第1話

 「いよいよっすね」


 息を潜めて待っていた私の横で、アキが小さく囁いた。

 私は、無言のまま肯く。


 ───── そう、いよいよだ。


 いよいよ我々は、エリア史上かつてない試みに挑戦する。歴史的瞬間をこの手にする為に、私達はじっと死人のように待ちつづけていた。


 警備官の足音がコツコツこだまする。規則正しいリズムで、ゆっくりと近づいてくる。


 私は、ギシギシ軋む古びたパイプベッドの上で、タオルケットにくるんで隠していた細長い合鉄の棒を握り締めた。


 私が動き出せば、それを合図に同志達が動き出す。チャンスは一度、失敗は絶対に許されない。何故なら、それは死を意味するからだ。


 「行きますか?」


 アキの声が、緊張の為か震えている。しかし、暗がりの中であっても瞳は爛々と輝き、その身には一種異様な興奮を纏っているようだった。


 「まだよ」


 私は、低い声で答えた。まだ、ソフィーからの指示が来ない。

 誰にも見えないように耳の奥に取り付けた、最新型インカムから聞こえる彼女の声に、私は全てを集中させた。


  ……………もう少し、もう少しだ。


 時が止まったかのような静寂の中、足音だけが大きく響き渡る。私はすべての神経を耳に集中し、靴音が目的の場所へたどり着くのを慎重に待った。


 まだ………、まだだ。後ほんの少し、三歩、二歩、一歩。


 「いまよ!」


 ソフィーの合図と共に、がばっとベッドから起き上がり、私は、武器を包んでいたタオルケットを乱暴に剥がした。それから、同じように合鉄の棒を握り締めて起き上がったアキに、ちらりと視線を流す。アキは肯くと、急いで扉に飛びついた。


 同時に緊急ブザーが鳴り響き、一瞬にして止まった時を動かし始めた。部屋の非常ランプが青白い光を点滅させ、何時もならこの時間は硬く閉ざされているはずの重い扉が、音を立てて空気を吐き出した。


 絶妙なタイミングで、ロックが解除されたのだ。これで、私達も行動が起こせる。


 凄い、本当にやってくれた。


 たった一人でこれをやったソフィーに、私は心の中で感嘆した。

 まさしく、天才だ。どうやって、メインコンピューターにアクセスしたのだろう?



 ソフィーは、同志達の中で唯一のランクAであり、本来ならば我々の敵である立場の人間。それなのに彼女は、自分の立場を顧みず私達と共に戦う道を選んだ。


 楽園を見たい、ただそれだけの理由で………。


 アキが扉を手で開けると、私達は通路に飛び出した。ちょうどそこに通りかかった少し慌て気味の警備官が、脱走者を見てギョッと顔を強張らせる。


 男はさっと手を伸ばし、ハンドガンをホルダーから抜き取ろうとした。 ──しかし、動きはアキのほうが速い。彼女は、男の手がハンドガンに触れる前に、棒の頭を男の腹へと叩き込んでいた。


 ぐふっ。口から息と一緒に唾液を吐き出し、男は前のめりに倒れた。


 手に持っていた棒を投げ捨てて、アキが倒れた男の腰からハンドガンを引き抜く。私は彼女の肩に手を乗せ、大きく肯いてみせた。するとアキは、胸を張り誇らそうな笑顔を零した。


 時同じくして、あの警報を合図に集まってきた同志達が、ぞろぞろと私の周囲に集まってきた。誰の手にも武器が握られ、誰の顔にも固い決意が見られた。


 そして誰もが、私を見つめている。彼らの指導者である、この私を………。


 「行きましょう!」

 私は拳を振り上げ、声を大にして叫んだ。


 「私達が苦い水を飲まされていた時代は、ついに終わりを告げるのです。新しい時代をこの手にする為、すべてを捨てて戦い抜こうではないですか。そして、我々は本当の自由を手に入れるのです!」


 波のようにざわめきが広がる。それはやがて、雄叫びに変わった。


 足を踏み鳴らし、拳を振り上げ、すべての口から「自由」という言葉が吐き出される。


 鳴り止まない警報をバックミュージックに、私達は希望へと向けて行進を始めた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る