気で、クールな印象を受けた。高杉の好みとは違ったが、こういうタイプにはまる男は多いだろうと思った。

 この手の女はスカウトマンに一瞥もくれずに無視するのが常であり、軽くあしらうような返事がかえってくるだけでもまだマシなのである。ところが意外にも、このとき夏菜は足を止めて彼の名刺を受け取ったのだった。

 高杉が「ロイヤルエックス」を経営し始めたのは今から三年ほど前だ。それまでは大学に通いながらアルバイト感覚で風俗のスカウトマンをしていた。だが大学卒業を期に独立することにした。大学四回生になっても就職活動らしき事は何一つやっていなかったし、なにより一般のサラリーマンが自分につとまるとも思えなかったのだ。

 高杉は悠雅から送られてきた動画を削除して、スマートフォンを閉じた。パソコンの電源を入れて風俗ポータルサイトのページを開いた。

「ただいまー、こんな時間に家にいるの珍しいじゃん」部屋へ入ってきた夏菜が薄いベージュのコートをハンガーにかけながら言った。

 彼女は風俗嬢として働く気はないようで高杉の再三の勧誘は、にべもなく断られた。だがなぜか懐かれてしまい、こうして週の半分ほどは高杉の部屋に寝泊まりするようになった。

 もっとも、福岡市郊外にあるという実家から大学へ通うよりも通学の便やその他諸々の都合がいいというのが主たる理由だろうと高杉は睨んでいる。

「ああ、少し疲れが溜まっててな。今日は出勤の女の子も少ないし、店のやつらに任せてきたよ」

 パソコンの画面に視線を戻し、他店のサイトをチェックし始めた。「ロイヤルエックス」に在籍しているキャストが無断で他店で働いているケースがこれまでに何度かあった。他店の出勤情報をチェックして、二重在籍の規約違反を犯している嬢がいないかするのが高杉の日課だった。

 ある高級ソープ店のサイトを開いた。「ブルーアトワ」という店だ。中洲の博多川沿いに自社ビルをかまえる老舗である。在籍キャスト一覧に並んだ写真の女たちは皆、高級店にふさわしく粒揃いだ。淡い色の薄着をはだけさせた姿で妖艶な笑みを浮かべている。

「あー、またエッチなサイト見てんの」

 夏菜が後ろから高杉の首に抱きついて画面を覗きこんできた。

「一応これも仕事だからな」

「本当に?私がいないときにこっそり遊びに行くんでしょ」

「行くわけないだろ。対価を払ってしか女を抱けない男なんて情けない」

「でも隼平くん、自分がそういうお店を経営してるじゃん」

 高杉は夏菜の横顔を見た。俺はそういう男達から金を奪う側だ。そう言い返そうとした。だが彼女の視線が画面の一点を見つめている事に気がついてその台詞はのみ込み、そして訊ねた。

「どうかしたか」

「いや、なんかこの女の子、私の知り合いに似てるような気がして」

 夏菜が指差した写真の女は「ジュリナ」という源氏名だった。指名ランキング一位の嬢らしい。

「そうなのか?まあこういう風俗の宣材写真を見て、知り合いに似てると思い込むのはよくある事だよな」

 そう言って「ジュリナ」の画像をクリックし、アップロードされている数枚の写真を表示してみせた。

 夏菜はまじまじと画面に顔を近づけた。「やっぱり、絶対あの子だ。うちの大学にいる子」彼女は興奮気味に声をあげた。

 それと同時に高杉にも何か心に引っかかるものがあった。気になるのは四枚目の私服姿でこちらに微笑んでいる写真だ。

 二重瞼の大きな瞳は少し目尻がたれていて、それが可憐だった。

 だが、高杉が気に留めた理由は彼女の容姿の美しさだけではなかった。

 どこかで会ったことがあると思った。

 いつどこで会ったのか、過去に高杉の店に在籍していたなどという事ではない。もっとずっと昔に彼女と会ったことがあるような気がした。

「私の知ってる子に間違いないよ。髪型とかメイクもそっくりだもん」

「この女の子の本名、何て言うんだ」

「確か、ミカって名前だったと思う」

「確かってなんだよ。知り合いじゃないのか?」

「実は知り合いって言える程じゃないんだよね。毎週、大学の講義で見かけるだけ。周りの子にミカって呼ばれてるのを聞いたの」

「なんだ、そのくらいの関係性なのか。よくこの写真だけでその子だと気付いたな。ということは苗字とかは知らないんだな?」

 夏菜はショートカットの髪の片方を耳にかけてデスクトップの画面をまじまじと見つめていた。

「彼女美人だから、教室にいると目立つんだ。私の男友達たちもそう噂してた。それにしてもあの子が風俗やってたなんてびっくり」そして夏菜は高杉を振り返って言った。「ていうか、何で名前とか気になるの。隼平くんは知らない子でしょ?」

「いや、別に気になるってほどじゃない。お前が知り合いだって言うからさ」

 高杉は平静を装って言った。

「嘘ばっかり。この子のことタイプなんでしょ。やっぱり男はこういう感じの女の子が好きなんだねえ」

 高杉の頬をこぶしでぐりぐり押しながらいたずらっぽく睨んできた。

 その手を無造作にはらい、マウスを操作して「ジュリナ」のページを閉じた。夏菜はふんと鼻を鳴らし、パソコンデスクを離れてキッチンへ向かっていった。

 高杉は両手を頭の後ろで組み、デスクトップの画面を見つめた。「ジュリナ」に直接会って、この既視感の正体を突き止めてみたいと考えた。

 以前どこかで彼女と会ったことがあるような気がしてならなかった。ただの気のせいかも知れないが、彼の好奇心を掻き立てる何かが彼女にはあった。

 たまには奪われる側に回ってみるか。高杉はもう一度さっきの写真のページを開いた。

 彼女の顔をじっと凝視してみる。途端に何かひらめくものがあった。前にもこんなふうに写真を熱心に見続けていた事があった。特徴的な右の瞳——。

 はっとして高杉は立ち上がった。そして、三年前のあの出来事から一度も開くことがなかった抽斗ひきだしに手を伸ばした。

 

 

 

 





 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

女衒屋彷徨録 絢絢 @mohriken

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ