16.白の従者④
自己紹介を終え、リファたちは残る城内の施設を案内された。
あちこちを巡り、最後に敷地奥にある使用人の官舎へ案内される。
官舎の一角に、リファとサラが寝泊まりする部屋が用意されていた。古い建物ではあるが、床板はきちんと磨かれており、二つ並んで置かれたベッドのシーツはまっさらな新品だ。
内装を整えてくれた侍女のオリヴィアは、「本当にここでいいのですか?」と眉を下げていたが、リファとサラが屈託なく喜び礼を言うと、ホッとした表情を浮かべていた。
「くつろぐのはかまわないが、あまり不審な行動は取るなよ」
俺の仕事はここまでだ、とレイは
「レイ、今日は案内してくれてありがとう」
官舎の玄関を出て、レイの後ろ姿に向かって呼びかけた。立ち止まったレイは、リファのほうを振り返る。一瞬、なにかを耐えるように唇を引き結ぶと、重々しく口を開いた。
「……俺は、おまえに気を許すべきだとは思っていない」
逆光で陰る中、強い意志を宿した瞳の色だけが、やけに鮮やかに映る。リファは微かに息を飲んだ。
「もし、我が主やフューエンの民に仇なすことがあれば、他国の姫であろうと容赦はしない。それだけは胸に刻んでおけ」
言い放って、レイは背を向けた。そのまま凜と背筋を伸ばして歩き去っていく。リファは返す言葉が見つからず、黙ってその後ろ姿を見送った。
とぼとぼと部屋に戻ると、元の小さな姿に戻ったサラがベッドの上で寝そべっていた。久々の寝具に浮かれる気持ちは分かるが、切り替えが早すぎる。リファは落胆と呆れが入り交じったため息をつき、サラの横に腰掛けた。
「……少しは仲良くなれたと思ったんだけどなぁ」
「気の早いこと。あの手の頑固者はそう簡単に懐柔できないわよ」
サラがリファの膝の上によじ登る。羽で飛べばいいのにと思いながら、片手で押し上げて登るのを手伝ってあげた。
「でも、あんたが積極的に人と関わろうとするなんて珍しいわよね。そんなにアイツのことが気になる?」
小さな友人はニヤリと意味深に口角を上げた。これは、人をからかって遊びたいときの顔だ。リファは曖昧に口をもごもごさせる。
「気にならない、って言ったら嘘になるけど……自分でも、よく分からない」
最初にレイを見たとき、その美貌に見惚れる以上に、言いようもなく惹きつけられたのだ。
攻撃されたときは当然、恐ろしいと思った。その後のリファに対する態度も好印象とは言いがたい。
しかし、見つめずにはいられない。そんな衝動が、なぜか消えないのだ。
ふと、握手を交した手のひらを見つめる。思っていたよりもレイの手は大きく、わずかに皮膚はざらついていて硬かった。ディオルから訓練に誘われていたところを見るに、レイもまた、日々鍛錬に励んでいるのだろう。
『もし、我が主やフューエンの民に仇なすことがあれば、他国の姫であろうと容赦はしない』
突きつけられた言葉を胸中で
レイはリファのことを強く敵視している。リファの身分が明らかになった今もなお、それは変わらないようだった。
王と国への忠誠。今日一日だけで、彼が周囲の人々を大切に思っていることは伝わった。リファという余所者に対し、彼のひたむきさが警戒心となって現れているのだろう。
ぼすん、とシーツの上に倒れる。見慣れない木目の天井をぼんやりと眺めた。
「色々ありすぎて、頭の中がごちゃごちゃする……」
「でしょうね。昨日から丸一日、ほとんど気が休まらなかったもの」
横たわったことで、
つい昨日、
そこで失われた人と、直前まで言葉を交していたことも。
料理長は、他愛ない話で気を紛らわせ、気遣ってくれた。短い付き合いだったがリファの働きを認めてくれていた。
馬車に揺られ、寒さに縮こまりながら過ごした四日間を懐古する。長い旅をする行商人たち。もっと色んな国や地域のことを聞いておけばよかった。
あんな目に遭わせなければ。こちらの事情に巻き込まなければ。せめてもっと助けることができていたら。
そんな
「ねぇ、リファ。明日からどうするの」
仰向けになったリファの顔をサラがのぞきこんでくる。リファは眠気をこらえ、気力で身体を起こした。
フューエンに拠点を作る、という目的は達成できた。しかし、肝心のデンミまでの道は閉ざされてしまっている。ここから動けない以上、もう一つの目的である〈使者〉探しを進めるのが妥当だ。
「あんたが司宰に手紙を出したいって言ったときは驚いたわ。わりと危険な賭けよ?」
「だって、他にツテなんて思いつかなかったし……」
「女王の側近とか、あんたの乳母や侍女とか、誰か他にいないの?」
問われてリファは少し考えたが、首を横に振った。
「母様、あまり従者は傍に置かない人だったから。いちばん近いのが司宰様なんだよ。二人とも有能すぎて人を寄せつけないってヤナギくんが言ってた。私の乳母と侍女は、もう王宮にはいないし」
王宮にいた頃、リファはごく限られた敷地内でしか生活できず、他者との交流に乏しかった。面識のある王族やその関係者で、今も王宮に勤めているのは司宰くらいしかいない。
「ま、元より探りを入れるならそこしかない、とは話してたものね。なにもしないよりはいいでしょう」
「じゃあ、手紙は明日、クラウス様に託すとして……問題は〈使者〉探しだよね」
リファは鞄に仕舞いっぱなしだった〈創世の書〉を取り出した。手がかりといえばこの本しかないが、具体的な活かし方は分からないままだ。
〈創世の書〉に施された封印を解くためには、鍵となる〈使者〉の力が必要だが、その居場所は未だ知れない。デンミでは情報を得られず、大陸を渡り歩いている商団の人々からも、それらしい話は聞けなかった。
「母様がクラウス様に話を通していたのが本当なら、クラウス様に聞けばなにか分かるかもしれないけど……」
安易に〈創世の書〉や〈使者〉について話していいのだろうか。クラウスを悪人だとは思いたくないが、敵対する者たちの手がどこまで及んでいるのか見当がつかない。
「司宰に手紙を送る度胸があるなら、あの王様にも少しは切り込んでみなさいな」
「簡単に言ってくれるなぁ」
そもそも、相手は一国の王。警戒心むき出しの従者が目を光らせている中で、そう簡単に
頭が痛くなる前に、リファはふたたびベッドへ倒れ込んだ。
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